『日本に死と生の権利を』命を大切にする 安楽死の会 宛先:厚生労働省、法務省


私たちは現在、安楽死の実現の可能性を少しでも広げるため
キャンペーンを立ち上げております。


日本にも安楽死制度を

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私もこのキャンペーンの賛同者の一人です。


安楽死というと、皆さんはどういったイメージをお持ちになるでしょうか。
私は、今まで様々な現場に立ち会って思ったことは、


知っているでしょうか。
丁度今日の事ですが、路上である中年男性が走行車に身を投げたんですよ。

なんでだか分かりますか?それはですね・・・

生活保護が貰えるからなんですよ。

車体の下は、黒い静脈から出た血液と、赤く鮮やかな動脈から出た血液の二つが入り混じっていて、その惨状がまざまざと思い浮かびましたよ。

きっと痛かったでしょうね。粘膜をつねったときの痛みの数倍はあるでしょう。

飛び出すとき、すさまじい恐怖心に駆られたはずです。あるいは、飲酒状態にしておいて、わざと麻酔状態にしておいたか、ですが。後遺症が残る危険は、考慮できるはずです。本能とは、そういうものですから。皆さんは、限界まで飲酒したあと、トラックにはねられても平気だと思えますか?

そうまでして生きなければならない理由とはいったい何なのか。
私にはわかりかねますね。

と、いうわけで、皆さん、賛同者はぜひぜひキャンペーンページにてお願いいたします。(^_-)-☆

数々の良さそうなコメントが寄せられております。
それを一覧致しますので是非ご覧になってください。


【生きる義務ではなく生きる権利を望む気持ちを伸ばしたい
です】


【テレビのドキュメンタリー番組で、だんだんに体の自由を奪われていく病気の女性がわざわざ安楽死のために海外に行く話を見ました。「わたしがわたしでいられるうちに、自分の命を終わらせたいと思って来ました」と言っているのを見て、自分が自分でいられなくなる恐怖と闘う人の苦しみを思い、人としての尊厳を守るための積極的安楽死も保証されるべきなのではないかと感じました。】


【わたしは癌で身体中痛くて数分も眠れなかった時、病院の室内に紐を引っ掛けるところが一切なかったことや、窓が10センチしか開かない事に絶望した。ALSでもっと苦しんでいる人を助けた医師が逮捕されたことは疑問に思うし、次に動けなくなった時、スイスなどの言葉のわからない国に行けるのか、お金もない。安楽死制度を強く願う】


【極めて慎重な制度設計が為される場合にのみ賛同です。
我が国においてこの制度は同調圧力その他により
アウシュビッツと化してしまう恐れのあるものです。】


【安楽死には賛成ですが、ただ賛同すると書き込んだだけでは例えメディアなどで取り上げられたとしても反対意見によって「難しい問題ですねの」一言で話を締めて有耶無耶にされてしまうでしょうから、安楽死の必要性と反対意見に関して無意味かもしれないが私なりの見解を書かせてもらいます。

 多くの人は今ある苦しみに対し解放されるために安楽死を望む人達が居ることは周知されているでしょう。

 では何故、反対意見が起きるのでしょうか?

 コレには二つ理由が存在する。

 一つは死が救いと言うのはあくまで想像の範囲であると言うこと。
 死んでしまえば苦しみない虚無に至るとか天国に行くだろうと言ったところで科学技術が発展した現代でも死の先に何があるかは未だ証明できていない。
 仮に我々の想像の及ばない地獄のような世界が死後にあったとしたらどうだろう?救われるハズがもっと苦しむことになるというのはなんとバカげた話ではないだろうか。

 さらに、安楽死など自死を求める人について時事通信社から出版されている『操られた死 〈安楽死〉がもたらす者』によると『自殺幇助や安楽死を望む人たちの最大の動機はほとんどが、現在の痛みや苦しみよりむしろ、やがて我が身にふりかかってくることへの恐怖なのである(H.Hendin,‘‘Suicide and the Request for Assisted Suicide: Meaning and Motivation,”Duquesne Law Review,1996,35:285-310.)』と書かれており、また、『全自殺者の四分の三はなぜ自殺したかの理由を書いてた遺書を残しているが、自殺が不必要になる何かが起きて欲しいと願いながら自殺してしまう人々も多い』とも記述している。

