【知られざるアーティストの記憶】番外:宗次郎に会いに
2023年12月2日は、彼が亡くなってちょうど1年5ヶ月の月命日だった。私は少し前に急に思い立って、この日に宗次郎さんのコンサートを予約していた。群馬県の甘楽町(かんらまち)文化会館というのは、私の住むところからは、行こうかと思えるぎりぎりの遠さの会場であった。先月には家からすぐ近くの会場でも開催されていたというのに、情報と気持ちが一致したタイミングがこの群馬の日程だったのだ。
私の住む町は絹織物が盛んなところだが、宗次郎さんに呼ばれたこの町は富岡製糸場のすぐそばだった。
そして、この町に着いた途端、鷺、鷺、鷺。
鷺の大群に出迎えられた。
そして、天狗の棲む山から来た私を群馬の大天狗様が出迎えた。
宗次郎さんが甘楽町文化会館に呼ばれるのは三回目とのこと。およそ車でしか行かれない辺鄙なホールはほぼ満席だった。年配の人の姿が多く、オカリナを愛好している層が多いような印象。私は後のほうの席だったが、その一列後には若い母親に付き添われた小学校高学年くらいの美少年の姿があった。
私はちょうどあの少年くらいの歳に、「大黄河」の宗次郎さんを観て憧れたのだった。小6の誕生日プレゼントに楽器屋さんでオカリナを買ってもらったものの、オカリナ奏者にはにはならなかった。オカリナは家で眠ったまま、イクミさんに会うまで宗次郎さんのことも思い出すことはなかった。
あれから30年以上も活動を続けて来られた宗次郎さんの姿を、私は初めて生で拝見した。彼のプロフィールに書かれた生き方とYouTube動画に映された姿からは、イクミさんに極めて近い魂を彼の中に感じ取っていた。遠くの席から私は、彼の演奏する姿とトークの中に、彼の人となりをじっと見つめていた。どのように世界を認識し、何を感じ、どのように歳を重ねて、どんなふうに老いているのか。
宗次郎さんという人は、森の中で人知れずオカリナを吹くことこそを愛しているのに、若い頃にうっかりスターになってしまったため、性に合わない露出を余儀なくされた人生の人、という印象を私は持っていた。彼の演奏する姿は、彼の生きている日常の姿そのままであるように見えるのに、ステージ上で目立たされることに関してはどことなく居心地が悪そうに見えるのだ。少なくとも、YouTubeに映し出される若い日の彼は。
ただ、その人生を受け入れて長く続けてきた彼は、ステージ上でも自分のスタイルを確立し、その中に安住できる人として私の前に現れた。というのも、彼はステージ上であまり話さないイメージだったのだが、実際は決してお上手とは言えなくても、彼のスタイルを確立して、ぽそぽそとたくさんお話ししてくださるのだった。その中の彼は、孤高で寡黙でミステリアスな人ではなく、案外素朴で庶民的で親しみやすい人であった。もう少し人間離れしているワダイクミに比べ、宗次郎さんはよほど人間であった。
おそらく元々はそっくりな形の魂を持つ二人であったが、かたや若いうちに有名になり、異なった道を歩んだ結果、二人の人生の咲きかたに大きな違いが生じたのではないか。
宗次郎さんの音色は芸術品だった。明瞭で奥行きがあって、磨き上げられた完成品のように危なげがなく、美しかった。前半の何曲目かにアカペラで「ふるさと」、そして伴奏つきで「母さんの歌」を聴かせてもらったとき、思わず涙した。これは私じゃない。イクミさんが泣いたんだとなぜか確信した。今回のバンドは、ピアノとパーカッションとアコースティックギターで、どれも力のある人のようだったが、曲にもよるのだろうけど、オカリナはアカペラが圧倒的にいいと感じた。
曲目には「大黄河」がなく、やっぱり近年はあまりやらないのか、でももしかするとアンコールで……?などと考えていた。アンコールでもやらないのかもしれないけれど、やっぱり私は大黄河を聴きに来たんだよなぁ、と。アンコール、息を飲んで見守ると、彼が放った最初の音は紛れもなく大黄河の出だしの音だった!そこでまた涙腺が決壊した。(これは私の涙だった。)
バンドがはけてから、宗次郎さんは
「ここで終わりの予定だったんですけど、サプライズでもうひとつやります。いや、リクエストいただいたんです。もう12月で、そんな季節だなあと感じたものですから。」
とアカペラで「きよしこの夜」
続いて、
「みなさんを送る曲です。それではまた。」
と「遠き山に日は落ちて」、2曲をプレゼントしてくれた。このアカペラの音色は、一生私の中に残るものとなった。
サイン会に人が押し掛ける。私もCDを買い、その列に並んだ。次々にサインし、握手をしていく。こんなにたくさんの人々に触れて、エネルギーを奪われないのかと心配になる。オカリナの森に還って洗濯をするから平気なのかな? オカリナを買って箱にサインしてもらうおばちゃんは誇らしげであった。宗次郎さんはすでに顔馴染みもいるみたいで、親しげに挨拶したりする。
私の番が来た。同じように手を動かしながらも、宗次郎さんは私を見てハッとしたような顔をされ、
「地元のかたじゃありませんよね?」
って言った。
「あ、はい、東京から来ました。」
「わぁ、遠いところから、ありがとうございます。」
なんて言っていたけど。え?どうしてわかったの?私が地元の人じゃないって。すごく不思議だった。やっぱり彼もまた、敏感な人なのかもしれない。
「お手紙を書いてきたんです……。」
私は出発の朝に書きなぐってきた小さな手紙を宗次郎さんに渡した。
宗次郎さんがこの手紙をどのように感じたかはわからない。もしかすると、あの気前のよいサプライズ曲といい、宗次郎さんは会場内にいる見えない観客の存在を確かに感じていたのだろうか。
遠路付き合ってくれた家族に大感謝。
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