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六畳半の小さな夜明け。

六畳半に差し込む夜明けの光は小さい。
小さくても、待つしかない。待ちたかった。早く朝が来て、と願うばかり。

朝が来たところですることはこれと言って何もない。
ただ、明るくて暖かい場所が欲しくて、なぜか渇望の程度まで達していた自分がいるだけだ。

夜が嫌いなわけじゃなかった。全てが動きを止めて、明日のために力を蓄えるかのような、あの静寂はむしろ魅力にさえ感じることもある。私が活力を欲しているから、夜をそのように見立てているのかもしれない。

最近、ある曲を聞いた。曲名は「君の銀の庭」。
好きな歌詞がある。「正しさよりも明るい場所を見つけながら走ればいいんだね」というワンフレーズ。ぐっさりやられた。今の私が求めているものがそこにあった。

正しさは自分の中でいつでも揺らぐものだし、考えるのも疲れる。考えたところで何年後かにその正しさがあっているかどうかなんて分からない。

でも私の感じる、あるいは、感じた明るいは、時を経てもいつでも明るい気がしていて、一貫性がある。だから安心できる一つの基準になるのだ。

性格はこうやってネットの海に誰宛でもない文章を書いているのだから、相当、根暗だ。でも暖かい場所が欲しい。明るくて、眩しくて目が開けられないほどの光が、たまには欲しいのだ。いや、今ほしくてたまらない。

なんて、思っていたら、気付いたら、もうすぐで6時。
朝だ。外に出よう。本を持って。目的もなく、ただ散歩という口実をつけて。



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