見出し画像

【続いてる写経 749日め】〜『天平の甍』をおさらい

先日、奈良の唐招提寺に行ったので、井上靖先生が書いた『天平の甍』を確認したくなり、家の書棚を探しました。

『天平の甍』は唐招提寺を開いた鑑真和上のお話です。

さほど厚くもない本なのですが、私は果たして読んだのだろうか?全くといっていいほど、内容に記憶にございませんでした。(苦笑)

でも今になって読むと、この数年で仕入れた仏教関係の知識や用語、歴史が頭の中にあるので、わかる!!
きっと昔は、『虚空蔵求聞時法』とか書いてあっても、
スルー 、、、
だったんでしょうね。

確かに興味がないと、単語だけで眠い、、と思います。

この話、鑑真和上が主役というよりは、日本から唐へ留学僧として派遣された大安寺の僧・普照が主人公。

聖武天皇の時代、仏教僧へ戒を授ける伝戒の僧が不足していたため、課役を免れるために見かけばかりの出家をした僧・尼僧が増加。
規制する法律も施行されていたものの、一向に効果が上がらず、僧侶の規範は乱れまくる一方・・

そこで、留学僧を派遣し、日本できちんとした仏教僧の授戒制度を確立するため、唐のしかるべき僧依頼し、来日してもらうように懇願しにいくというわけです。

すごい壮大な計画だったんですね・・

だって遣唐使船自体が命懸けなのに、ちゃんとした唐のお坊さんを連れて帰って来いって、

・留学僧が無事に到着できるか不明
・留学僧がきちんとした僧侶に依頼できるか不明
・唐の僧侶を無事に連れて帰れるか不明

確率低い・・・

そもそも交通の便が発達していないので、何ヶ月もかけて渡航するわけですから、時間もかかります。

こんなに悠長でいいんだろうか?
授戒制度確立の前に、日本はインチキ僧侶だらけになってしまうのではないか。。とすら思います。

とは言え、この時代、これしか賭けることができなかったのでしょう。

使命を受けた留学僧の普照、栄叡(興福寺の僧)らは、困難な後悔ながらも唐の地に無事に到着。
しかし、遣唐使船は不定期だったため、日本にいつ帰れるのかはわからないまま、留学僧として教学を修める日々を送るのでした。

そんな中、入唐して約10年で転機が訪れます。

授戒僧として渡日した僧侶が、日本では衆僧が少なく、戒法を行うことができないまま無為に過ごしている噂を聞くのです。

この事実を知り、留学僧の2人の心に火がつきます。
当初の授戒制度確立の目的を果たすべく、親交があった僧侶に声をかけ、一緒に日本へきてもらうようにリクルートしたのでした。

早く日本に帰らねば・・。

しかし、日本へ行く船がない。
どう船を用立てるか。

ここからが大アドベンチャーで、鑑真和上本人もやっと登場してくるのです。

(つづく)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?