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全国大会 あとがき①

第5回ソーシャルフットボール全国大会が終わって1か月と10日。

全国大会を終えてから、私がボールを蹴ったのは2回。1回はパートナーと真夜中の公園で靴をどろどろにしながら、もう1回は昨日のチーム練習。

どっちも楽しかった。チーム練習は練習したい自分と休んでゆっくりしたい自分とに揺れながらだったけど、行ってよかった。楽しかったから、行って良かった。

全国大会後の慌ただしい日々がひと段落し、全国大会によって得た自身の変化を言葉に残したいと思い、自己満ですがブログに綴ります。

↓全国大会後の記事もよかったらどうぞ。



先週のこと、チームスタッフにフットサルとは別件で面談をお願いした。面接練習に付き合ってもらったんだけど、いろいろ相談する中で、
「大丈夫なんじゃない。そう思う。全国のプレーを見ててもそう思うよ。」
といったことを伝えてもらった。

それが私にはすごく嬉しかった。

自分でも良かったと感じていた。

自分の力が出せたことが良かった。

自分のうちにある力を発揮できたのが良かった。

全国後に「(プレーが)良かったよ」と声をかけてもらえることが多かった。

全国大会での自分のプレーそのものを良かったと言ってもらえたのが嬉しかった。

そこまでの過程や頑張りではなく、その瞬間の自分が良かったと思うし、そういってもらえたのが嬉しかった。

あの時、プレーしていた自分は本来の自分だったと感じる。普段のスポーツとメンタル不調に雁字搦めになった自分(のちの画像6⃣の自分)ではなくて、本来の自分(1⃣の自分)がいたと思う。

本来の自分がいて、自分の良さをだしてプレーできたからよかったのだと思う。

もちろんそれは全国大会という舞台、チームメイト、相手選手によって引き出された自分のうちにある力であり、これまでの過程が生み出したものではあるのだけれども。

私が今ここで書いている「良かったと感じるもの」は、全国大会までの過程ではなく、自身の精神不調との向き合い方ではなく、本来自分自身が持つ力に再び触れることができたということ

でも、そう、自分のもつ力に触れるまでには、それまでの過程や仲間の存在が必要不可欠で、そこも大事な所ではあるのだけど。

もうすでに私以外の人は何言ってるか分からないと思いますが、自分でも今く言語化できないもどかしさを感じる中、それでも今言葉にしていたいと思うから書きます。また時がたち、見返した時にもう少しうまく言葉にできたり、違う見方ができたり、そんなことも期待していつも自分のために書いています。

私が全国大会を通して得たもの、
①傷ついていた自分を受け止めること
②本来の自分を認識すること
③自分への自信

なのかなと感じる。

まず自分のスポーツと精神疾患の経歴に触れようと思う、知ってる方はしつこいと思われるかもですが…

12歳の時に、走っていると「はぁはぁ」という友達が後ろから迫ってくる幻聴や悪夢、スポーツ前の動悸や吐き気に襲われるようになった。画像の中の4⃣の部分が発生。
私は、頑張り切れない自分や病気の症状を隠すために「足が痛い」と嘘をついたり、睡眠薬をオーバードーズして記憶をなくさせたり、現実逃避を繰り返した。5⃣の部分。
中学・高校・大学とスポーツには取り組み続けるのだけど4⃣と5⃣を繰り返して、最終的には睡眠薬の依存症になり、自分で睡眠薬の使用をコントロールできなくなった。救急車で度々運ばれては、精神科病院に入退院を繰り返すことになり大学は中退した。

ソーシャルフットボールに出会ってからは、まず最初の段階では、4⃣の状態になったとしても5⃣の状態にならないことを目指した。つまり、パニック障害が再燃しても、うそをついたり睡眠薬をオーバードーズしたりして逃げないということを自分に課した。
根性で乗り越えたこともあれば、うそついたこともあった。
ただ、根性では乗り越えられないと分かってからは、なぜパニックになるのかを考えることもした。

