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お暇頂いてます『2024.1.12』

目が覚めたらなんだかやる気になっていた。

最近、目が覚めたらパッとタイトルが浮かんでいることが多い。普段からあまりキビキビ動かないので、飛び起きたりせず、左手にスマホを持ち、メモ帳にそれを書き込む。

その後が思い付いたら、メモ帳と目の間に睡魔が訪れる前に書ききらなければいけない。私が一番敵視しているのは睡魔だからだ。

気付けばもう一度眠って、普段の起床時間の目覚ましで初めて迎えた朝のように起きる。

だが今日は2度寝をせず、そのまま1日が始まった。いつもより1時間早い活動時間。早起きは大嫌いだが、早起きをするといつもより充実した人生を送れそうな気がする。いや、もう早起きをした時点でその日は上手くいっている。既にハッピー野郎である。

午後になるまでに、1度目の起床で書き上げたメモを見る。何を描きたかったのか、何を思ってこの言葉が思い付いたのかはその時の自分しか知らない。私は、過去の私が残したダイイングメッセージから、彼女が私に伝えたかったものを読み取る。

そして、新しいメモが始まり、段々と小説と化していく。やる気が出たら行動始めが早い私は、午前に書いて、昼食を食べて、午後七時間スマホをひたすら打った。2万字と1万字、2作品進んだ。

久しぶりの活動に右手の親指はもう限界で、この日記は人差し指が私のフリック入力の速さに追い付こうと必死である。

人差し指を使って文字を打つ時、なぜだか中指薬指小指に緊張感が走る。頑張っているのは人差し指だけなのに、最終的には薬指か小指が痛い。人差し指横の3指は、人の気持ちを自分のことのように考えてしまう指達なのだろうか。親指の時は誰も何も感じていなさそうなので、それはそれで薄情な指達なんだと思う。


私には圧倒的に継続力が足りない。これは何度も日記で言っている話だ。だから自分のやる気がある内に全力を尽くし、やる気のない期間の補填をしている。それで23年間の人生を切り抜けてきた。

だが日記を見る限り、あまり説得力が無いかもしれないとも思った。

日記が昨日で100投稿目、この日記ご101投稿目になる。

「どうして日記を続けられているの?」

大学時代にお世話になった、就職支援課の方が私の日記を読んでくれていて、質問された。

「私は仕事を辞めて何もしていない間、同い年や同期は働いたり社会と向き合って過ごしているのを見て、申し訳ないなと思ったし、たった数十字の日記くらい続けるのは当たり前だと思ったからです」

何とも弄れた答えを、職員さんは優しく聞いてくれた。

今私が夜中にこうして日記を書けているのも、七時間も執筆に費やせるのも、友達の本を余裕で読み終えることが出来るのも、仕事をしていないからだ。

私はこの人生のお暇に、やれることを全てやっておきたい。母には小さい時から「こんなにゆっくりしていられるのも今のうちだからね」と言われて育った。結局はいつもゆっくりしてしまっているし、今はまさにゆっくり期間であるが、目まぐるしいほど動く人生が待ち受けているかもしれない。

私は今与えられた時間を今感じたい。誰かと、過去と、未来と比べるのではなく、今を感じることが私の全てだ。




いつも日記を読んで下さるそこの貴方、初めて日記を見たそこの貴方、色んな投稿・SNSから飛んで見に来て下さったそこの貴方。
私は貴方のおかげで、あなたのアクセスやいいねのおかげで日記を継続して書けています。
これからもどうか、貴方の時間を少し私に分けて頂きたいです。そんなにたくさんの時間は要りません。ただこの日記を見つけて、読む。この時間だけを、毎日私に下さい。
私はこれからも毎日日記を書き続けながら、貴方を待っています。

今後もよろしくお願いします。

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