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【001】三つ子の魂百まで


高校時代、
「お前は自由人だな」
とよく言われた。
社会人になり、それなりに世に揉まれ結婚をした今、妻からは
「お前は煩悩の塊だな」
と言われる。

歳を重ねるにつれ、諺やおばあちゃんの知恵袋のような言葉にはなるほど、と納得してしまうものを多く感じる。
三十路を少々越えた程度の私だが、少なくともここ十五年は何も人間性が進歩していないようだから、「三つ子の魂百まで」をそっくり体現してしまうのだろう。

端から見ると、私のステータスは次のような形になる。

 本業:建築設計士(構造設計)
 趣味:料理、ロードバイク、漢字検定、鯨類研究

好きな事を仕事にするべきかの議論をよく聞く。
私は、二番目に好きなことを仕事にするのが良いと考えている。
仕事が上手くいかず、その事が嫌いになったとしても、ほかに好きな事があれば人生何とかなるであろうからだ。

私の建築設計に対する好き度で言うと、九番目程度である。
趣味を一通りこなし、愛娘と近所を散歩し、十分な睡眠を取った上で、気力が余っていればとりかかろう、という熱意を持っている。
そのような風前の灯の熱意を自ら吹き消して、料理の道を志そうというのである。

料理、特にカレー作りに興味を持ったのは、
大学生になり一人暮らしを始めてからである。
実家に居た時も料理の手伝いを積極的に行っていたわけではない。
皮のモチモチ感が好きで、餃子を包むのは進んでやっていたくらいだ。

そんな具合に料理には無頓着だったため、一人暮らしの部屋選びでキッチンを重視したわけは当然なく、蓋を開ければ、大鍋を一つ置けば隙間が埋まってしまうくらい小さいシンクと、蚊取り線香のような電熱線コンロ一つという、高級な独房に付属していそうなキッチンが私の料理の原点である。

コンロが一つ、作れるレパートリーが少ないとなれば、行き着く先は大鍋一品料理になるのは致し方無い。
肉じゃが、その余りに固形ルーを加えてカレー、その組み合わせに飽きたらシチュー。

そんな生活で大学入学から半年過ごしていたら、八キロ痩せた。
このような文脈の場合、やつれた、の方が正しいのかもしれない。
不慣れな土地だったため、まともに散髪すら行かない。
癖のある私の髪は、成長するにつれ直に伸びるのではなく、アフロヘアーのように膨らんでいく。
大学の夏休みに実家に帰省したところ、母からは

「質の悪いカリフラワーが帰ってきた」

と言われた。
離れて初めてその良さがわかると言うものだろう、三口コンロの力を如何なく発揮した母の料理に心底感動した。

食後、自分の部屋に戻り、何か面白いものはないかと物色する。
幼稚園の頃の文集が目に留まった。
年中さんが黄色、年長さんが赤色と原色で喧しい装丁なので、満腹で思考が止まりかけた脳にも強く訴えてくる。

文集と言っても、かるたのように頭文字のお題を与えられ、それに対して二十文字程度で自由に文を作るというもの。
年中さんの時のお題は「い」。
五歳の純粋無垢な私は

「いのししは いつも はしっている。」

猪突猛進を幼心ながらも表現しているとは、我ながら驚いた。
升の中にお題の文章と絵が描かれていて、升の欄外には

①名前②将来の夢③夢の理由

が書いてある。

年中の夢、ラーメン屋。 理由、おいしいから。
年長の夢、パン屋。   理由、香りがいいから。   

何とも欲望に忠実な夢である。
料理を志す原点がまさか幼稚園時代にまで遡るとは。

この文集、親もセットでお題に答えている。
母の「い」で始まる文章は

「いるかと おはなし できるかな?」

私の魂は五つの時に完成していたようだ。





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