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【ネタバレ感想】17年越しの日常【真3HD】

季節がいつだったかはもう思い出せないけれど、当時の上司に猛烈にプッシュされて手に取った「真・女神転生III -Nocturne-」っていうRPGがありまして。プレイヤーの選択によってエンディングが分岐するいわゆるマルチエンディングなんてのもきょうび珍しいものではなくなりましたけど、本作のそれはほんとうにプレイヤーの思想信条とか人生観がモロに出るんです。それがおもしろくて、だいたい5年にいちどくらいでリプレイしてたんです。PS2引っ張り出して。んでその度に別のエンディングにたどりついてしまうっていう……。

で、今年その HD Remaster 版がPS4で出ました。
それもマニアクス版ベースで。
※ヘッダ画像は公式から

わたしがやってたのはいわゆる「無印」で、マニアクスのことは正直よく知らなかったんですよ。なんかまぁもっとやり込みたい人向けの何かだろう、くらいで。で、フタを開けてみたら新規追加された分のストーリーが、無印では語られていなかった重要な部分をかなり含んでいて、それも踏まえて2周してみて、17年越しでようやくこの作品を「飲み込む」ことができたなという感慨がひとしおあり、こうして筆を執っています。17年前のゲームにいまさらネタバレも何もという気もせんでもないですが一応そういう内容ですよ。一応ね。

ストーリー、キャラクター、コトワリについて概要のご案内

見込み読者(何人かの友人)に、この作品についてあまり詳しくない人もいるので一応ご案内。

公式
http://shin-megamitensei.jp/3hd/story_character/

ネタバレにギリギリなるかならないかレベルくらいの概要として流石に公式なのできちんと書いてあります。そして本作には全部で6種類のエンディングがあり、そのうち特定のコトワリによるものが3種類あります。以下、ぞれぞれのコトワリについて感想とか深読みとか。

◆ヨスガ

公式にも記載がありますがギッチギチの選民思想です。弱いことはそれだけで罪というのでボルテクス界各地で弱者(マネカタとかマネカタとかマネカタ)をやりたい放題蹂躙してマネカタたちがため込んでいたマガツヒをごっそりかっぱらって創世しようとします。

千晶が下ろした神バアル・アバター自体は破魔と呪殺に傾斜したスキル構成で、おつきの熾天使2体が回復、バフデバフの解除、4属性魔法、物理とかをバランスよく振ってきてやっと一揃いというなんとも皮肉な状況。強いものが美しいなんつっておまえら3体でやっと一人前やん。しかもバアルそのものではなくバアル・「アバター」なんですよね。影でしかない。この見切り発車感。

でもこれ千晶の「悩み」なんだろうなと思うんです。
受胎前の世界の千晶って、高飛車なお嬢だけど別に破天荒なわけではなくてちゃんとしてて、お調子者の勇とかなんかぼけっとしてる主人公とかとつるみつつなんやかや世話焼いてくれる天使……までは言わんにせよありがたいJKだったわけですよ。それがあんな荒野に突然放り出されてひどい目に遭って、家とか環境とかを失ったら何もできない「弱い自分」を徐々に呪っていく過程でああなりました。結果的に。

ただ終わってみればそれもこれも全部虚勢半分だったんだろうなと。カクヅチ塔での最終決戦を前に彼女は淡々と、しかし切々と語ります。かつては友であったがいまは創世を争い出会えば戦うしかない敵同士である、しかし『幸いお互い涙も流れぬ体になった』と。完全に吹っ切ってたらこの言葉は出ないと思うんですよ。このくだりはこのキャラの真骨頂ではなかろうかと思います。あの抑制し切れているようでいない感じ、とてもよいお芝居をつけていただいてよかったなと思います。ただ敗戦時には千晶に戻っていて、主人公を味方につけられなかったことを悔やむんですよね。案外あれでもちゃんと吹っ切ってたつもりだったのか、あるいはすでに相当程度バアルに心も飲み込まれていたのか。

それでも彼女は退路を絶って突き進むしかありませんでした。
それが正義だと信じたので。

ちなみに実際にこれで創世すると、なにやら駄々っ広いところに出て、千晶に「ほらあれ見て!強いもの優秀なものだけの美しい国があそこにできたわよヤッター!」みたいに言われてENDです。その後どうなったかは語られません。まぁその、そういう選民思想ギッチギチの国が人類の歴史上どうなったかはここでは語りませんが、たぶんまぁそういうことだと思います。人類じゃなければうまくいくのかなぁ案外。

わたし初プレイのときはこれでした。若かった。勧めてくれた上司に話したら「おンまえ鬼やな!」と言われたのをいまでもよく憶えてます。そうなのよSさん、若い子は残酷なの。

