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新しくも、懐かしさもあった長崎旅行 (1日目-1)

兎に角行った事のない場所に旅行したくて軍艦島上陸ありきで決めた長崎行きだったが、旅の途中グラバー園を訪れた際に、修学旅行生を見て自分自身も高校の修学旅行で来た事を思い出した時にはとても驚いた。街並みは30年前と大きく変わってない様だが、全く長崎について覚えていない事にも驚く事になる。
旅行日:2022年11月18日(金曜日)〜11月19日(土曜日)

朝早く羽田空港行きリムジンバスに乗る為に忙しく家を出た時は、まだ家族は眠っていた。早歩きでバス乗り場に着くと、予約済みの人々を先に乗せているところを見て最近Webで予約が出来るようになった事を知る。朝早いのに乗客は少なくなく、窓際の席は全て埋まっていたので「すいません」と言い通路側の席に座った。
いつもより高速道路は混んでいる様だ。到着した羽田空港は明らかに混んでいる。いつもなら30分前に来れば空いているゲートを通って搭乗口に行けるのに、今日は搭乗まで時間が無いファーストトラックで荷物検査をしてもらい通過することが出来た。その後は順調に飛行機で長崎空港に到着して、リムジンバスで新地中華街バス停まで来ることが出来た。まずは本日宿泊するホテルに寄って鞄を置かせてもらい、カメラバックと長袖シャツで十分温かいが夜に備えてモコモコジャンパーを持って街へ出かける。
この日の予定済スケジュールは、12時30分までに軍艦島行き船の乗船手続きを終わらせること。時間はまだ10時30分過ぎだったので、歩いて出島へ向かった。

歩き始めてすぐに薄い青色した建物が見えてきたので行ってみると、出島の中の旧神学校だった。ぐるっと表門へ向けて回ると「出島のWebサイト」に載せられている構図で写真を合計5〜6枚取ってしまうぐらい印象的な橋が架かっていた。
入場料520円を払い中に入ると、こんな狭い所でポルトガルやオランダからきた人々が生活していたのかと驚かされる。司馬遼太郎先生の「街道をゆく11」の中に、「貿易は、日本に対して金で売却して、日本製品は銀で購入していた」と書かれており、莫大な利益があったからこそ不自由な生活も我慢できたのだろう。長崎に住んでいた人々が、侍の時代に異国の人々や文化を見たときの驚きはどのぐらいの衝撃だったろうと思っても想像できない(江戸時代の生活も分かっているようでわかっていないのだからしょうがない)。
ほぼ一本の道を挟んで両サイドに建物が建てられている。木造建物、石倉が並んでいるのだが、印象深いのは2回の窓枠を水色に塗っている事だろうか。先ほど紹介した旧神学校も同じく水色で塗られていたので、宗教的に意味があるのかもしれないが、説明は見つけられなかった。
資料館で西洋や中国の陶磁器と肥前陶磁器が並べて置いてあると、この地域に有名な窯元があるのが分かる気がする。海外の華やかな装飾としての陶磁器を見て日本の職人が切磋琢磨したのではないだろうか。どこも400年ほどの歴史と書かれているので、平戸・長崎に海外から貿易商や宣教師が来た時期とも一致する。その時の肥前の陶芸家が感じた衝撃はどれぐらいのものだっただろう、自分のこれまでの経験で想像出来るものなのか考えるだけでも楽しくなる。

思ったより出島見学を楽しんで、外に出たのは11時30分。ランチにしようかと出島ワーフまで歩いたが、当初予定していた群来軒に行ってちゃんぽんを食べる事にする。
お店を出たのは12時15分を回っていたので、長崎港ターミナルに向けて歩き出す。途中文明堂総本店の横を通り、you meタウンの裏路地の抜けて到着すると、左側に船手前から長い列が見える。右側にあるカウンター7番を目指し進んで行くと、ここもとても混み合っていた。支払いが終わり指示通り進み、先ほどの長い列の最後尾に並んだ。 
                               つづく


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