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友達以上 恋人未満

私は、百合恵とは入学以来の恋人未満の友達関係が続いていたが、かなを通しても女友達が何人かできた。

かなは私が一浪しているので同じ年だから、学年は上であっても、年上の人ではなかった。

かなの親しい友達であった同学年の和子ちゃんは、私のアパートの近くに住んでいた自宅生でゼミも一緒だった。

かなが帰省していなくて淋しかった時などに、夜に電話で話したり、呼び出して近くの喫茶店で会ったりした。

また、私のアパートで皆と飲み会をする時にも来て一緒に楽しんだ。

彼女は色々と話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれる人だった。

確かに彼女は美形で、一緒にいて話すだけで楽しかったし、恋の駆け引きのような会話もしていた。

私は「今は誰も好きになれない」とわざと素っ気ないそぶりで言うと、彼女は「つまんない」と言って私の気を引こうとしたりした。

お互いにかなという存在の壁があったので、あえて波風立てて越えていこうとまではしなかった。

恋愛関係では無かったので、相手に何も求めず、そして何も求められず、話すだけでそれなりにときめいたり、気が休まったりする関係だった。

よく使われている「友達以上 恋人未満」の関係で、かなには求められない心の隙間を埋めてくれた女性だったのだと思う。


また、大学の同じゼミの女性は、仲間であり友達でもあった。

なかでも、ひろみちゃんは私のことを、下の名前の綾光とわざと呼んで「がんばれよ」と姉さんぶって言う人で、一番仲の良い女友達になった。

彼女は地元京都の女子短大より途中から編入してきた人で、私より一つ年上だった。

美人とはいえなかったが、京都人らしくおっとりとして、優しくて明るい性格の人だった。

そして、学問への情熱もあり、賢い人だったが、それを前に出す人ではなかった。

同じゼミ生のケンが、彼女のことが好きなことはよく知っていたので、遠慮して控えめに接していた。

といっても、当初、大柄な彼女はぱっと見が自分のタイプではなかったので、あまり関心はなかった。

そのうち、ゼミの関係で接する場が多くなり、ゼミコンパや合宿でも親しく話をするにつれて、彼女に惹かれていった。


私が大学4年生の時で、卒業したかなは遠く山口の実家にいて淋しさもあった。

ある時など、酔ったゼミの男仲間3人と一緒にふざけて、彼女のいる大学女子寮の門の前で、二階にいるはずの彼女に向かって

「ひろみちゃ~ん」

とみんなで声をそろえ、大声で何度もコールしたことがある。

このことは、後に彼女から聞いたのだが、そのコールは寮で騒ぎとなったという。

彼女に怒られるのかと思ったら、私の声が一番よく聞こえたと、優しく言ってくれたけど、ケンのこともあって気持ちは複雑だった。

その後、ゼミコンパで一緒に飲んでいた時、私が隣で何か言うたびに、「かわいい」と何度も言ってからかってくる。

そんなにかわいく思えるのならと、ふざけた振りで甘えて彼女の肩に頭をもたれかけた。

頬に伝わる温もりを感じながら、耳元で聞こえる彼女の柔らかな京都弁と甘い香りに心はやるせなくときめいて我を忘れていた。

いま、思い起こしてみれば、互いに酔ってふざけている振りをしないと、気持ちを表せない、切ない恋のドラマのシーンのように思える。


私は大学院の進学が決まり、学資の問題のことで、色々と悩んでいる時だった。

その頃は、学校でだけでなく電話でも気軽によく話をしていた。

2月になって卒業間近になり、ひろみちゃんとふたりで飲みにいくことになった。

女子寮にいた彼女にとって、ひとりで夜に出かけるのはそれなりの理由と勇気がいった筈だった。

まさか、私とふたりで飲みに行くとは言えなかっただろう。

私もかな以外の女性とふたりで飲みに行くのは初めてだった。

午後6時に今池のユニーというスーパー店前で会う約束をした。


ふたりで入ったのは、ふだんゼミ仲間で飲むような居酒屋でなくて、たまに私が行っていたジャズ喫茶だった。

ふたりとも、服も普段とは違うおしゃれな格好だった。

真向かいに座った彼女とは、いつもとは違う雰囲気の中で、ちょっと気取った音楽の雰囲気に揺れながら、気ままなおしゃべりをした。


私が以前から打ち明けていた、かなの婿養子になるかどうかという悩みにふれて、彼女は自分の父親のことを話してくれた。

彼女の父親は医者だったが、実は婿養子であって、学生時代には彼女の母親の親から、学費を貰っていたことを話してくれた。

私が進もうとしているのは、文化人類学の研究者への道で、医者のように経済的に報われる訳ではない。

医者の娘だからこそ、彼女は研究者に医者と同じくらいの価値を見いだしていたように、今は思える。

当時の自分には違和感のある話ではあったが、私が研究者になるためには、恋人の親からの援助は恥ずかしくないことを言ってくれていた。

それは一方で、彼女の親なら自分の経験から、援助を惜しまないだろうということも意味していたが、私とかなとの関係もよく分かっていた。