◆シジマ

ニヒロ「機構」とかナイトメア・「システム」とか、いちいちシステム屋さんぽくてそういうとこには無駄にシンパシーを感じてしまうんですが、これは世の全てから「無駄」を排除してただ淡々とかつ永遠に心の平安(=一切の波風が立たない)を享受し続けるための「システム開発」としての創世です。ここの人たちがいちばん勤勉というか、どこをどうしてつくったんだかよくわかんないシステムをゴインゴイン動かしてボルテクスじゅうからせっせと吸い上げたマガツヒで創世しようとします。

この氷川が下ろした神アーリマンは、劇中に曰く絶対の虚無を支配する神と。出典はきっとゾロアスター教の絶対悪であるところの「アーリマン」とか「アンラ・マンユ」とか言われている悪神なんだろうと思うんですが、ちょっとこれ拡大解釈なんですかね。アフラ・マズダの生み出した善なるものを破壊して「虚無に返す」ということなんでしょうか。

氷川はもともとこの受胎を企図して実現した張本人でもあり、それはシステマティックに創世に向けて総司令として歩みを進めていくわけですが、この人も最後の最後で吹っ切れてないところが露呈してしまいます。カグツチ等での決戦時第一形態の「遊戯」がそれです。彼のコトワリからすれば、それこそ遊びなんて無駄そのもので存在してはいけなかったはずで、しかも相性も耐性も何もない問答無用の即死スキル持ってるんだから開幕でそれやればいいじゃんと。遊戯とセットじゃないと使えないのかなアレ。それはそれでずいぶん矛盾していて不完全なことだよなぁと。第二形態もそれこそ配下のモトみたくマカカジャ→メギドラオン延々擦ってくるわけでもなくちょいちょいわざわざ決め技(しかもなぜか物理)出して反射されたりしててカワイーみたいな。敗戦の弁として「虚無が私を迎えに来た」「創世はもう自分には関わりのないこと」と語る彼、ある種の宗教的情熱から解放されて少しホッとしているようにも見えました。

あとやっぱり、目的のために緻密に手段と手順を組み上げていくさまがシステム屋さんっぽければ、詰めが甘くて最後の1ピースがないのに最後に気づいちゃうとこもすごくシステム屋さんぽいなって(問題発言)。

それでも彼は退路を絶って突き進んできたのでした。
それが正義だと信じたので。

このエンディングはたぶんなったことないんですよねわたし。でもなんというか、「や愚人滅」的なしんどい気分が続いてると選びそうな気はします。いまのわたしは以前にもまして「無駄」が好きなので今回も選びませんでした。

◆ムスビ

超個人主義というか、その世界にはその個人「しか」いなくて、「他者」という概念を全部捨てようという発想です。それぞれの個人が並行して存在はしているものの、お互いに全く観測されることがない。だから、自分の好きなことだけやっていられるし干渉される可能性も一切ないからこれでみんなハッピーヤッターということらしいです。ここの人たちは偶然拾った大量のマガツヒで創世しようとします。

正直これがわたしの気分からいちばん遠いというか、他者の存在なくして自分の「好き」をどう定義するのというのがぜんぜんわからないし、事実上無意識化するんじゃないのと思ってます。集合的無意識……はまた別の概念みたいですが、見方を変えれば集合的無意識以外の部分は全部捨てるということでもあるのかなぁ。

そんなこんなでこのコトワリについては長年よくわかんない状態だったんですけど、プレイしていく中ではとほるちゃん=サン( @hathol_chan_ )の見解をいろいろ聞かせていただいてなるほどなーとなってる部分が多くあります。彼が下ろした邪神ノアは耐性が非常に特殊で、4属性のうちどれかだけが通ってそれ以外は全部「反射」です。この無効でも吸収でもなく反射というのがミソで、これはコトワリの特性としての「他者への反発」の表現だと。なるほどなー。最も強い動機はあくまで他者への反発であって、特に何か目指すものがあるわけでは実はないんですよね。だからコトワリの内実が空疎であるかどうかはむしろ関係ないのかもしれません。

それでもとにかく彼は退路を絶って突き進むしかありませんでした。
それが正義だと信じたので。

それぞれのコトワリの対比

受胎前の世界では他者をアテにしがちでそれでも調子良くなんとかやっていた勇が、受胎後はそれがなにひとつうまくいかなくて絶望闇堕ちした結果あらゆる他者を排斥するコトワリにめざめたわけですが、千晶が自分に絶望したのに対して彼は他者に絶望しています。

こうして見ていくと、氷川は人類社会そのものに絶望していて、それぞれ受胎前の世界のありようについて「どのように絶望したか選ぶ」筋立てになっていると見ることができるように思います。

そしてここからがコトワリによらないエンディング3種類について。

◆アマラ

さっきから創世だのコトワリだの言ってますが、そもそもなんでこうなったんでしょうか。無印ではこのあたりの説明はほとんどありません。せいぜい氷川という狂人が人類に絶望して創世を企てたのだ、というくらい。そして随所で登場する喪服の老婆や金髪の子どもについても説明はありません。このあたりの説明がマニアクスでされていました。なんとなく触ってなくてマルチエンディング面白いなーでわたしは終わっちゃってたんですけど、こんなところにあったんですね、説明。

