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短編シナリオ『#2 あざといに気付いて』

卓也「乾杯」
早紀「乾杯ー」

2人が訪れたのは会社の最寄り駅から徒歩30秒の海鮮居酒屋。
夜20時。
華金という言葉に酔いしれて魚の絵が描かれている提灯に集まり、店は大繁盛だ。おおよそ30人程が入る店は、既に通勤ラッシュの電車と同じ混み具合だ。それぞれの席がくっついて一つの集合体になってしまいそうだ。

早紀「美味しそう」
卓也「それ美味いよ」

早紀はシーフードサラダを食べた。

早紀「美味」
卓也「だろ」
早紀「来たことあんの?」
卓也「あるよ。三年目のあの子と」
早紀「サシ?」
卓也「何が悪いの」
早紀「止めてよ。会社全員が行きつけの店で後輩オトすの」
卓也「別にそんなんじゃないし」

卓也は半分以上残ったハイボールを飲み切り、店員を呼んだ。

卓也「ハイボールと、」
早紀「生ください」
卓也「出汁巻き……」
早紀「あり」
卓也「ください」
店員「かしこまりました」

敏腕の店員なのか、注文を書く用のメモに一切手を付けず自身の記憶だけを持って厨房に帰った。

卓也「もっと可愛いもん頼めば?」
早紀「何?ファジーネーブルとか?」
卓也「古いって。今はこっち」

卓也はカルーアミルクを指さした。

早紀「三年目の子が頼んだから?」
卓也「そう。ファジーネーブルって、ああこの子あざとさ出そうとしてんなって分かるけど、カルーアって本当に可愛い子じゃん」

卓也は店員から生ビールとハイボールを受け取った。

早紀「ありがとー」

早紀は生ビールを半分ほど飲む。

早紀「で、その馬鹿みたいな自信はどこから来たの」
卓也「は?」
早紀「本当にあざといがどんなものか分かってないでしょ」
卓也「なんだよ」
早紀「この子あざといなーって気付かれない程度の可愛さとそつなさ両方身に付けてる子のこと言うの」
卓也「はあ」
早紀「隣見て。あ、気付かれないようにね」

卓也は左の卓を見た。2人と同じように男女で座っている。

女1「こんな所来るの初めてです」
男1「そうなんだ。このカルパッチョ食べてみてよ。美味いから」
女1「……美味しい。こんな美味しいお魚初めて食べました!」
男1「だよね。居酒屋ってよく来るの?」
女1「いいえ。あんまり来ないんです。ほとんど初めてで」
男1「そうなんだ」

卓也は早紀の方を見る。

卓也「あざとい感出てる」
早紀「全部初めてって、そんな訳ないじゃんあの人いくつよ」
卓也「あの人前にもここ来てたし、そこ座ってたし」
早紀「さっき店員さんとも親しげに話してたし」
卓也「ああいうのをあざといって言うんだろ」
早紀「あれはあざといけど、あざとさ失敗してるの。卓也が見抜いてるんだから」
卓也「見抜けたら意味がないってこと?」
早紀「私の後ろ見て。バレないようにね」

卓也は早紀の後ろの卓を見た。2人と同じように男女で座っている。

男2「美味い?」
女2「美味い!」

男2が笑った。

男2「でもごめんね。居酒屋しか普段来なくてさ」
女2「全然。私居酒屋よく行きますよ。1人でも」
男2「そうなんだ」
女2「赤提灯系とか大好きで」
男2「酒も好きなの?」
女2「よく飲みます。あ、あんまりお酒飲む女の子嫌いですか……?」
男2「全然!むしろ嬉しいというか。なんか合いそうだな」
女2「本当ですか?でもこんなおしゃれな居酒屋は」
卓也「初めて」
女2「初めてで、」
卓也「当たった」
男2「じゃあまた行こうよ。今度は、赤提灯系でも」
女2「また連れてってくれるんですか。嬉しい」

女2は立ち上がってトイレの方に向かい、戻って男2の肩に触れる。

女2「あれって開いてるんですかね?ほら、閉まってる時の赤が見えづらくて」

女2は男2に近付いてトイレを指さす。

男2「……あれは開いてる、と思うな」
女2「分かりました、行ってきます」

卓也は早紀の方を見る。
早紀は卓也が知らない間に生ビールを頼んで飲んでいる。
卓也と早紀、目が合う。

早紀「出汁巻き来たよ」
卓也「全然あざとく無かったけど」
早紀「だから後輩に振られるんだよ」
卓也「なんで振られたこと知ってんだよ」

早紀は出汁巻きを端から取った。

早紀「全てが初めてなA子と、自分で進んで居酒屋に来たことがあるB子どっちが魅力的よ」
卓也「A子でしょ。俺が初めてなんだって思えるし」
早紀「初めては、言葉じゃなくて行動で示す。そして相手の心に染み込ませる」

早紀は卓也のジョッキの結露に触れた。
卓也は黙って少しぬるくなったハイボールを飲んだ。

早紀「A子は、こんなの初めてって言葉で伝えてる。こんな居酒屋、こんな美味しいお魚、初めてですって」
卓也「でもB子は初めては無かったよ」
早紀「見逃すくらいの初めてを、B子が与えてんの。……だから駄目なんだよ」
卓也「だって、居酒屋にはよく行く、酒もよく飲むって」
早紀「居酒屋によく行くしお酒も飲む女性、彼にとっては初めてだったと思う。しかも狙ってる女性が自分と趣味が合うんだよ」
卓也「まあ、嬉しいかも?」
早紀「誘導尋問付で」
卓也「ん?」
早紀「その状況でお酒好きな女性、苦手ですか?って言われたらなんて答える?」
卓也「いいえ全然。むしろ」
早紀「好きですって、答えるでしょ」
卓也「……すいませんハイボールを一つ」
早紀「塩辛も一つ」
店員「はーい」
早紀「自分で好きって言っちゃってるからね。極め付きは」

早紀は卓也の腕に触れた。

早紀「あれって開いてると思いますか?分からなくて」

卓也は早紀に触れられた腕を見つめる。

早紀「こんな状況で触れられることなんて」
卓也「初めてだ」

早紀は卓也の腕から手を離し、枝豆を食らう。

卓也「俺騙されてたってこと?」
早紀「騙したというか、それに引っかかる人も悪いというか」
卓也「お前いじめられた側にも原因があるとか言うタイプか」
早紀「違うよ。そういうことする彼女達も、生きてるだけってこと。休憩中に好きな飲み物買って渡してあげるとか、居酒屋行った後に酔わせて持ち帰ろうとか思うでしょ?それと同じ感覚。自己都合で生きてて、たまたま卓也とかここにいる男性陣が目の前にいるだけ」
卓也「それが、あざとい……」
早紀「本当のあざとさが分かったか」
卓也「あのさ」


卓也「なんで俺が振られたこと知ってんの?あと、俺が後輩が好きな飲み物差し入れしたことも」
早紀「え……?」

冷めた出汁巻きは、ただの黄色い棒でしかないし、見つけたあざとさは、自分に返ってくる。

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