見出し画像

『産まれたての太陽』ってどんな輝きだろう

久方振りに文字を綴ろうかと思い、noteの編集ページを開いて何日目だったか・・・・・・。
あ、どうもこんばんは。迷子です。

気温差の激しい季節になってきましたが、みなさま体調を崩されたりしてませんか?
事故にあったり、頚椎ヘルニアになったり、その影響で腰や腕が悲鳴をあげてはいるものの、わたしは風邪や流行病とは縁遠い生活を送っております。健康な体に産んでくれた母に感謝ですね。


さて、今回は珍しく書きたい内容を浮かべた時にぱっとタイトルが思いついたんですよ。

多くの人が1度は耳にしたことがあるであろう、スピッツさんの代表曲のひとつ『チェリー』の歌詞の一部。
カーテンの隙間から漏れる陽射しのような柔らかいメロディと、切なさの滲む歌声、君と僕の物語の一幕・・・・・・この曲って、やっぱり失恋ソングとしての心象が強いんでしょうかね?
わたしもある時期まではそのように捉えていたと思います。

話はぐるっと変わりますが、今日が誕生日なんです。
誰の、って? わたしの。
沢山の人に見守られ、気づけば36年も生かしてもらえました。
孕んだあの子の手を離してから、気づけば10年経っていました。
心のずっとずっと奥に蓋をして雁字搦めに閉じ込めて、初めから何も無かったことにしたはずのあの子を思い出した日からもう時期丸2年になるんですよね。
不思議なもので過去の愚行をお友達に告白したあの日から、あの子のことを無かったものと思うことは無くなりました。
だからといって、改めて供養をしようとか思い続けることが罪滅ぼしになるなどとは思っていません。

先日ひょんなご縁があり、ゆかりもなにもないのですが供養して頂ける場所へとお参りする機会に恵まれたんです。
『手、合わせていく?』と聞かれましたが、その時は瞬発的にいいやと返事をしていました。
同行させていただいた方の守り本尊さまが祀られていたので、少し進んだ先から引き返して結局お参りさせてもらったんですけどね。

ご本尊さまに『この人を見守ってくださりありがとうございます』と。

あの子に対しては意識して手を合わせませんでした。
いま、少しだけ後悔しています。
ひとつくらいおかあちゃんとして、なにかしてあげたかったなぁと。
反面、きっと聡明で優しさに溢れた子でしょうから・・・・・・10年も経ったんです。今頃はうんと愛されて、どこかで幸せに、時に壁にぶち当たっても笑顔でいさせてくれる人たちと過ごしてくれているんじゃないかと思うと余計なことをする必要も無いんだろうな、とも。
幸せにしてあげることは叶わなくとも、止まり木くらいにはなれていればいいなぁ。

おかあちゃんね、今更だけどあなたを抱きしめてあげたかった。
あなたと、あなたとわたしが望むパパと3人で笑って泣いて過ごす未来もあげたかった。

なんてね。

何かのきっかけのひとつにでもなれたなら嬉しいです\(*ˊᗜˋ*)/♡ヤホー