曰く、創世は世界そのもののライフサイクルの仕組みのいち過程であり、数多の並行世界で当然のように起こっていることであって、主人公たちがいる世界でもいずれ起こるはずだったものをたまたま氷川が起こしたに過ぎないと。そしてそのライフサイクルの中で、光の勢力と闇の勢力の争いが未来永劫繰り返されるものと「大いなる意思」が定義したのだ、と。

そうした過程の中で堕天したルシファーは、数多の世界の栄枯盛衰を外から眺めながら、その光と闇の争いを終結させる力を持つ大悪魔となる素質がある者が現れるのを待っていて、それで見出されたのが今回の主人公でした。東京を舞台とした受胎や創世と並行して、ルシファーは魔人たちを差し向けて主人公の力を計り、また育てて、最終的にすべてのコトワリとカグツチを沈黙させるだけの力を持った時点で、光と闇の争いを終結させる最終決戦において彼をその先頭に旗印となる大悪魔として立てる……これがいわゆる「アマラEND」であり、この先頭に立つところというのが、主人公が数多の悪魔を従えたあのタイトル画面の絵だったのでした。意味があったのかアレ、と。後付けかもしれないけど。

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どのコトワリにも与せず、かつこれまでの世界のありよう自体も肯定せずそれを根底から転覆させる意思表示、それがアマラENDであったと言えると思います。この選択肢ができたことで、ようやく無印の頃からあった後述の「先生END」に筋が通った感がありました。

◆先生/悪魔

創世の巫女として氷川による受胎の実現に加担した、主人公や千晶、勇の担任教師であった祐子先生は、氷川の思惑とは別に自らのコトワリを啓く意志だけはあったようですが、実際にコトワリを啓いた三者と比べると圧倒的にその意志は弱く、劇中で彼女が話す「みなが自由で生きる力を取り戻した世界」という言葉はただ虚しく響くばかりでした。実際劇中でその点は氷川に「自由など元の世界にうんざりするほどあったはずだし、自由意志で世界が良くなると心から信じるのなら受胎も創世も必要なかったはずだ」「あなたはただ逃げ出したかったのだ」と喝破されていました。

この意志の弱さと実行力のなさが、実は本作において最も端的に人類を代表していたように思います。劇中でどのコトワリにも与せず、かつそんな人類代表の先生に寄り添いながら、先生に憑いた異神アラディアから発せられる問いに対してどう応じるかでさらにエンディングが分岐します。

アラディアは「自由を享受することで発生する結果を恐れるか」を執拗に問うてきます。これに「恐れる」と答えるといわゆる「悪魔END」となり、受胎だけ発生して創世には失敗してただ混沌が続くだけの世界で悪魔として生きる結末を迎えます。5年ほど前に無印をプレイしたときは確かこれだったのです。当時は釈然としませんでしたが、どのコトワリも気に入らないがアラディアの問いの意味までは理解できていなかったのだと思います。この問いに「恐れない」と答えれば「先生END」なんですが、それはそれで当時は釈然としませんでした。しかしマニアクスで「アマラEND」が追加されたことが活きてくるように思われたのです。

アマラENDは、すべてのコトワリに背を向けるだけでなく、カグツチによる創世の手引きそのものに背を向けてアマラ深界の最深部でルシファーに会うことで条件が満たされます。無印では「どのコトワリも気に入らないけど先生についてくのもヤ」という考え方は悪魔ENDに放り出されるしかなくて受け皿がなかったんですが、このアマラENDでようやくその受け皿が用意されました。そしてその結果として、自由を享受することで発生する結果について恐れることなく(先生の迷いもろとも)引き受けるという意味合いが鮮明になった先生ENDを消去法によらず選ぶことができるようになりました。

わたし自身が単に無知からマニアクスをやってなかっただけなんですが、17年越しでようやく、受胎も創世もごっそりロールバックしてなかったことにして、「うんざりするほど」ある自由やそこから出てくるものについて覚悟を改めて決めなおしたうえでもとの日常生活に戻る、という選択ができたわけです。

なんかね、やっと卒業できた気がするんですよ。

最近いろんなゲームやってて、少し前だとデスストなんかでもゲームでこんな表現ができるんだなと感動したものでしたが、長い間繰り返しプレイしてきた本作で問われ続けていたことにようやく納得して答えを出すことができたなと感慨もひとしおです。こうして全体を見渡してみるとめっちゃくちゃ屈折した人間讃歌に見えてきませんか。そうでもないですか。そうですか。

プレスターンシステムというRPGの戦闘システムにとっては革命的なしくみを叩き出したことでも高名な本作ですが、これまでくどくどと書いてきたようなストーリーの骨太さについてもっと光が当たるといちファンとしては喜ばしいです。

いやーゲームって、ほんっとうにいいもんですね!
それではまた、何か別の作品でこういうのを書くつもりになったらお会いしましょう。
(CV: 水野晴郎)


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