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不便ではなく『日記:2024.6.9』

足の裏がぐちゃぐちゃしているせいで、一昨日から上手く歩けない。

段々と治って来ているが、まだ床と平行に力を入れられるのは左足だけだ。

右足はマジで使い物にならない。

ニートで良かったと思った。

いやニートだから怪我したんだろうが。

日頃から、足の裏に感謝している人はどれくらいいるのだろう。

気を遣っている人は、足パックだのマッサージだのするのかもしれないけど、所詮気を遣っているという精神が自己満足までまっしぐらなだけだ。

足の裏ってけっこう大事で。

そんなこと思ったこと無かったけど、両方をいっぺんに失った一昨日からずっと考えている。

足の裏の怪我は、マジで1番不便だ。

足の裏以外は全て元気だし、夏が大好きな私は徐々に暖かくなっている気温にテンションが上がってメンタルも強くなっている。

なのになんだ、歩けないんだ。

不便、と買いたけれど、不便って元々便利だなと道具のように使っているものに用いる言葉なのではないか。

足の裏を怪我してみて気付いたが、足の裏は道具として使うべきじゃない。

自分の子供のように、大切に大切にしなければいけないのだ。

自分の子供を「こいつは便利な奴だ」と思うやつはいないだろうし、そんな奴がいたらそいつはきっと親じゃない。

私は足の裏が使えないことを、不便だと苛つくのではなく、申し訳ない辛いと嘆くことにした。

今まで労わってやらなくてごめん、一瞬でも不便と思ってしまってごめん。

不便、ではなく、悲しいなあ、だ。

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