チームのなかで役に立たないといけない、失敗しちゃいけない、いつも頑張る自分でいたい、チームメイト・スタッフから評価されたい…自分の0-100思考が、自分の身体の緊張を誘発しているのではないかと考えた。
完璧な人はいないし、自分が思っているほどに誰も自分に期待していない、そう自分自身が考えられるように思考の変化に取り組んだ。

でも、その中で自分は何のためにフットサルをしているのか分からなくなった。次の段階では、精神疾患(パニック障害)の超越のために、ではなく自分自身が楽しむためにフットサルに取り組むことに意識を変えた。

全国大会も「自分自身が楽しむこと」を目標にした。

実際にできたなと思う。誰かのためにではなくて、自分のために楽しむことができた。これからもこのマインドは大切にしていきたいと感じる。

ここまでは、これまでにも記事にしている部分。しつこくてごめんなさい。

今回の全国大会、自分自身が楽しむことができた大会で得たもの、
①傷ついていた自分を受け止めること
②本来の自分を認識すること
③自分への自信
について自分の体感としてあるものを明瞭に言語化できる気はしないがひとまず書きたい。それでまた時間がたつ中で感じるものもあるだろうし。現地点での記録。

②本来の自分を認識すること
試合中、全国大会という舞台、緊張化、チームの雰囲気、チームメイト・スタッフとの関わり、相手チームの熱気、いろんな要因に誘発されていつの間にか試合に没頭していた。
よく走っていたらしい、自分ではよく分からない。でも、身体はきつかった、息が苦しくて、「楽しんでる?」と聞いてきてくれたチームメイトにベンチで「めっちゃきついよ、めっちゃ楽しいけど」と言ったのは覚えてる。
身体はきつかった、なのに動いてた。やっぱりチームメイトがゴールを決めてくれると嬉しくてそこでまたメンタル面でのしんどさが回復する、チームメイトやスタッフからの声掛けでもそうだった。
とても楽しくて、集中していて、ひとつひとつのプレーを鮮明に覚えているわけではないけど、自分らしさは出せたと思う。チームとしての結果、要所要所での自分のプレーには悔しさは残るけど。
何が良かったか。頑張ったのが良かった。粘り強さが良かった。それは本来自分の持っている性格というか素質というか強みであり、それが自然と発揮していた。
いろんなものを背負った6⃣の自分ではなくて、ありのままの自分、1⃣の自分の良さが出せた。ありのままの自分に触れる、認識することができた。

③自分への自信
ありのままの自分を認識することができ、何かを背負わなくとも、鎧をかぶらなくとも、ありのままの本来の自分もいい感じやんと気づくことができた。ありのままの自分を認めてあげることができた。素の自分への自信が付いた。

①傷ついていた自分を受け止めること
②③を経て、考えたことがある。12歳で発症する1年ほど前から、すでに12年ほど、0-100思考などが原因と思われるパニック障害に対して、5⃣の現実逃避的思考を手放すこと、4⃣の頑張れない自分を受け入れようとすること、さらけ出すこと、この二つに解決の糸口を見出そうとしてきた。

でも今回の気づきでは、本来の自分、1⃣の自分も素敵だということ、1⃣の自分に自信を持ちたいし、1⃣の自分でいられる時間を増やしていきたいということ。

となると、次に私が考えたのは、どうして1⃣の自分になれないのか。いろんなものに雁字搦めになった6⃣の自分を好きで生きているわけではない。

先に、パニック障害を誘発するものは自分の0-100思考でもあると書いた。強くありたい自分、頑張らないといけない自分、負けたくない自分、弱くなんてない自分になりたかった。いつも、いつも。

そう今度は0-100思考の原因にも目を向けた。

今回の全国大会で、私はフィールプレイヤーとしてのびのびコートの上を走り回った。すごく楽しくて、心地よく程よい緊張感が好きで、身体はきついのにそれ以上に楽しかった。それが私は嬉しかった。


