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『娘、それは父のような人と結婚したい』

母によく隠し事をする子どもだった。何か悪いことをしたときはもちろん、そうじゃなくても何も言わない子だった。模試の結果が良くても悪くても母にはなんとなく見せない。耳が痛くても自分でどうにかする。生理がはじまったことも半年間隠し続けた。みんなそうしてると思っていた。

今も隠している。自助グループを仲間も立ち上げたこと、ここ1年間、毎週水曜日、夜に通い続けている場所があることを、言ってない。周囲から何度も「お母さんが聞いたら喜ぶよ」と言われたが言ってない。

なぜか分からない。分からないけど、母に心の壁を作ってしまう。

私の母は毒親じゃない。私もそう思うし、周囲の人もそう思うはず。私を育ててくれた人、応援してくれる人、たくさん習い事をさせてもらったし、国内外に旅行に連れて行ってくれた、大学も今も学費を払って貰っているし、一緒に住んでて掃除も洗濯もしてくれる。お母さんの作るご飯はどれも美味しい。

母のことが嫌いなわけじゃない、なのにだけど何か引っかかるし、自己開示ができない。

母親を大事にできない、心の底から好きになれないなんておかしなことだと思う。思ってた。だから周囲にそんな悩みを打ち明けられなかったし、こんな悩みを抱える自分は最低な子どもだと思う。
友達の家の話を聞くことが嫌い、触れないで欲しい、家族の話なんて誰も始めないでっていつも思ってた。


映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」 


父の最後のメッセージを探して、少年の旅は始まった。

大切な人を失った悲しみ――誰にでも必ず訪れるそのことに、人はあまりにも無防備だ。覚悟した別れでも受け入れがたいのに、ましてそれが突然で理不尽な別離だとしたら――。
オスカーと父は、親子であると同時に親友だった。父は少しばかり繊細で生きることに不器用なオスカーを、その個性を壊さずに導いてくれる頼もしい師でもあった。そんな二人を優しく見守る母親。ところが――9.11が最愛の父を奪ってしまう。
オスカーは父が遺した一本の鍵に、最後のメッセージが込められていると信じ、鍵穴を探す旅に出る。鍵の入っていた封筒に書かれた文字に従い、ニューヨーク中の“ブラック氏”を訪ね歩くオスカー。やがて謎の老人が同行者となり、いつしかオスカーの辿った軌跡は、人と人とをつなぐ大きく温かい輪になっていく。
ついにオスカーは、鍵の真実とめぐり会うのだか――。

ワーナー・ブラザーズ 公式サイトより

一回目の視聴時の考察:グリーフワーク・リカバリー視点から

半年ほど前、グリーフケアに関連する映画として他大学で受講する教育人間学に関する授業で知った。
その時は、オスカーに降りかかった困難(9.11での父との急な死別)をオスカー自身が受け入れ、また前を向いて歩んでいく、その過程、グリーフワーク、リカバリーに注目して映画を見た。そして、その過程に自身のリカバリーの過程を照らし合わせた。

【オスカーのグリーフワーク・リカバリーの過程】
①父の死の否認

自分の殻に閉じこもる日々

②父の死と向き合う
鍵穴を探す旅、父の死の意味を探す旅に出る
他者と出会い、他者から与えられる温もりを知る。
「大勢の人が大切な何かを失っていた」(オスカー)
⇒死の普遍性を受け入れる、自分は一人ではないことを、支えてくれる他者の存在に気がつく。

③物語る
旅を通しての気づき、学び、発見を自分の言葉にする
・旅で出会ったたくさんのブラックさんに送る感謝の手紙
・母に送った旅の調査報告書『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』地面からワールドトレードセンターにジャンプする父の姿が描かれる。
⇒父の死をどのように受け止めたのか、手紙、報告書の中で物語る⇒父の死を超越していく

④自分の人生を生きる
父の死を受け入れることでオスカーの中で父は生きていく。ものすごく近くにいてくれる父とともに生きていく。
そして、またものすごく近くにいる他者とともに「なんとかやっていける」(オスカー)。

【私のリカバリーの過程】
①病気(薬物依存症など)の否認


②仲間との出会い
・みんな何かしらの傷を抱えて、それでも生きていた
・同じく傷を抱える仲間が私を大事にしてくれた。
⇒他者と繋がることで心が温かくなる感覚を知った。

