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高崎宗司「朝鮮の土となった日本人」草風館

県民カレッジの講座で日韓交流に貢献した人物を紹介する内容があって調べてたら、新しい発見があった。日本が朝鮮を植民地支配していた当時、朝鮮の陶磁器の美に感銘し、朝鮮民族博物館を設立した柳宗悦については知っていたが、その柳宗悦をして開眼にいたらせた人物がいたのだ。浅川巧。名前は知っていた。だが「朝鮮の膳」を書いた人物である程度で、漠然としたことしかわからなかった。彼は朝鮮総督府の林業試験所の職員でしかなったにも関わらず、兄伯教の影響もあって朝鮮の大衆文化を心から愛し、何よりも半島の人々を心から愛した。彼の集めた陶磁器とその生き様が柳宗悦ら知識人を唸らせ、結局博物館設立にいたり、また、彼の死に際しては多くの朝鮮人民衆をして慟哭にいたらせ、今もなお研究者が列をなすという現実をつくっているのである。この本は単なる伝記ではない。彼が42年という短い生涯に残した強烈な人間愛、人間力といったものを感じさせてくれた。特に感銘したのは彼の死後、当時京城帝国大学教授だった安倍能成が残したことばである。表題は「人間の価値」・・。
「・・・巧さんは官位にも学歴にも権勢にも富貴にもよることなく、その人間力だけで堂々と生き抜いていった。・・・・こういう人の存在は人間の生活を頼もしくする。こういう人の喪失が朝鮮のために大きな喪失であることはいうまでもないが、私は更に人類の喪失だというに躊躇しない。」つまり、何のバックグラウンドももたなかった彼は朝鮮語を完璧にマスターし、現地人が見分けがつかなくなるほどその文化と同居しながら生活した。天真爛漫な性格に多くのものがひきよせられていった。また、現地人よりも給与の多い分、現地の学生に学費を提供し、苦楽を共にした。そして何の変哲もない膳にスポットライトをあて、その芸術的価値をこの世にしらしめたのである。今までこういう人の存在を十分に知らなかったことが実に恥ずかしい気分だ。でも「韓国への恩返し」として取り組んでいる県民カレッジというボランティア活動があったからこそ得られた情報だけにありがたい。今回この他にも布施辰治、田内千鶴子といった先駆者の存在もしっかり学ぶことができた。本当によかった!!

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