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僕はこれから底辺youtuberになるのだ

いつからだろうか

いつからだろうかyoutuberが子供がなりたい職業にランクインし始めたのは

調べてみると、2016年にyoutuberは初登場し2019年には既に
男子のなりたいランキングでは1位を獲得していた

2016年といえば僕が社会人生活をスタートさせ、そして母が亡くなった年であった
母が亡くなったことは僕の人生の中でも衝撃的だった



実家は岩手県、職場は関東だった

高校生の頃に悪い先輩に毒されていた僕は
「大学は人生の夏休み」
「東京行けば遊び放題」
などの魅力的な言葉に誘われ関東の大学に進学した

一人っ子の僕を母や父は束縛せず県外に出してくれた
大学へ入学した僕は大学生活を大謳歌し夏休みにも実家に帰らず遊んでいた

1年に1回帰れば良い方だった



母は僕のことが大好きで昔からその愛は感じて育った
大学生になっても誕生日には毎年手紙を送ってきてくれた
僕もその手紙を部屋に飾っていたので友達からはよくイジられていた

4年生の頃には総勢100名のサークル長になり文化祭では1000人ほど観客を動員した
完成度は過去3年間と比較しても1番の演出だったと自負している

そんな文化祭に母は来なかった…



実は母も父も大学には一度も来たことはない
一度も僕の家に来たことは無ければ、学校を見たこともない
入学式から卒業式まで只の一度も来たことがなかった



そのまま地元にはUターンせず関東に就職した
就職してからは「GW、お盆、年末の長期休暇には実家には帰ろう」と決めていた

2016年のお盆に久々に実家に帰った
「秋頃になったら関東行くね!鎌倉案内して!」と母は言っていて
「もちろん!」と僕は元気に答えた

関東に帰るときに新幹線のホームまでお見送りに来た母は泣いていた



「23歳の息子を見送るだけなのに泣かないでよ」
と思っていた僕も少し泣きそうだった


そんな中遊びに来ると約束していた10月中頃
父から母にガンが見つかったと連絡があった
既に末期だった




そして12月の雪が降る日に母は亡くなった
母が亡くなった瞬間僕は新幹線の中だった
現場実習で夜勤だった僕は家に帰った後、うっかり一眠りしてしまったのだ

27歳現在僕は母に

「洋服めっちゃ好きになったよ」
「なんで一人っ子なのに県外の大学に行かせてくれたの?」
「スパイス系カレーつくってあげるよ!」

言いたいことは山程ある



亡くなってしまった母だが写真はある
しかし、動画がない
写真で誰かを撮る機会は多いが、動画で他人を撮る機会というのは少ない
そのため僕は母がどんな"声"だったか忘れてしまった

その時の表情や雰囲気は記憶が補完してくれるが声が思い出せない
約20年間僕を育ててくれた母の声が思い出せない
どんなに好きだった人でも記録が無ければ人は忘れてしまうのだ




僕は好きな人の声が思い出せないことがいつも悲しい

だから僕は自分の"声"を残すことにした
そのために昨日ついにカメラを購入した
少し前にブームとなっていたvlogを撮るのだ

もちろん毎日投稿もしないし、クオリティも求めない、収益化も目指さない
でも僕は声を残したい

底辺youtuberだけど嫌じゃないな

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