#7 休んでいる子に「勉強したら?」と言わない理由
平日は変わらず、長男・次男ともに学校を休んでいる。
家では何をしているのか?
ーーーゲームとYouTubeだ。
葛藤がある。
「勉強したら?」「ドリルはしたの?」「ゲームばかりして」…
と言いたいことは山ほどある。
でも、言わない。
次男が休んだ時に、勉強を話題にしたことで、初めのうちは頑張ってやっていたから、繰り返し伝えていたら、段々と癇癪が出てきたから、だ。それも、ひどくなっていったからだ。(現在は落ち着いて、あまり癇癪を起こすことがない)
癇癪の中身は、
・大声で泣き叫ぶ
・暴言「死ね」「ばか」「うっせー」「あっちいけ」「じゃま」「は?」等
・手足をバタバタさせる(漫画みたいなやつ)
・壁や窓を脚で蹴る(壊れそうなくらい思いきり)
・物を投げる
(でも手加減?をして壊れないもの、投げても物に当たらないように加減をしながら、のように感じた)
などなど、まあいろいろやった。
今振り返れば、苦しくて休んでいるのに、家で母親にあれやこれやとうるさいことを言われたら、そりゃあ、
「やめて!」「うるさい!」「くるしいよ」「しんどいよ」
と、言葉にならない気持ちが溢れて行動に出てくるよなあ。
でも、当時はそれが分からなかった。
次男も辛かった・苦しかっただろうけれど、母の私自身も苦しくて、しんどくて、どうしたらいいのか、何をしたらいいのか、どう行動すればいいのか、全く分からなくて、もがいていたから。
自分の苦しさを、一人で抱えきれなくて、解消できなくて、本人に次男にぶつけることしができなかった。未熟だよな。
通勤の車内で泣き、風呂で泣き、職場で涙をした。
泣くことは今もある。
次男のことはだいぶ(言葉は悪いが)慣れた、受け入れた。
一方、長男に対しては、気持ちの波がある。
結局、母の私のその時のストレスや世間体、べき・ねばの勝手なフッと沸き起こる義務感から、子どもたちに、感情的にぶつかると、癇癪になる、ことが分かった。
今の願いは、穏やかに生活したい。
だから、学習のことは、一旦置いておく。
本気を出せば、いつでも学びはスタートできる。学校のカリキュラムだけが、生きていくために必要ではない、と言い切る自信は決してないけれど、私自身のエネルギーが枯渇しないように、子どもの問題に過干渉しすぎないように注意している。
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