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ダン・トゥイ・チャム「トゥイー(Đặng Thùy Trâm)の日記 」経済界

ベトナム戦争に医師として志願したトゥイーは死と隣り合わせの戦場で、愛と憎しみ、悲しみを詩情に込めて日記に綴った。彼女の死後、この日記は偶然手にした敵兵(米兵)によって発見される。米兵はこれを燃やそうとするが、同僚の南ベトナム兵士に「これは燃やすな!この日記から炎が出ている!!」と言われ、それ以降この米兵はその内容に関心を持ち、辞書を片手に丁寧に読み解いていく。その中で、いつの間にかトゥイーは米兵の心に染みいり、愛するまでになっていく。米兵はこの日記を35年間大切に保管し、トゥイーの母親を探し続けついに実母のもとに届けたという実話だ。この話に50万人のベトナム人が泣いたという。俺はこの本を県立図書館で偶然見つけた。表題と装丁に惹かれて、偶然に・・・。それからベトナム行きの飛行機の中で、「ある日私は平和の夢を見た」という邦題でこの「トゥイーの日記」の映画をみることができたのだ(題名だけ日本語、音声はベトナム語、字幕は英語)。二重三重に俺の心もトゥイーに奪われていった。日記に描かれたのは日々葛藤の中で勇敢に戦い、恋に悩み、失望から自らを鼓舞しようともがき苦しむ、あまりにも純粋な心をもった女性の姿だった。生き地獄の中で、これだけの日記を書き続けられたというのは並大抵の精神力ではない。特にベトナム人女性の強さ、優しさ、忍耐力、愛にあふれた文章に久しぶりに心の底から揺すぶられた。
「私の脳にはもう消すことのできない、深い皺が刻まれてしまった」
「本当にこの南ベトナムのようなところは世界中どこにもないと思う。すべての住民が戦士となってアメリカ軍と闘う地、敵の流した血が深くしみこんでいる地、戦死した家族のために、誰もが喪章をつけて、それでも戦い続ける地・・この戦闘に加わることができるは光栄だ」
「この小さな日記帳に、いったいいつまでこんな血なまぐさいページが書き続けられるのか!でもトゥイー!書き続けなさい!この20年間仲間が流し続けた血と汗と涙のことを!そして命をかけたこの戦いが終わるとき、書き残す意味、思い出す意味はもっともっと重いものになる。なぜなら、この長い道のりの最後、ようやく目的地にたどり着く日に、私はこの世にいないかもそれないのだから」
「ああ、この血に飢えたアメリカ軍が存在する限り、私たちは苦しみ続ける」
「何らかの愛がなければ人は生きることができないということも私には痛いほどわかっている。愛を知った心は純粋で熱い血液しか受けいれることができないのだ」

トゥイーの言葉が胸に突き刺さってとれない。そして俺の中にあった壁は崩れ落ちた・・・。

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