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都庁を辞めたきっかけ

Pandemic下のやつあたりがきっかけで、夏のボーナスをもらって都庁を辞めることにしたお話です。


始めからそのつもりだったんで(!)

都庁は転職で受ける人もいるし、1年目に受からなくて、2回目で受かったなんて人もいる。そんな中申し訳ないのだけれど、私はそもそも受ける時から、数年で辞めよう、と思っていた。Stepping stone, get my foot in the door. 入口にすぎず、都庁のどんな仕事であろうと私の夢には役に立つから入ることにしたけれど、2-3年で辞めたいなあ…と思っていた。最初の研修で唯一仲良くなった子とは、"3年後にはお互い都庁にいないね"と言っていた。笑 ちなみに、その子は1年で辞めた。

辞めるときに、”相談してほしかった、相談されてたら絶対に止めた”、と言われたけれど、辞めるのは確定で、そもそも相談することじゃなかった。問題は時期だけだった。そして、もういいよね、辞めようか、と思ったのには、もちろんきっかけがあった。

異動ができませんで

都庁に入ってから半年で病気休暇を取り、復帰して異動した。その後は問題なく仕事をしていて、”覚えるのも早いし、来てくれて助かった”という評価を得ていた。

しかし、2-3か月たって年が明けたころ、新鮮さがなくなってしまい、正直飽きた。早いって?だって仕事はこれ以上ないくらいアナログで、窓口で、ルーティーンで、紙・紙・紙なのだ。電話も多いけれど、その内容も、”カラーの写真を郵送してください”とか、”書類修正してFAXで送ってください”なのだ。くだらないったらありゃしないよね。そして、ちょうど飽きてきた頃に、厄介な案件が発生してしまい、なかなか収まらなくて参っていた。

そういうわけで、4月には異動したかった。もう待ちきれんし!そもそも私、補欠要因やし!だけど、なんせ仕事は問題なくできてしまったので、確率は半々だと言われていた。結局、安定してやってもらうために、異動はなし、ということになった。仕事が評価されてのことでもあったのだけれど、当然私は不本意だった。

あとでわかったことなのだけれど、異動とは基本的に「3年いたからしなきゃいけない」ときに起こるものであり、たまたま希望していたところに空きがあれば動くこともできるけれど、大半が近場になる。もし能力があれば抜擢もありうるけれど(私はこの部類で、翌年は白羽の矢が立った)、異動の希望はかなわない、かなっても1度、というのが都庁でよく聞いた話だった。実際、退職前の1つだけはかなった、と再任用(再雇用のことね)の人は言っていた。一体何十年働くうちの1回なのかなあ。自分の人生なのに、自分の仕事も選べないなんて、ありえないって思わないのかなあ、と、正直呆れた。古い価値観のなせる業なんだろうか。

ともあれ私は、担当内容は多少変わったものの、同じつまらない仕事を続けることになった。

分が悪くなりまして

加えて、ヒトの変化である。

けっこう人数の多い担当で、異動した人数は少なかったのだけれど、”みんなの敵で怖くてパワハラだった人"がいなくなった。つまり共通の敵がいなくなった。そして、私の世話役で味方だった人も異動した。それで私は分が悪くなってしまい、自分が新しい敵になったように感じた。

ちなみにこの敵は、異動してからpandemicのストレスを部下指導で解消しようとしたのか(と私は読んでいるのだけれど)、私の同期を病気休暇にしている。さらに言えば、セクハラや犯罪は処分の対象になるのだけれど(懲戒免職くらいは聞いたことあるかな?)、パワハラで処罰された人を見たことがない。そんな職場ですよ、都庁。

ともあれ、話を戻して、この敵だった人は仕事はちゃんとするし、権限もあったのだけど、この人の分が人員減になり、後任が来なかった。それで残されたboss的な人たちは手一杯になってしまった。正直やり方を工夫すれば、もっと少ない人数でもできる仕事なのだけれど、人が減った中でできる範囲の仕事にしようという頭はないらしく、自分たちは被害者だー!と言っていた。(本気で言っていたら、相当やばいと思う)

