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自分の出生と向き合いました。多分。

いつもと違い、このタイトルにした時点で何から書き出せばいいか分からない。不思議な感覚。

昨日、親が出会った経緯、私が生まれた時のこと、私の幼少期のこと、そして亡くなった父のことを母親、父方の叔父さんから聞いた。本来であればこの件について尋ねること自体、来年2月に実家に帰った時に実行しようと思ったけど、訳あって早まることになった。(私も少々予想外だった)

予想外だったのは、15年以上ぶりに連絡をとる叔父さんが私のために知っていることの全てを話してくれたことだ。私の「亡くなった父のことを知りたい」という真剣さが伝わってくれたのだろうか、叔父さんは2時間近く、私のために時間を割いてくれた。とても感謝している。

叔父さんは私が大人としてもいい年齢だということも知り、様々なことを教えてくれた。いわゆる「知らない方が幸せ」なことも、聞かされた。だが私は後悔していない。率直に教えてくれた叔父さんに対しても、私に聞かせようとしなかった母親に対しても、一人で亡くなった父親に対しても、誰も責めていない。

故人と今を生きる人のため、詳細は伏せるが、父の育った環境もなかなか過酷なもので、ヘビーだった。「育っった環境が違えばお父さんはきっとエリートになっていたと思う」。そういった叔父さんの言葉がまだ脳裏に残っている。

私は父を憎んで、嫌っていた。ろくな大人じゃないと思っていた。反面教師にすべき存在と認識していた。そういった眼鏡をかけて生きてきたから、父の悪い面だけは「やっぱりね」とすぐ理解できたが、良い面については全く知ることがなかった。

叔父さんや母の話を聞いて、私は父もまた尊敬をうけ、愛されていたのだろうということを知った。しかし父が生きている間、父はそれを受け取ることができなかった、あるいは父の望む愛され方ではなかったが故に孤独で苦しい思いをしていたのかもしれない。非常にもったいないと思う。視点を少し変えれば父も、自分は愛されているという肯定感に繋げられる可能性もあったかもしれないのに、と。

父が憎い存在であるのと同時に、他人の愛し方を知らない父を抱えていた私は、父のことをよく理解することができた。自分は愛されていない存在だと、生きるのが苦しい気持ちはよく理解はできる、だけど嫌い。そんな矛盾を私は胸の奥にずっとしまっていた。その矛盾を昨日引き出して、理解できてしまう、から理解しよう、理解したいに変えるべく、父にまつわる真面目な話を叔父さんと母に切り出した次第だ。

さて、父の話を聞くことを通し、私には別の感情が生まれた。それは、母親への感謝と恥、つまり謝罪の気持ちだ。

父は、はっきり言って、第三者の目から見ても少しでも事情を知ればトラブルメーカーだったことは否めない。そんな父を、愛する旦那を遠ざけてでも私を守って、育てようとしてくれたのは、母だった。母がいなければ今の私は確実にいない。死んでいたかもしれない。母という親がいなければ、ではない。一人の人間として、〇〇という名前の母でなければ、私はここまでやってこれなかった。

一人で子を育てることの真の難しさを私は身をもっては知らない。なぜなら私には子どもがいないから。それでも想像することはできる。どれだけ自分を犠牲にしただろう、どれだけ努力しただろうと思うと、私は頭が上がらない。人生で初めて、心の奥底から母に感謝した。母に感謝を伝えた。迷惑をかけたと謝った。母は「そうかいそうかい」とばかりに話を聞いてくれた。

自分の人生における一つの整理整頓を私は成し遂げた。(まあ、実行の予定日より早まっちゃったけど)話を聞いて落ち込んだり鬱になることはなかった。パズルのピースがハマったすっきりとした感覚の方が強かった。とはいえ同時に疲労感もどっしりやってきた。だがこれは休めば回復する性質のものだから気にならない。

私は不器用な親に囲まれて大切にされてきた、と思っている。愛し方を知らない父、愛を表現する余裕もないほど私のために仕事に励む母。だとしても結局血は繋がっている。一連の話を聞いて、ここは母親似、ここは父親似、という再発見もあって、面白かった。私の地頭や能力や得意なことは父親似、私のしぶとさや粘り強さはどうやら母親似のような気がする。

特段、生活が変わるわけでもないが、私にとっては新しい門出を迎えた気がした。何故かふと、地元北海道の雪景色を思い出した。それも吹雪の厳しい冬景色。故郷に思いを馳せるとはこのことを言うのだろう。

今まで家族と向き合わなかった。私の出生をめぐる過去には向き合わなかった。過去は変えられない。事実は変わらない。でも過去は解釈のしようによっては変えることもできると、友達が言っていたのを思い出す。

不思議なことに、躁状態の時のようにエネルギーが吹き出すことはなく、はじめてじわじわとエネルギーが湧くかのような感覚を覚えた。胸が暖かい。この秘められた暖かさは、小さいけれど、消えることが無いという確信があった。

自分に流れている血を憎むことを手放した。父を憎むことを手放した。母の不器用な愛情表現を疎ましく思うことを手放した。許した、ではない。手放したのだ。

自室の窓が大きくなったかのように感じた。日差しがいつもより多く入り込んでいる気がした。それはきっと、重い荷物を背負って下を向いていた姿勢から、荷物を整理して手放した分だけ軽くなったが故に前をちゃんと見れるようになったからなのだと思う。つまり、見える景色が少しは、変わった。

あぁ気付けて良かった。母が生きている内に、偽りではなく、表面だけではなく、心の底から感謝を感じられたことを。身近の人がこんなにも優しさと愛をくれていたことを。私がどれだけ支えられていたかを。

2月、北海道に帰ります。7年ぶりの冬景色を見ることになる。私の目に久方ぶりの北海道の厳しい寒さと雪景色は、どう映るのかな。楽しみでしょうがない。


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