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私の原風景

原風景の中の私は 自我や自意識が芽生える以前の幼い姿

しゃがみ込んでうつむいて 棒っきれで地面に何か描いている
絵のようでいて絵でない 形のようでいて形になっていない
ぐるぐるざりざりうねうねと 土の上に描かれた何か

肩越しに振り向くと大人たちの足が見える たくさんの足 
スカートを履いていたりズボンを履いていたり
見えるのは腰のあたりまで 
上半身も顔も霧に溶け込むような感じで見えない
その光景に彩はなく モノクロかセピアのような空間
 
この場面は、おそらく祖母のお葬式
大人たちは弔問や接待 葬儀にまつわるあれこれに追われ
物の道理も分からぬ幼児は ひとり 蚊帳の外におかれていたのだろう
 

祖母はとても美しい女性だったそうだ。
母や親戚のおばさんたちから そんな思い出話を聞かされても
わずかに残っている祖母の写真はどれも しわしわの痩せたおばあさん
シンデレラや人魚姫など絵本の挿絵を「美」と思っていた幼い私の目には
祖母が美しい女性とは思えるはずもなく

そもそも私には祖母の記憶が一切ない。
おしめを変えたり抱っこされたり
 添い寝をしながら子守唄を歌ってもらったり・・・
きっとそんな触れ合いもあっただろうが幼い私の心には一切残っていない。

たったひとつの祖母の記憶らしきものはお葬式の日の光景
おそらくこれが私の原風景
 
だから、これから書きだそうとしている祖母の話は、
どれも身内の誰かに伝え聞いた内容
私には、まるで小説かドラマのあらすじのようにしか感じられない。

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