そして、pandemicである。対応を変えたり、テレワークをすることになり、担当を2チームに分けて交代でテレワークをしていた時があった。個人情報の紙は持ち帰れないので(了承もらえばいいんだけどさ)、多くの人の超勤時間(残業のことね)が増えてしまった。多くの人、というのは、もちろん増えていない人もいて、私はその1人であった。

なぜ私は増えなかったのかといえば、理由はいくつかある。①担当がそれぞれあって、私は家でもできる仕事があり、行かないとできない仕事も少なかったこと。②私の担当しているものは重要だったので、窓口を入れずに集中する時間を取ってもらっていた(私が担当する前からそうだった)こと。③そして、これが要なのだけれど、私がその重要事項を担当しているということで、わざわざ気をつかってくれる人がいたことだ。なぜかといえば、私の前担当者が週末に来てまで仕事をしていたので、大変な仕事をしていると思われていたからなのだけれど、その人がかなり便利にしてくれたので、私は何の苦労もなかった。(というか、都庁で超勤をしたことがなかった。笑)

やつあたり!?

そして、ある日私はbossにやつあたりをされた。なんか冷たいメールが来て、何これって聞いたら言い合いになったはずだ。

何を言われたのかというと、私はその重要なことの副担当に、”先週私が全部ひとりでやっていたら、ほかの人を焦らせてしまったので、この部分を手伝ってほしい”と伝えたわけだけれど、まずその人が結構残業していた事実があり(交代でテレワークだったので、私は知りようもなかった)、それを見ていた人(えこひいきする、bossにふさわしくない、私のことは気に入っていない人だった)が、私がその人を残らせている!と思ったのだという。そして、その話をされた私のbossが、手一杯になってしまったようである。

やつあたりのmechanism

このbossは、基本的にはいい人なのだけれど、器が小さいというか、すぐに手一杯になって、俺は悪くないんだよ!と反応する人だった。insecureなのだろう。それで、反論するとさらにへそを曲げるというか、いろんなことをぶつけてくる人だった。基本的にいい人なので、そんなことを忘れて話かけてしまい、いきなり攻撃されることもあったので、意識的に距離を置いて、あまり目を合わせないようにしていたこともあった。私が言いやすい相手だったというのも(私も反論するので)あるのだろう。

そういうわけでやつあたりをされ、

  • 私が仕事を頼んだのには理由がある

  • 忙しかったら副担当は自分で断ればいい(大人なんだから)

  • ほかの人がどう思うかまで考えるのは私の責任じゃない

  • そんなことまで気にしていたら何もできない

  • 言いつけた人はえこひいきをする、私とは合わない人で、困っている

と、言ったところ、

「そんな風ではこれから損をするよ。俺は人に好かれたいと思うからさ。」

と、言われた。(これを書いている傍から、怒りがこみあげてくる💢)

本音を言えば、私は都庁に長くいるつもりはないし、仕事はつまらないし、普段の会話の内容もくだらないし、そもそも非常識で考えが理解できないし、別にあんたらに嫌われたってあたしはどうってことないんだよ!と思っていた。もちろん去るとはいえ、環境が良いに越したことはないんだけど。

さらに、↑の”気を使ってくれる人”に対しても、bossは不満らしく、何度も言っているのに引き受けてしまう人であることについても、私にあたられた。とばっちりもいいところだ。残業しろって言ってるのか?と聞けば、そうは言わないけどと言った。

種明かしをすれば、このとき担当を2チームに分けて交代でテレワークをしていたため、”自分のチームはすごく大変なのに、相手は楽をしている!”とお互い思っていたのだという。私のbossは飲むのが好きなので、飲みに行けないストレスもあったのだろう。だけどそんなのは言い訳にならない。私が思うことは、とにかく、仕事以外のストレスや、個人的なわだかまりやそういうものを、職場に持ち込まないでほしいということである。笑

