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遅れて来る怒り

インターンの応募をしているときに、コンサル時代に言いたかったこと、怒りが出てきました。


私は当時、げきおこだった。怒っていて、嫌だったけれど、そう感じていることすら当時はわからなかったし、わかっても怒鳴るわけにはいかなかったから、自分を責めることで、なんとか封じ込めていたらしい。

昭和

Bosses含め、まわりのおっさんたちは、基本的に誰もましじゃなかった。
どれも昭和の"男は犠牲者で、仕事しかない"な人生を送っていて、私とはまるで合わなかった。
以下、言われたことと、私が思っていたこと。

  • "GW全部休むのは怠けてる"
    →狂ってる。

  • "子供と母親の中に父親がひとりで入っても話が合わない"
    →それを、仕事で毎日、女性はやってるんだよ???

  • 不登校になった娘のことは「妻に聞いたらそうらしい」
    →まかせっきりで、自分は娘と話もしないってどうなの?

  • 大学院を出ているのは普通の感覚から外れている
    →どうして「普通基準」でいようとする?

  • 飲み会はいつもチェーンの安い居酒屋
    →おもしろくも美味しくもねえんだよ!てめえはmindが底辺なんだよ!

そして、本人どころかまわりともきちんと話したことはなかったけれど、私はsmokerが嫌いなのである。頭も痛くなるしにおいもつくし、体にも悪いし肌に出るし依存にしか見えないし、何がいいのか一切わからない。
だから、”喫煙可で食べ物がおいしくなく飲み物の種類も少ない場所"を飲み会に選ぶこと、打ち合わせのあとに吸いに行く場所を探していること、お昼のあとにちょっと早く出て外で吸っていることも、すべて嫌だった。

で、このあたりなら、世の中にはいろんな考えの人がいるからね(かといって受け入れる必要はないんだけどね)、で済むんだろうけど、なんというかそもそも雰囲気が悪かった。問題は男尊女卑、セクハラ、パワハラである。

  • 私の長年のテーマであるように、デレデレして触ってくるやつもいた。

  • パワハラを繰り返しているのに、仕事上必要だからという理由で、なんの咎めもないままのやつもいた。

  • ねーちゃん、と(仕事でかかわりのない)女性を呼んでいることもあった。

  • アドバイスをしているつもりなんだろうけど、自分の愚痴ばかりの老害もいた。何も解決してもらえない、と言ったら、それはあの人に期待しちゃだめだよ、と言われた。私は老害から何も得るものがなかった。

  • 内定をもらって無敵気分の学生に、「あなたと違って私には出世欲があります」と言われたこともあった。

留学は貴族の遊び(私に直接言ったわけではない)、私は都会のお嬢様、浮世離れしているとも言われた。そりゃあ私は庶民じゃないよ。お嬢様だよ。国際派だよ。宇宙人だよ。

ぴき、ぴき、と思い出す。
もう、言い出せばきりがないくらい、私は怒りを抱えていた。

ふざけんじゃねえ!
出てってやる!
こっちから願い下げでえ!

そう、言いたかった。私はおこりんぼうだったんですねえ…
てめえ!と言うようになって、よかったよねえ。活火山なんだもの。

どうして男尊女卑

そして、怒れなかった理由の一つは、私がそもそも日本で働く気がなく、やる気もなく、日本にはびこる男尊女卑が大嫌いだったから。
この会社だけが悪いなら、いい場所を探せばいいけれど、日本の組織ならすべてが嫌なんだもの!どこに行ったって何か不満はあった。言い始めればきりがない。だから、我慢するしかない、とにかく早く出よう。そう思っていた。

  • 友達の兄、という近い関係に、"奥さんに無理してまで仕事を続けてほしいとは思わない"なんて言うやつがいる。

  • 夫のために何をする、料理をする家事をする、自分のことは後回し。それが普通、としている女性もごまんといる。

どうしてそうなっちゃうのかなあ。欧米ではそんなものに出会ったことないんだけどなあ。普通に過ごしているだけで、こういうものに出くわすんだから、日本では落ち着いて暮らせないんだよなあ…

役に立たないアドバイス

嫌なことや、嫌なやつ。そんなことを考えている時間がもったいない、と時々言われる。
…そういう問題じゃない、と思う。考えてしまうほどの思いは、受け止めてほしくて存在している。それなのに、無駄だ、扱う必要はない、とするのは違う。

  • 敬語なんか使えばいいだけで気にする必要もない、するほうがおかしい。

  • 名字なんてただの記号、だから夫婦別姓なんて興味ない。

単純な人には、簡単に言えることなのだろうけど、私にはそれを気にするだけの理由があった。

  • 日本の敬語やら、本質がどうかではなく形ばかりを気にするところが嫌だった。私が気にしないことを、なぜかまわりは気にしてだめだししてくる、とずっと思って来た。普通にしているつもりでも、できない、なぜか注意される、ということも何度もあった。

  • 夫婦で名字を同じにしないといけないなんてことは、Australiaでもアメリカでもなかった。私が気にしないことを、なぜかまわりは気にするの一例である。日本にはびこる男尊女卑を感じながら、嫌になりながらも、それが女性にすら通じないことに絶望し、どうせ私は我慢するしかない…と思いながら、日本を脱出する日を夢見て努力してきた。日本は一体何世紀を生きているつもりなのか?とGender studies Prof. に聞かれたことも思い出す。

だから、このadviceというか、言われたことは、何の役にも立たなかった。

私のことを何も知らないくせに、言いやがって!と思う。そして気づく。たしかに相手は何も知らないじゃないかと。この人は私とは違う世界に生きている。この人に、理解することは、できないのである。私がわからせる必要もない。合わない場所や人からは、ただ離れればいい。

怒る練習

思い出すのは、石井裕之本に出てきたイメージワーク。自分が大きくなって、怪獣のように服が裂けて、それでも相手が逃げ出さなかったら、踏みつぶしてしまいましょう、というやつ。Group therapyに行っていたときにも、いまいち勇気を出して言いたいことが言えない、という子に、やはり自分が巨大になったイメージをして、I am big で言ってみる、というものがあった。

当時、「うわー、うぜー」と言う練習をした。笑
それくらい自分が怒っていて、それでも出せなかったことで不整脈になってしまったなあ、と思い、ごめんね、ごめんね、と言いながら不整脈の心臓をなでていた。

怒りを溜めてきた、そして、それを出さないと体がやばい、これ以上は無理という状態になったことを受け入れて、誰が嫌いなのか、list upしてみると、22人だった。苦笑
私がこの会社に行くのが怖かったのは、私がこの人たちが嫌いだから、それをprojectionしていたんだ、と気づく。

怒ってみると

私が唯一言えたのは、"これからは女性の時代だから"って言わないでくれ、ということだった。それでもかなり効果はあった。

それ以外は、嫌なことを言うことも、怒ることもなかった。それでもやはり耐えられないもので、結局は怒る代わりに断ることになってしまった。

送別会を断ったことについては、誰も何も触れなかった。そもそも話しかけても来なくなり、仕事を流してくれるという話もなく、今日まで連絡は一切ない。私が辞めることよりも、ほかの人が来年度動くであろうことに怒っていた。40代のおっさんなのに、癇癪でしかないよなあ。それが許容されている世の中なんだよなあ…

そうして、何のあいさつも感謝もないまま、私は去った。私の最終日よりも仕事(遠方打ち合わせ)のほうが重要という価値観の人たちなわけだが、肝心な人たちには会わないまま終わった。罪悪感で避けられていたのかもしれないな、と思う。

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