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文章は私の分身。ずーっとそこに居ていいんだよ🌱🌟

 noteを始めて、沢山の人達の文章を読むようになって、日常生活に楽しみができました✨✨✨

 記事の内容はもちろん興味深いのですが、それを書いたクリエイターさんのパーソナリティ、人となりを想像しながら読んでいると、あっという間に最後まで読み切ってしまいます。

 文章は、まるで書いた人の分身のよう・・・

 自分の場合もそうです。素の自分が現れて、試行錯誤して言葉をつないでいるその姿が、まさに分身です。読み返すと、恥ずかしくなるような幼い文章に思えても、何か愛おしく感じます。

 中学生くらいから、詩とか童話とか、ポエムっぽい日記とか、大学ノートに書き溜めていましたが、40代のある時、全て破って捨ててしまいました。どんな心境だったのか、、、

 過去を捨てたくなったのです。新しい自分に生まれ変わりたくて。その大学ノートをみると、過去の自分があからさまに映し出されているから、読みたくなくなったのです。辛い気持ちや惨めな気持ちになったとき、それをそのまま書いてきたから。誰にも見られたくなくて。

 その時は、捨ててすっきりしていました。これで昔の私は消えたんだ、と。嫌いな自分を見ることはもう無くなった、と。

 でも、今は後悔しています。なんて可哀想なことをしてしまったのか、と。大切な自分の分身を、闇に葬ってしまいました。昨年くらいからエッセイのようなものを書き始めて、後悔の念は強くなるばかりです。

 その時その時の気持ちを、真正面から受け止めて綴ってきた自分を、捨ててしまいました。ごめんなさい、私の分身達・・・

 どんな時の自分も、大切に受け止めてあげる。優しく見守る。今の私ならできるようになったみたいです。

 これからは、どんな駄文やつぶやきも、宝物としてnoteの中に、その存在を見守っていてあげるつもりです。

 文章は、書いたその人の分身。初めて出会う人と待ち合わせして、ドキドキときめくような新鮮な気持ちで、今日も読ませていただきます☺️☺️

 私の分身が今日またひとり増えました。読んで頂きありがとうございます☕ また読みに来て下さいね😄


 

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