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【続いてる写経 985日め】〜”おせち”料理、伝統の担い手は昭和の主婦

ふと気づくとあと2週間で今年も終わりでした。
今年は頭がわが子受験に向いているため、年末がカウントダウンという気にならないです…。

が、加入している生協のカタログではクリスマスだのお正月だの、歳末用の商品が並び、「ああ、そうかおせち食材を注文せねば!」となります。

おせち料理って歴史としては江戸時代からあるみたいですが、今の重箱に詰められる形式になったのは、大正〜昭和初期の話らしいです。
『婦人之友』や『主婦の友』のような婦人雑誌で特集が組まれたことから、おせち文化の原型ができたそう。

第二次世界大戦後、おせち文化が再び盛り上がり、「お節=重箱」が定番で定着し、さらに1972年に紀文食品がスポンサーの「土井勝の紀文料理教室」の放映が始まり、おせち料理をテレビで紹介。
(以上、日経夕刊2022年12月12日の記事より抜粋)

紀文さんのスポンサー番組で紹介されてブレイク、ということは要は練物製品の普及のためだったんですかね…。バレンタインとかと一緒じゃん。

日本の季節催事の大半は、食品会社や小売業者の考案と毎年のテコ入れで維持されている気がしますね。

で、このおせち文化の記事を読み、「婦人雑誌の特集で広がっていった」くだりに妙に納得したのでした。

わが家の祖母宅で、毎年豪華なおせち料理をご馳走に預かっておりました書棚にはずらっとこの手の雑誌が並んでおり、レシピはきれいに保存され、毎年活用されてました。
まさに昭和の婦人雑誌文化が昇華されたものが、わが祖母宅からの伝統だったようです。

そして異常にスキル高い主婦たちが、おせち文化継承の担い手だったということでしょう。こうした高スキル主婦が少なくなった今、おせちは買うものになったのは当然ですね。

ただ、ワタシの母も未だ手作りにこだわり作っているので、ワタシも自分の代で全て消えてしまうのはマズイなと思って、最低限作れるものを作って次世代に伝承できるようにしているつもり…。

ただ、おせち料理は作ってみると意外と簡単だったりします。
栗きんとんなどは、栗の甘煮さえあれば、さつまいもを茹でて裏漉しするだけだし、紅白なますも細くきって、甘酢につければいいだけだし。
黒豆は圧力鍋であっという間にできるし。

数品でも手作りして、その他かまぼこや数の子などと一緒にそれらしく重箱詰めるだけで結構見栄えして満足度も高し。

ただ、今年からお正月はちょっとセンチメンタル度が高くなりそうです。
もともと、1月1日は母方の祖母の命日なのです。
さらに、祖母の後を継いで手間暇かけておせちを作ってくれていた伯母も今年逝ってしまった。

毎年おせち料理で祖父母と伯母や、みんなで集まって楽しかった時を思い出すのだなぁ…。

お正月は歳神様がやってくる時だと思えば、故人を偲ぶ日になっても、それはそれで正しいかもしれないですね。

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