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【岡田斗司夫ゼミ#520の感想】階層化する世界、chat gptが変える教育

無料放送の感想を書きます。全部の質問に関して感想を書くのは難しいので今回はツノゼミさんの相談に関して感想を書いていきたいと思います。

質問の概要
全国の教科書をwikipediaに変えれば授業が改善される、Wikipediaは知識量が多いので良いのではないか

岡田斗司夫の回答
今後日本を含む世界は階層化が進み、貴族層(金融資産で生活できる)、アッパー層(貴族階級を目指す)、一般層(生活できるがアッパーではない)、貧困層(その日暮らし)がピラミッド状に分布する世界がくる。
質問のような発想は一般層以下のもの、アッパー層以上からはwikipediaのようなものを軽んじて、本のような有料のものを読む。
つまり一般層以下にとっては有益だが、教育におけるスタート位置が変わってしまうことになり知識の階層化を加速することになるので賛成しかねる。

解釈
割と難しかったので岡田さんの回答の僕なりの解釈を考えると、wikipediaのように簡単に知識を深められるものを教科書にすると頭のいい貴族階級の子供はすぐに自分で勉強して教育課程が開始された時点で、知識レベルにかなりの差が生まれてしまうということだと考えました。
岡田さんはよく動画にもしていますが、遺伝によって頭のよさや努力のレベルが変わるという考えを持っています(僕もそうですが)。貴族階級になれるような人の子供はもちろん遺伝によって頭がよく、努力もでき、知識欲もあるのでwikipediaのようなものを教科書にすると簡単に知識を深めてしまう。
紙媒体の教科書を使わせていることで、真面目な貴族階級の子供の知識レベルは教科書を大きく超えないので、大きく差が生まれないのではないかと考えました。

wikipediaを勉強に使うと
岡田さんは敢えてスケールを大きくとって話しましたが、僕は狭めて考えてみたいと思います。結構なwikipedia好きの自分からすると、wikipediaの勉強における利便性は質問者さんも言っていますが、知識量の多さにあると思います。より具体的に言うと知識の互換性、包括性にあると思います。
wikipediaの特徴として記事の中で、青文字になっている単語をクリックするとその単語の記事に飛べるという特徴があります。
例えば岡田斗司夫の記事を読んでみると「ガイナックス」、「日本SF大会」など関係性のある記事に飛べることが分かります。
勉強において知識のつながりはかなり大切だといわれることが多くwikipediaは知識のつながりを強化できる要素が詰まっています。そういう点がwikipediaの勉強における利便性なのではないかと思います。
ただwikipediaがいいところしかないかというと、実は教育に向かない点もあるのではないかと思います。それは勉強のルートを作りずらいということです。教師が無限にいるのであればwikipediaでも教科書の代わりになると思いますが、自分の好きなことばかり学んで知識の偏りが出てしまうという可能性もあります。
自分の好きなことばかり学んでいるのは一見良いことのように思われますが、やはり深いところに行くと数学的な計算や、文章力、英語の論文を読む能力も必要になってきます。
現実的に考えるとやはり教科書がいいのではないでしょうか。
ただ今後chatgptのような人工知能がより発達すれば実質的に日本は無限の教師を獲得してwikipediaでも知識の偏りが出ないような教育ができるとも思います。

余談ですが、岡田斗司夫さんが書いた本である「僕たちの洗脳社会」は岡田斗司夫さんの考え方を知れると同時に自分の糧にもなると思うのでお勧めです。

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