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囲碁は何の道具であったか


 囲碁は最初からゲームとして誕生したのだろうか。碁盤や碁石について元は天文や易の道具だったのではないかという説がある。天文の研究が進んでいた古代中国では、天文学は帝王の学問とされていた。暦を創ってそれを人々に教える、時を授けるということである。これは日本でも古来、天皇家が暦を創っていたことと共通している。そのため、堯帝や舜帝の囲碁創始伝説とは、現在の囲碁のようなものではなく、天文学を息子に教えたのではないかというのである。
  

天文学説

 「昭和の碁聖」とも称されている呉清源師は、あくまで想像であるが、碁盤や碁石など囲碁を構成するものが、当初は、天文学を研究する道具であったという考えを披露している。堯帝が息子である丹朱に一種の遊びの道具ではなく、天文を研究する道具として囲碁を教えてあげたということである。囲碁を勉強することで、易や祭礼に関する教養が分かるようにするという意味で、教えてあげたという話である。呉清源師の想像では、囲碁は堯帝が創製する前に、既に天文や易の道具として使用されていたということである。
 囲碁を漢字で「棊」、又は「奕」と書くが、奕・易・医は共に中国では‘イ’と読み、「暦」は‘リ’とよく似た発音であることから、同じルーツを持つ言葉ではないかという説がある。遠い昔、中国の統治概念は、祭政一致が基本であり、政は易や天文や天命、すなわち神の命令や暗示と深い関係があったと考えられている。従って、囲碁板をもって、天文を伺い、易を調べていたのであれば、堯帝が丹朱に囲碁を教えたことについても、祭政のうち、祭の方を丹朱に任せようとしたのではないかというのが呉清源師の見解である。

(呉清源師談)
「囲碁は当初には天文学や易を研究する道具だった。堯帝が息子である丹朱に一種の遊びの道具ではなく、天文を研究する道具として囲碁を教えたと考えるべきである。囲碁を勉強して、易や祭礼に関する教養を分かるようにするという意味で教えたのである。囲碁を漢字で棊、又は奕と書くが、奕・易・医は中国の発音で、‘イ’と読み、暦は‘リ’と発音するので、殆ど似ていたということである。遠い昔、中国の統治概念は、祭政一致が基本であったために、易や天文や天命、すなわち神の命令や暗示と深い関係があると考えられる」
 
中国の人でありながら、日本に来て、日本の碁界に一つの時代をつくった天才呉清源師は、盤面が十七道から十九道になったという説に対して、面白い見解を持っている。呉清源氏は、碁の始まりは勝負事や遊びではなく、天文なり、易なりを研究する用具であったから、初めから天体を象った十九道であったと思う、と言っている。それが遊びごとになった時、十九路では広過ぎて見当がつかない。碁の技術が未だ幼稚であったので、広過ぎて勝負がつかない。それで、十九道を十七道にし、十五道、十三道、十一道ぐらいまでせばめた。碁の技術が進むにつれて、逆に十一道が十三道になり、十三道が十五道になり、やがて元通りの十九道に戻ったのではないのか、と言っている。

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