北海道から北陸へ 幸せ探しの一人旅 宮城、岩手、山形 10/3(2日目)
10/3日宮城県、岩手県、山形県
仙台港へ
船内の窓から少し朝の光が漏れて来た。船のエンジン音や微妙な波の揺れで昨晩はあまり熟睡できなかった。せいぜい4時間くらいしか寝ていないだろう。
7時過ぎに船内放送で、船が金華山沖を通過したこと教えてくれる。恐山、出羽三山と並ぶ奥州三代霊場の一つらしい。
少しずつ陸地が近づいてくる。岩場の海岸が田畑に変わり、さらに煙突やコンピナードに変わって行く。徐々に仙台港に近づいている。
10時くらいに船は仙台の港へ入港した。
船から車を出し仙台の街を恐る恐る走る。
松島観光
昨日も札幌の街を車で走っているのに、初仙台のドキドキ感でハンドル操作が少しぎこちない。 昔は城下町だったので、曲がりくねった道が続く。
最初訪問地、白衣観音展望台に到着する。車を駐車場に置き、そこから坂道を登って行くとそれらしい展望台が現れた。松島の風景が広がってくる。しかし木の枝が多くなかなか良い撮影場所が見つからない。数枚写真を撮り次の訪問地瑞巌寺へ向かう。
瑞巌寺へ
瑞巌寺そばの「ぱんやあいざわ」に車を止める。すぐそばに「みやじま」と呼ばれる大きな岩盤のくぼみがある。昔、僧侶達が修行していた神聖な場所らしい。
また1689年5月に松尾芭蕉と曾良がこの岩の前を通って石巻に向かって行ったと案内板に記されていた。尊敬する歴史の人物の足跡をたどる事も旅の幸せを感じる一つだと思う。しばらく芭蕉が来訪した同じ空間に浸っていた。
瑞巌寺の方へ歩いていく。禅宗寺院は伊達政宗が改修、復興したようである。
松島の海岸にも瑞巌寺五大堂があるので行ってみる。
坂上田村麻呂が蝦夷討伐した際、松島の素晴らしい景勝地のこの場所に建立したのが始まりと言われている。そして最終的に創建したのは伊達政宗らしい。
宮城県名物「ずんだあんころもち」を食べながら次の訪問地、平泉へ向かう。
中尊寺へ
中尊寺は12世紀初め藤原氏が建立した天台宗のお寺で世界遺産である。中尊寺を目指してひたすら運転する。
宮城県から岩手県に入りさらに北上する。
やっと駐車場が現れた。
その右隣の静かな気配の林坂を登っていく。
奥の方にあるであろう金堂に歩みを進める。
やがてそれらしき建物が現れた。
扉は開いてあり中から録音された説明が館内に響いている。
中に入るとまるで金閣寺を思わせる煌びやかな建造物が館内の中央に鎮座していた。
芭蕉は西行や義経の足跡をたどって中尊寺にも来ている。
鎌倉時代、兄源頼朝と敵対した義経がこの地にかくまわれていたが、のちに自刃そして奥州藤原氏も滅亡する。その翌年に西行はこの地を訪れその年に亡くなっている。
それから約500年後に芭蕉はこの場所に来ている。そしてあの有名な句がここで誕生する。
「夏草や兵どもが夢のあと」
「五月雨の降のこして光堂」
芭蕉がこの地を訪れた時、金堂は実際はすぐ近くの丘の上にある旧覆堂の中にあったようだ。
西行も平泉に来て藤原秀衡と会ったらしい。芭蕉は金色堂を訪れてが昔の繁栄していた頃との違いにショックを受けて読んだ句が「夏草や」らしい。
銀山温泉へ
次の訪問地は山形県の銀山温泉である。
幾多の山々の崖道を越え岩手県、宮城県そして山形県へと入る。辺りはもう真っ暗。
銀山に近づくにつれ道は細くなり温泉地独特のクネクネ道が続く。と突然ホタルのような街灯りが見えた。
銀山温泉街へ行ってみる
車を降り暗がりの中を恐る恐る街中の方へ歩みを進める。街灯もほとんどなく中心街の街明かりだけを頼りに歩みを進める。
と川の右端に三脚を構えたカメラマン二人がいた。この地に来て初めて人と会ったので、少しホッとした。やはりカメラマンにとっては憧れの聖地のような所である。数枚シャッターを押し車に戻る。
やっと銀山を写真に納めた満足感に浸った。
時計を見ると8時近かった。もう遅いので今日の宿泊地村山西口ホテルへ向かうことにした。
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