コートの上でプレーすることに罪悪感があった。
罪悪感?申し訳なさかな。自分なんかがという想い。

子どもの頃、パニック障害を発症した頃、ハンドボールをしていた。よく走る右サイドが私の好きなポジションだった。それで飛び級で上の学年のレギュラーで全国大会にも出た。
ハンドボールが好きだった。好きだったけど、私は要領が悪く、頑張ってないわけじゃないはずなんだけどほんとによく怒られた。プレーもセンスがないと言われてて、実際に器用さもセンスもなく、賢さもなく、身体も小さい、面白みのない選手だった。ただ、朝でも夜でも誰よりも走っていて、体力だけは負けなかった。試合の後半が活躍のチャンスだった。

そんな自分はフィールドプレーヤーを首になった。5年生の時、他県の遠征の初日、一点も決めることなく一日を終えた。次の日、アップを終えてシュート練習に入る時、「☆はもうボール握らなくていいって言ったやろ」と言われた、確かに昨日の夜にも言われた。でもいつものように自分にはっぱをかけるために言われたと思っていた。でもそうじゃなかった。それ以降、私はキーパーになった。

悔しかった。一言相談してほしかった。勝手に決めないでほしかった。でも、言えなかった。自分の実力不足が明白だったから。
傷ついた、悲しかった、悔しかった。そんなこと誰にも言えなかった。言葉にするとすべて崩れていきそうだった。言葉にすれば自分の負けを認めるようなもんだと、気丈にふるまいキーパーを頑張るしかできなかった。

私は自分を心の奥底でダメなやつと感じている。いつもどこか劣等感がある。それはハンドボールがへたくそだった自分、シュートを打つ価値がない自分、さらに精神疾患を抱える自分、自分の弱さからクスリや嘘で逃げる自分。8歳の頃、父が病気に苦しんで遠くへ行った、病気の意味が分からなくて自分のせいだと思ってきた。自分がチームにいることで、自分が子どもであることで、いつも誰かに迷惑をかける。ごめんなさい、ごめんなさいと心で呟くことで自分が生きることを許してきた。

ダメな自分が生きてていいと思うために、頑張れるところはさらにとことん頑張るようになった。頑張らない自分を許せなくなった。
本来の自分(1⃣の自分)はダメな奴だから、そんな自分に鎧をかぶせる。強く、頑張るじぶんという鎧。勉強も頑張ってきたし、部活も真面目に行った。部長だって引き受けた。いつも言われる「真面目だね」って。それが自分の安心感でもあった。
でも、いつも、いつも0-100思考全開で頑張り続けることなんてできなくて、ぼろがでる。身体は壊れていって、うつになって、パニックの症状が出て、涙が出て。でも、そんな自分が許せなくて、今度はクスリを使って自分を強くしようとしてきた。それの繰り返し、長いこといろんなもので雁字搦めになった6⃣の自分を生きてきた。今、この瞬間を生きているのも概ね6⃣の自分だと思う。

もうだれも私の話を理解できていないと思うけど…。今回の全国大会での自分は1⃣の自分だった。かつてフィールドプレーヤーとしてハンドバールの全国大会に出ていた時の自分と重なった。ただただ純粋にあの時を楽しんでいた。自分の良さが出ていた。飾った良さや作り出した強さではなくて、本来の自分のもつ良さが出ていたと思う、だからあの時の自分は頑張っていなかった。頑張ってはいたけど、頑張っていなかった。何者かになるために、必要とされる自分となるためには何も頑張っていなかった、試合そのものには頑張っていたけれども。それが嬉しくて、それが良かったと思う。

だから、だから、全国大会での自分のプレーを褒められることがとても嬉しかった。1⃣の自分を認めてくれる他者がいることに嬉しかった。作り出した自分ではなくて本来の自分を認めてもらうことができてうれしかった。


全国大会を経て、本来の自分でも大丈夫、そう自分が自分を認めてあげることができた、それが全国大会から自分が得たものだと思う。
もちろんすぐに1⃣の自分として毎日を生きていくことができるわけではないのだけど、じょじょに自分らしく生きていくことができるようになっていいよ、と自分に声をかけてあげる。



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