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囲碁史記 No.5

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.5は囲碁史記 第83回から第105回まで 村瀬秀甫亡き後の本因坊秀栄を中心とした明治期の囲碁界を紹介します。…
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#秀栄

囲碁史記 第83回 方円社二代目社長 中川亀三郎と秀栄の本因坊再襲

秀甫の追善会 明治十九年七月、対立を続けてきた方円社長の村瀬秀甫と十七世本因坊秀栄は、後…

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囲碁史記 第84回 金玉均と秀栄(前編)

壬午事変と日本への亡命 村瀬秀甫と本因坊秀栄の和解など、日本の囲碁界とも大きく関わるこ…

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囲碁史記 第85回 金玉均と秀栄(中編)

久我山稲荷神社の「人心同」碑 明治十九年八月に小笠原諸島への流配となった金玉均は、厳し…

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囲碁史記 第86回 金玉均と秀栄(後編)

流配解除後の動き 金玉均は、明治二十三年十一月 二十一日に流配が解除されると、精力的に活…

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囲碁史記 第92回 中川亀三郎時代の方円社

 維新という風潮に乗り発展してきた「方円社」は、その大黒柱であった村瀬秀甫の急逝により…

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囲碁史記 第97回 秀栄の昇段と安井家断絶

秀栄・算英十番碁と秀栄の昇段 明治二十八年に、高田たみ子の支援のもと「四象会」を立ち上…

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囲碁史記 第101回 四象会の終焉

 棋界第一人者となった本因坊秀栄が高田商会の高田たみ子の支援を受けて明治二十八年に立ち上げた四象会は、対立する方円社からも参加者がでるなど大いに盛り上がっていくが、明治三十七年の百二回をもって突然終焉の日を迎える。その直接の原因はたみ子が秀栄の弟子である野沢竹朝の無作法に腹を立て、秀栄に文句を言ったのが原因とされている。  まずは騒動の原因を作った野沢竹朝について述べていく。 野沢竹朝 明治から昭和初期にかけて活躍した野沢竹朝は、本因坊秀哉が当主となった時代にも色々騒動を

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囲碁史記 第102回 日本囲碁会

 明治三十七年、高田民子の支援を断り四象会を解散した本因坊秀栄は、たちまち生活にも支障…

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囲碁史記 第103回 雁金準一の本因坊門入り

 明治二十五年八月、方円社の塾生として活躍していた田村保寿が実業家への転身を断念し、金…

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囲碁史記 第104回 本因坊秀栄名人就位と逝去

名人就位 明治三十九年六月十九日、本因坊秀栄は念願の九段へ進み名人となる。名人は現在で…

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