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大人のエスカレーター『日記:2024.5.4』

子供の頃に出来なかった何かをクリアすると「大人の階段を上った」と表現する時がある。私はそれを疑問視することがあった。

ずっと目指してきた場所に努力して辿り着いた場合は階段と言っていいかもしれない。やっと、やっと着いた達成した届いた。それは何十段何百段ある階段を息を切らしながら上りきった時と同じ達成感だからだ。

じゃあこれならどうだろうか。

学生時代はふくよかだったけれど、大人になるにつれてなんだか痩せて標準体型になった。
インバウンドが多い地域に住んで気付いたら勉強せずとも英語が話せるようになっていた。
苦手な物が、大人になると割と美味しいと感じるようになった。

これは階段とは違う気がする。私にとってこれは、エスカレーターだ。


エスカレーターって、乗れば上に連れて行ってくれる。乗ったことがない人は最初は躊躇するかもしれないけれど、どの人間も最初にエスカレーターを乗った時の記憶なんてない。私もない。だから怖いものとして考えることはない。

さらに疲れることもない。どれだけ長いエスカレーターでも、立ちすぎて疲れたと唱える人は見たことない。

そう考えると、大人になってさらっと達成出来たり克服出来たりしたものは「大人の階段を上った」と発言するのは如何なものかと思う。


今日、私は胡椒が美味しい物だと認識出来るようになった。

23歳の私は、酒は飲めるが味が好きではない。だから好き嫌いという理由で飲めるアルコールが少ない。

だが年明けくらいに友人に教えて貰ったワインが美味しくて、家に置いておくことにした。それを今日開けたのだ。

まだまだ子供なので、めちゃくちゃ美味いなと思うには遠いが飲めるようになったのである。だがその日に並べられたのは何だかワインと合わない食べ物達。いつもの酒ならば美味しいのに、と思う。

母がタンを出す。牛と豚の。タン。豚は充分に味付けされていて、胡椒が効いていた。美味しかった。牛の方がほとんど味がなく、母と考え味付けをすることにした。

「胡椒あった方が美味しい」

母に伝えて母が胡椒を振っていく。食べる。美味い。そしてワインに合う。

私と母はハイタッチをしたのだ。


このエピソードに関しては階段を上る程の努力は垣間見えないし、むしろ楽しく過ごした上で胡椒が食べられるように、美味しいと感じられるようになった。

私は努力家ではないので、やはり大人の階段を上る機会は少ないかもしれないと思ってしまった。

だけど、階段でもエスカレーターでも梯子でもエレベーターでも、上に上がれることには変わりないし、自分の好きなもので上がれば良いんだと思う。

大人になる為の手段は人によって違うのだ。

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