 要するに自死に至る原因を取り除いたり苦痛を緩和すれば安楽死を望む人は少なくなるため死によって苦痛から脱却する以外の方法の模索と社会的支援の強化が最善であるがために安楽死制度に反対する意見がでるのである。

 事実『操られた死 〈安楽死〉がもたらす者』には、安楽死を行った医師が死にゆく患者の求めに応じて治療を停止したことや鎮静剤使用を含む十分なケアを行えば痛みを完全に除去できることを知らなかった医師も多く、それを知った医師のほとんどが緩和ケアを行うようになったことに関しても指摘している。

 しかし、実際にはソレだけやっても苦痛から解放されず愛する家族に経済的な負担を掛けさせたり、脳の病などで感情のコントロールが効かなくなり自分の意志と関係なく誰かを傷つけてしまい自己嫌悪に陥るような場合、誰かのために死を渇望することもありえるだろう。

 仮にこの状態に陥ったとしても安楽死を認められないのは明らかにおかしいことである。

 しかし、安楽死反対派これに対し安楽死を認めることによって死ぬことを強要できる社会。同調圧力で人を死に導ける社会になるとし、また、安楽死の対象をどこまでとするか?容認後に対象範囲拡大などの懸念材料を基に認可しない。

 ハッキリ言わせて貰えばコレは詭弁である。なぜなら手間や時間などは掛かっても安楽死が合法の国に渡れば日本人でも安楽死を受けられるからである。

 この点に関しては完全に矛盾しているとしか言いようがない。

 もしも、安楽死が絶対に認められないものであるならば安楽死を目的とした海外渡航並びに安楽死を目的とした国籍変更の禁止をなぜ行わないのであろうか?

 まさか国内で安楽死の事例さえ起きなければ何も問題ないとでも思っているのであろうか?

 仮に、国外では安楽死の基準を満たしていながら財政的理由などで国外に行けずに安楽死を求めても安楽死制度の恩恵を受けられない場合があったどうだろう?

 こうなると経済的に余裕のある人間は安楽死のサポートを受けられるのに貧困層はその制度の恩恵を受けられないことになる。

 それは即ち国家が掲げる機会の平等に反していることになり大きな矛盾である。

 この矛盾解消には二つの道しかない。一つは前述した通り安楽死を目的とした海外渡航並びに安楽死を目的とした国籍変更の禁止の法整備と安楽死を求める人への支援強化を行い。明確に安楽死反対の立場をとるか安楽死制度を賛同し法整備を進めるかのどちらである。

 中間はない。問題点を指定された上で有耶無耶にしたり無視することは安楽死を黙認したことと同義となるからである。

 賛同になった場合。安楽死反対派は「周囲に迷惑かけないために早く死のうよ」といったような死の同調圧力の問題や安楽死容認よって起こる労働力低下・経済的ダメージを問題視するであろうが、そもそも安楽死を必要とするほど悲惨な事例と言うのは少数であり経済への影響はまずないであろうし仮に影響があったとしたらソレは病気を患った時点で影響が出ているはずである。

 死の同調圧力を気にしている反対派の意見も安楽死が認められたら日常的に起こる障害や病気に自分が患ったら死の同調圧力で殺されるかもしれないという漠然とした不安から来る考えでしかないように思える(自分が調べた限りでは死の同調圧力を理由に安楽死反対する人たちは安楽死を必要としないように社会支援などを充実させるべきとした意見がなく自己保身的で安楽死を必要とする人たちに寄り添ってるように感じられなかった)

 仮に私のような人間の意見が通ったとしても少数派のための安楽死制度なため日常的に起こる病気・障害を理由に安楽死を求めても法的に象外されるでしょう。それでも安楽死を必要とするほどの少数事例の当人になる可能性を恐れるなら生前意思。いわゆるリビング・ウィルでいかなる状況下においても安楽死を望まないと示して置けば良い。

