【代表コラム】「人生の中で一番頑張った」と言える経験は、きっと大学時代に積める
増井電機株式会社の代表取締役 増井伸一です。
少しばかり、私についてご紹介します。
私は近畿大学理工学部電子工学科卒業(※)です。※現在は電気電子通信工学科
でも1年留年しています。本当は国立に行きたかったんです。予備校は代ゼミに通いました。成績は現役時よりも当然上がったのですが、残念ながらセンター試験で目標点に到達できず断念しました。今でもそうですがとにかく色んな学科があって生徒数はすごく多いです。
もう1年の努力の末に、無事合格。大学生ライフをスタートします。
近鉄長瀬駅から大学までの通りは飲食店も含めて色んなお店多いです。授業の合間にはよくゲーセンに行ってましたね。なんせ1回30円と安くて長く遊べてとても良い時間つぶしになりました。
以下は構内から見た西門のイメージ図です。この赤いレンガ作りが特徴です。
大学の授業は・・・
必須科目は以下の通りです。
・電気/電子回路
・電磁気学
・電子計測・情報工学
他に、一般科目としての英語/ドイツ語、文学系で日本文化論等を選択していました。日本文化論では落語や歌舞伎の内容で一度本物の落語を見に行った事もあります。
授業はほぼ真面目に出ていましたが、2年生ぐらいになるとなるべく午後の授業を取るようにしていましたね。夜にアルバイトもしていたので朝行くのがつらかった為です。
情報工学の授業は、正直良くわかりませんでした。ブール代数って…?正直、未だに分かってません。
実習はUNIX(Linuxの先祖)です。C言語で課題が出されたのですが、当時さっぱりわからず、友達の作ったものを少し変更したものを提出していました。
また、実習科目でシェルを作るというのがありましたが、これもわからず途中状態で提出した記憶があります。それでも単位は取れました。
卒業研究は大変だった・・・
私の卒業研修は、回路シミュレータを用いたコプレーナ線路の解析でした。
PCの回路シミュレータソフトを使って、コプレーナ線路という2つの溝を作成した回路を疑似的に作成してその間に流れる電流の特性を図るというものでした。
・例えば溝の幅を変えたり深さを変えるとどう変化するか?
・流す電流値を変えるとどのような変化グラフとなるか?
といった事をやっていました。
といっても4年生なので就職活動と並行してですから、そんなにやっていませんでした。
少しだけ実行結果を研究室の先生に見せていたくらいです。
しかしながら卒業が近づいてきて仮作成した卒業論文を先生に見せると、あれが足りない、
これは何の事だ!もっと計算結果が必要ではないか?といった指摘が出ました。もっと早く相談していれば良かったのですが。。。
少しの内容で出来ているものだと勘違いしていたのでしょうね。
そうなると回路シミュレータソフトでもっと計算して結果を出す必要があるのですが
・PCが3台しかない(スペースの関係上置けない)
・開始から終了まで時間がかかる(ソフトの計算に時間がかかる)
・他のゼミ生も同じ状況でPCの取り合い
になりました。夜遅くまで研究室に居て、徹夜した事もありました。
徹夜した時はあった椅子を並べて寝ていたのですが、体中が痛くて眠れなかったですね。
一時はどうなる事かと思いましたが、何とか卒業論文を書き終え先生のOKをもらえました。
卒業証書授与の時に先生からの一言。
「これからはもっと前に相談するとか考えて行動しないと行けないよ」
心に刻まれた言葉でした。
就職活動と内定迄
そんな私が4年生になると就職活動が始まりました。
まずは当時メジャーだった通信系(ドコモ/関西デジタルホン:今のソフトバンクの前身)に応募しましたが、ことごとく1次試験で脱落して2次面接に行けず…。その時にパナソニック系列で新規にソフト開発の会社が出来る(1期入社)という募集のはがきが届いたんです。
これはと思いましたね。
・その頃(1990年代後半)ソフト開発の黎明期で人が足りないとニュースになっていた!
・プログラムを自分で出来たら恰好いいな!
・1期入社なので募集人数が多い+先輩がいないので自分が上司(トップ)になって出世できる!
という事から、どうしても入社したいと思いました。
幸いな事に1次試験はパスして2次面接に進める事になりました。2次面接は将来実現可能な業務システムの提案書を書いてプレゼンして下さいとの事でした。何を書いたら良いのかさんざん迷いましたが、電車の接近システムの実現について提案する事にしました。電車がいつどの駅を走っていて現在の駅に何時に到着するか?といった事を書きました。
どうしても通りたかったので、私の父に相談して内容の妥当性とプレゼンの方法をアドバイスしてもらいました。今迄そのような事は1回も相談した事はなかったのですが、とにかく熱血指導でしたね。もっと字を大きく、図を分かり易くとか腹から声を出せとか…。何回も添削や指導してもらいました。今でもそれは覚えています。
ここまでの人生で私自身こんなに頑張った事はありませんでした。
その努力とアドバイスが良かったせいか、見事に2次面接/役員面接も通り、希望の会社に入社する事が出来たのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?