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〈何故、社会が存在するのか〉『社会契約論』(ルソー著) その1

「何故、社会が存在するのか?」

我々人間は、生まれながらにして、どこかの国に属し、社会に属し、家族に属し、名前が与えられ、番号で管理され、教育を受けさせられ、勤労を求められ、法に縛られ、税金を払わされ、死ぬまで管理されていく。

これは何故なのだろうか?
生まれてから一度は考えるだろう。

逃げ場がない、窮屈な世界に感じる事もある。

望んだ訳ではない。「勝手に」そのようにある様に求められているのだ。

現在の社会は、既に出来上がっているシステムだ。
僕らが生まれた頃には完成していた。その中に生まれたに過ぎない。

「こうしたい」という要望が自分の口で伝えられる年齢になる頃には、
社会に馴染む様に念入りに教育されている。
この様に生きるのが良いとプログラミングされている。

納得する前に、法律や慣習、文化というルールを身につけさせられる。

少なからず誰しもが抵抗を感じるであろう。

これは何故か。
何故社会があるのか。

結論、社会がなければ、我々は「まともに生きていくことができないから」に他ならない。
お金があれば、いつでもごはんが食べられる。
道を歩いていて強盗に遭うことがない。
舗装された道路を歩くことができる。

これらは、社会に属しているから享受できている。

社会は契約によって成り立っている。
そうでなければ、赤の他人同士である僕たちが、争いなく毎日を過ごせるわけが無いのである。

毎日食べるご飯に毒が盛られていないのは何故か。
毒を盛る事はいけない事だと決められているからである。

1,000円のものを1,000円札で買えるのは何故か。
紙幣に価値を認めるとルールで定めてあるからだ。

車が赤信号で赤信号で止まるのは何故か。
止まらないと罰せられる為である。

人間はルールを結び合う事で、互いに平和に生きる事を保証し合っているのである。

ルールで守られているのである。
逆に言えば、自分もルールを守らなければ成り立たなくなる。

サッカーをしていて、自分以外はルールを守ってプレイしているのに、
自分だけルールを無視した途端、ゲームは成り立たなくなる。
混沌と化すだろう。

友人同士でお金を出し合って何かを買うときに、自分だけお金は払わずに買った物を同じ様に使えるだろうか?
自分は良いが、周りは不満を持つだろう。

誰かにルールを強いる代わりに、自分にも同じルールを課さなければ、そこには不平等が生まれ、嫉妬が生まれ、やがて争いになる。

戦争になれば、秩序は破壊される。
歴史上、その様な争いは幾度も繰り返されてきた。

ルールが無く、いつでも戦争になり得る環境で、人は生活したいだろうか?
多くの人は、嫌だろう。

何故、働くのか。
働かなくて良いのだとしたら、大多数の人は働かなくなるだろう。
少なくとも全体の作業効率は落ちるであろう。
そうすると、働いていない人の分を賄う食料や、生活品やサービスを提供できるだろうか。
そして、働いている人たちは不満を持たないだろうか。

社会は闘争状態に陥るであろう。

労働力を提供し、税を納めるルールを守る事で、社会の均衡を保っている。

なお、上記に関し、私は善悪を論じるつもりは全く無い。
ただ、少なくとも社会はその様にできているらしく、長い歴史をかけて作られたシステムの中で自分たちは生きているという事を、
この著書を読んで感じ取ったに過ぎない。


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