楽しい時間は直ぐに過ぎて、彼女が寮に帰らねばならない時間になった。

店から出て暗い夜道をバスの停留所まで彼女を送りに行き、バスが来るのをふたりで待った。

バスが来て乗り込む間際になって、ふいに彼女は手を差し出して握手を求めてきた。

それがその時彼女ができる精一杯の愛情表現だったのだと思う。

私は戸惑いながらも、その差し出された手をしばらく握りしめていた。

初めて触れたやわらかくて温かい手に、言葉を失っていた。

そして、たがいに「またね」と言って、バスの扉の前に立つ彼女に手を振った。

一ヶ月後ふたりは卒業し、再び会うことは無く、結局ふたりには別れのデートになってしまった。


彼女は大学を出てから、しばらく経って結婚した。

私は東京の大学院進学後は、研究と生活に追われて、彼女と連絡すらとっていなかった。

結婚式ではゼミの男性も招かれて、アキラがその時の様子を話してくれた。

彼女の家は京都の町家で、よく言う「鰻の寝床」のような作りだったという。

そして式には驚いたことに、元総理大臣も列席していたそうだ。

いつも、飾らない身なりだったし、当時は医者の経済力を知らなかったので、聞いて初めて自分たちとは格違いの世界の人だったことが分かった。

そいいう家柄の女性だからこそ、北山大学には文化人類学への強い思い入れを持って家を離れて来ていたのだ

大学の日々は ひょっとしたら彼女の人生において、唯一の自由な年月だったのかもしれない

あの一度きりのふたりのデートは、彼女がただのひとりの女性として過ごせた特別な夜のデートであったと思う。

そして、その一方で、自分の素性を初めて明かしてくれていたのだった。


当時、気高い京都人の気質を受け継ぐ彼女が、私に何を求めているのかを、察する力に欠けていたように思う。

姉さんぶった明るい愛情表現は、その頃の私には、恋愛感情を抱かせるものではなかった。

おそらく、彼女はそのように一線画すことで、恋人のいる私と気軽に話したり会うことが出来たのだろう。

私は、自分の進路における悩みや目の前の卒論の苦しみなど、色々悩みがあった中で、彼女と話している時が一番安らぎを覚えていた。

その一方で、かなとの情熱的な恋愛のなかにいた自分にとって、安らぎを感じる関係というのでは、その恋愛関係を越えるものではなかった。


当時を振り返れば、私が彼女の境遇を理解することができて、本気で好きになっていれば、彼女は拒まなかったように思う。

実は、彼女を大好きだったケンから、彼女から聞いていたのか、ケンより私の方に興味を持っていると、既にメモ書きをもらっていた。

もし彼女と一緒になっていたなら、彼女は家のしがらみから逃れて、ふたりで異文化の地でフィールドワークもできていたのかもしれない。

今から思えば、私が研究者になるためには、彼女の包容力だけでなく、学問に対する姿勢と資質でも、伴侶として一番必要とした人だったと思う。

現実は、彼女が嫁いだのは北陸の名家だそうで、元総理大臣もその関係だと思う。

結局、彼女は本来自分の住むべき世界に戻っていったのだった。

当時の自分にはかなと別れて、他の女性と一緒になることは、自分自身許されないことと思っていたし、実際心も離れられなかった。

彼女が家に縛られていたように、私もかなの愛に縛られていた。


女性とは友情関係だけでいらえるのかとよく言われる。

当時の自分も、ひろみちゃんに対しては、友情なのか恋愛なのか自問している。

男同士の友情とは違って、恋愛に発展する可能性のある友情とも言える。

むしろ、友情から恋愛に自然に発展する方が、無理の無い結婚につながるのかもしれない。

ただ、恋愛ができない立場だけれど、互いにそばにいたい男女の接し方でもある。

私はその後もそういう女性とは幾度か仲良くなったが、一人を除いて住所や所属が変わったりして、自然な形で疎遠になっていった。

嫌な別れ方になったのは、大学出たての可愛い女性で、私には妻子がいた。

凝った背中を踏んで貰ったり、職場の仲間と飲んでいて、酔っていたとはいえ頬にキスまでして、一線を越えてしまいそうな関係になった。

私は関係を誤魔化すために、あえて嫌われるようなことをしてしまって、二度と話ができなくなってしまった。


友達以上恋人未満の関係は、一線を守ることによって、自分の世界を広げてくれるし、ときめきと安らぎを与えてくれる大切にすべき関係だと思う。

恋人になってしまうと、恋愛感情や性愛に流されて、本当の相手を見失ってしまう可能性もある。

その点で言うと、最後まで良き理解者であり続けてくれる存在とも言える。

そして、運命の人になったかもしれないと思いながら、浮気・不倫の疚しさや辛い別れを思い出さなくて済む懐かしい関係でもある。

もし、ひろみちゃんがあの日のようにただの女性に戻って、同窓会に来てくれたら、彼女には私のことをかつてのように綾光と呼んでと頼もう。

いとこの姉も母も死んでしまった今、私を綾光と親しく呼んでくれそうな女性は彼女だけなのだから・・・・




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