そもそも、思うこと

私のような、若手・海外・転職組は、まあいないから、そもそも都庁に入った時点で、すごく今までの常識が通じない感覚があった。だけどだからこそ、この組織には私のような人が必要だ!と思った。まあ、ひとりで頑張ることはできなかったし、正直そこまでの価値もこの組織には感じなかったのだけど。

この担当内のmanagementに関しては、まわりは大声では言わないものの、ちょっとな~と思っている人は多かった。私が特に違和感を持った点を挙げると、

  • 人それぞれの個性や強みが尊重されず、電話に早く出ることや、わかりやすく汗をかくことが評価されていた:私は効率化が得意で進めたのだけれど、かなり大変だった

  • FAXなど、時代に遅れている節が多分にあった

  • 仕事の内容自体が、非常にくだらなく、ゆるめてもいい部分が大量にあった

  • というか、そもそも委託すればいい話で、職員がやることではなかった

  • 相手(都民)のためのサービスを提供するという視点ではなく、”いかに自分たちが責められないか”が基準だった

  • できないと言って仕事を放り出す人が咎められていなかった

  • 自分で自分のことを主張できずに引き受けてしまう人が”いい人”とされてしまい、仕事量が平等に調整されていなかった

  • 手伝う仕事があるかと聞けばないと言うのに、暇だと言うな、手伝ってと言わない人の仕事を奪えと言われた

つまるところ、共依存とまでは言いたくないのだが、まわりの人のことまで自分のことと捉えてしまっていたり、自分は自分、と境界線を引くことができていなかったりで、境界線を引くことが良しとされていなかった印象だった。そういった中、こんな仕事つまらんしどうでもいいわ!と言いながら、定時でさくっと帰り、それでも仕事は片づけ、主張もする私が、やりづらかったのはわかっていただけるだろう。

“勘弁してよ”。それが都庁にいたときの口癖だった。

潮時

異動もできず、何のスキルも身につかない・人も良くない・くだらない仕事になり、はたまたテレワークでのんびりしている。なんだか時間を無駄にして、何やってるんだろうな私、と思った。
そして、やつあたりをされて、決めたのだった。そこまでつらい思いをして続ける必要はないんじゃないいかと。もう、潮時なんじゃないかと。

そのあと週末旅行に行ったら、すごく気分転換になって、そもそも仕事も仕事の人間関係も、本当にどうでもいいくだらないことで、気にする必要もないな、と思うことができた。だけど、やはり綱渡りというか、分が悪くならないように注意しながら仕事していた。

夏のボーナスもらって辞める

そう決めたものの、転職は怖かったので、きちんと時間をかけて、おっかなびっくり、ゆっくり準備をすれば大丈夫だよーと、自分に言い聞かせながら準備したかった。緊急事態で、世の中がどうなるのか読めなかったし、移動先も打撃を受けていて、人を雇う余裕がないかもしれないと思った。行く先は正直決まっていた。ほかも考えてみたのだけれど、藤沢優月の夢かな手帳で、”何ならやりたいの?どんな人となら一緒にいたいの?”が、夢を探す問いであるというのを読んで、真っ先に浮かんだものがあり、そこに決めた。

そして、コンサルは4-6月は暇な仕事であり、都庁は7月末にボーナスがもらえるので、3月末で辞めるよりも、4月に昇給して夏のボーナスをもらってから辞めるのが、タイミングがいいのではないかと思った。そうして転職の本を読み始め、主任試験の前倒しはplan Bとして受けることにしたので中断して勉強し(勉強だけに集中していればよかったこの期間は、楽でもあった)、無事に前倒しも通ったところで、また転職の本を読み始めた。
そして、計画通り、夏のボーナスをもらって辞めた。

辞めるときには、ざまあみろ!という気持ちもあったのだが、誰にも怒られず、特に復讐した達成感もなかった。上のbossが一番さみしがっていて、なんだかな、と思った。けんかするほど仲がいいではないが、なんとも不思議だ。

それ以外にも色々あったのだが、辞めるときにとても疲れて大変だった話は、またの機会に。

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