 まさか安楽死反対しておきながら自分が苦痛に苦しんだ瞬間に手のひら返しして主義主張を変えたりはしませんよね。

 それでも、周囲に死を求められた場合、集団に流されやすい人が危険だという反論もありそうですが、安楽死が適応される患者とその親族に対し医師側が安楽死を望むような発言を控えるよう釘を刺しおき患者側には安楽死を求められるような発言や雰囲気を感じ取った場合、デス・ハラスメント(ネット上で死の同調圧力に対して説明するさいに使われた造語)で訴えられるような法で保護できる制度を用意すれば良い。
 もし、裁判になった場合は患者側は代理人などを立てる必要が出る上に基本的に金銭的な解決でなく禁固刑などになるだろうが、法的保護と医師などのの専門家に相談できる環境を整えれば死の同調圧力への牽制とメンタルケアを十分にできるだろう。

 最後の問題は、安楽死制度を受けられる条件である。

 コレに関しては素人の私からでは十分な提案ができないが、安楽死を認めていく流れとなればスイスやオランダなどの既に安楽死制度を認可している国を参考しにした上で専門家たちによる話し合いの末に構築していくことになるだろう。
 少なくと海外の安楽死基準を満たしていながら金銭的などの理由で現地に行けないせいで安楽死を受けられないような場合は日本でも安楽死ができても良いハズである。

 安楽死制度は社会全体で見れば本当に必要とする人はごく少数であり政治家からすれば優先順位の低い話でしかないが、そこから目を背けることは結果として生きる苦しみに悩む者たちに向き合わない社会へと繋がっていると思う。

 安楽死を否定しながら多くの者が安楽死を必要としない社会を作るにはどうすれば良いか考えないのは何故なのだろうか?

 それは誰しも生きる苦しみから救えるものではないと知っているからに他ならない。

 ならば、死の同調圧力にも、どのような理由があろうとも生きるべきと言う生存への同調圧力にも屈することなく。死後における希望的な安らぎすらもないかもしれない悟っていながらもせめて現世での最後だけは苦痛なき死を望む者のささやかな願いくらい叶えてやったって良いではないか。

 もしも、安楽死の権利を奪うことが許される者がいるとすればソレはその者に幸福を与えられる者だけだ。

 おそらく安楽死を否定できるものは苦しみに寄り添える者だけだと言われれば、過ぎたる理想に嫌気を差し、誰しも匙を投げるだろう。

 だとするならば、安楽死は肯定されて然るべき制度であると私は思う。】


【安楽死って結構国が潤うと思いませんか?
国がそれを行って富裕層のみに多く課税することによって、その税金を次の世代の若者の教育につぎ込むというのはどうでしょうか。
死ぬ時間を決められて、死ぬ前の病から解放されるなんて彼らからしたら最高の法律です。死んだ後のお金なんて何の価値もない。金より怖いのはいつ来るかわからない死の恐怖のはず。
若者の出生率が低いわけですがそうなると子供を育ててそのまま高等教育までいけるようなシステムもあれば最高なんでしょうけどね それを安楽死の税金で賄うとかまさに、未来へと託すシステムみたいでいいじゃないですか。
問題は悪徳医療関係者ですね。
彼らは患者から金を搾取することを人生にしている。患者数が減るような法律は良しとしない。
また生命保険会社も敵となるでしょう。
同調圧力については見識がないためよくわかりませんが
私は死と生の権利という意味でこの政策を推します。】


【但し、安楽死の名の下に障害者や政治的反体制派・少数民族が虐殺される様な事態は過去の事例(ナチ党政権下のドイツ)に代表される様に容易に想定し得る話である以上、其れを防ぐ為の厳重なる法規制を設けるのが絶対条件である。】


【重い精神疾患に苦しむ者です。どうすれば生きれるか?よりどうすれば死ねるか?ばかりを毎日考えています。本当に辛く暗く、先の見えない病の中。安楽死という手段を選ぶことが出来れば、自殺による他者への迷惑•被害が最小限に抑えられ、家族や友人知人にも綺麗にお別れと感謝を述べることが出来ます。
もはや"死"以外の幸せは考えられず、これは唯一の救済です。どうかこの積極的な【安楽死】について少しでも広まり、皆様が考え、近い将来、制度化される事を願い、祈ります。】


【理由はどうであれ、自らの意思で生まれてきたわけではないのに、生きていくために仕事、税金等を強要され、病気になっても延命を強要される世の中はどう考えても異常だと思います。
安楽死という最後の選択肢があれば、生きやすい少しは世の中になると思います。】



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