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入江紗代「かんもくの声」学苑社

場面緘黙症

この症状の存在を知ったのは今の職場に来てから。実際にそういう症状をもつ人がいる。「ふつうに」話したいのに話せなくなる。「ふつう」のハードルが超えられず、どうあがいても誰にも理解されず、どうせなら死にたいと思う・・そんな苦しみを抱えて生きている人たちがいる。吃音とはまた違うレベルの苦痛がここにある。

著者本人は診断こそ受けなかったが、その傾向が強く、27歳まで社会において人間関係を築けなかったという・・。この症状は人間関係に対する不安、恐怖から身を守るための防衛本能として、生きようとする気持ちから起きてくる症状なのだそうだ。

「自分を出して傷つく恐怖」「他者からの否定に対する恐怖」「他者に知られる、見られる、聞かれることに対する恐怖」が家から出たと同時に出てくる。家の中では普通におしゃべりなのに社会に出たとたん別の自分になってしまう。一人になりたくないのに、たった一人の理解者が欲しいのに、どんなにあがいても独りぼっち・・。緘黙が継続すると心がなくなり、生きる意欲も理由も失う・・。その苦しみはまさに生き地獄・・。

著者はこの症状を10年かけて少しずつ克服していき、37歳になってやっと回復の糸口をつかんだ。だからこそのプロセスを綴ったのが本著だ。完全回復といった作り話でなく、そのプロセスにいつもあると言い切る。

「話すこと」を目的にしないで、「日常をあきらめず、生きることをあきらめず、好きな事、やりたい事に打ち込んだ」結果、長いトンネルの出口がみえた。その結果、地獄でしかなかった時間が血肉となり、生きる力にシフトできた。

そのプロセスには親の献身的な支えがあった。出口が見えない間は、自堕落な生活、現実逃避への没頭、そして散財が続いた。普通の親なら「もう面倒みきれない!」「自分のことは自分で責任をもって!」と当然の如くいうのだろうけど、著者の親は叱らず、見守ってくれたのだそうだ(俺にはそんな度量はないな^^!)。

俺の身近にこういうことで悩んでいる人がいるから余計に感じるところがあったのだが、この場面緘黙症を考える場合、大切なのは「自然治癒はしない」という視点だ。「早期対応と持続的なサポート」が要となる・・。そう、「ほっとしておく」じゃなくて、関わっていく必要があるのだ。

実際こういった症状に近い人のサポートをしているとネガティブ発言がシャワーの如く噴き出して袋小路に突き当たってしまう時もある。それでも「寄り添うこと」をあきらめない、もちろん無理はしない。そんなスタンスでサポートを続けられる限りしていこうと思っている。

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