③自分自身を物語る
自分の病気に目を向ける。弱さに目を向ける。言葉にする。
⇒弱さを抱えることの普遍性に気づく。弱さ、病いを抱えることそれは悪いことではない、むしろ受容し生きていくことにものすごく意義がある。
「変えられないものを受け入れる落ち着きを 変えられるものは変えていく勇気を」

④弱さを抱えてもそれでも生きていける
弱さを持つのだけどそれでも自分の人生を歩んでいく。私はひとりじゃない。仲間と一緒なら「なんとかやっていける」。大丈夫。

二回目の視聴時の考察:家族の関係性の視点から

年末、ふと父のことを思い出した。私の父。新幹線で3時間くらいかかるところに住んでいる父。なんだか頭から離れないそんな日々が続いていた。

一昨日、一番のこころの支えであった支援者と何の言葉もなく別れることになった。それはもう悲しんだ。そして仲間にあることを言われた。

「☆もみんなから嫉妬されていることを覚えとかないといけないよ」
「☆の周りにいるのはAさんだけじゃない、周りに応援している人がたくさんいてる」
「自分にないもの、失ったもの、これというものにしか目が行かない、視野が狭いんだよ、自分の持っているもの、近くにいてくれる人をもっと見てよ、ほんとうに失う前に大切にして」

この映画が見たくなった。

2回目。オスカーと父と母の関係性に意識が向いた。

オスカーにとって父は唯一の最愛の父であり、一番の理解者であり、親友。
そんな父の死を拒絶し、自分の殻に閉じこもった。
ある時、オスカーは母に言った、「あの日ビルにいたのがパパじゃなくてママだったら良かったのに」と。「ママもそう思う」とオスカーの母は答えた。

オスカーと母の関係性はギクシャクしていた。私と母のよう。それは母がダメなんじゃなくて、理不尽な死別を経験しやり場のない悲しみ怒り不安を抱えていたからでもあるだろうし、父との関係性があまりにも強固だったからでもあるだろうし、いろんなものが絡みあってそうなったのだと思う。
母が悪いわけでも、オスカーが悪いわけでも、父が悪いわけでもない。でもそうなった。そうならざるを得なかった。

オスカーは旅に出た。鍵穴を探す旅、父の死の意味を見つける旅。
オスカーはたくさんの他者と出会った。父以外の他者の存在に、そして同じく大切な何かを失った他者の存在に気がついた。そして同じく傷ついた他者に温かさをもらった、「なんとかやっていける」。
オスカーは言葉にした。あの日のことを、自分を責めつづけていたことを。
そして母に旅の調査報告書『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』をプレゼントした。そこにはオスカーがどのように父の死を受け止めたのかが描かれていた。

オスカーは父の死を本当の意味で受け入れた。その時、彼は父を近くに感じることができた。彼の中で父がまた生きはじめた。
オスカーの中にいる父とともに、ものすごく近くにいる母とともに、また新たなオスカーの人生を歩み出した。

オスカーの中で気持ちの整理がついた時、オスカーはものすごくうるさくて、ありえないほど近くにいてくれる他者を見つけることができた。父をものすごく近くに感じることができた。

オスカーと母の噛み合わなかった歯車が、グリーフワークや旅、父の死を物語ること、受容することを通して、そこに再び父が入ってくることで父と母とオスカーの関係性の歯車がまた上手く回り出した。




2回の視聴を経て、父と母と私のことを物語りたくなった。そこに母との関係性のヒントがあるような気がした。ここにも一部書いていく。


親と会えなくなった私の心のケア:物語ること

父、それは大好きな人

父、それは脱出ゲームの答えをぜーんぶ知っている人
父、それはオセロを最後の最後にクロにひっくり返す人
父、それは一緒にボールを蹴ってくれる人
父、それはコンピュータが好きな人
父、それは歌がとても下手な人
父、それは一緒にいて楽しい人

私は父のことが大好き。生粋のお父さんっ子。木曜日が仕事の休みのことが多い父。木曜日は父が保育園にお迎えに来てくれる。いつもより少し早く、お友達より先に父は迎えに来てくれた。自慢の父はお友達も笑わせてくれた。

父、それは弱さを抱える人

父、それは気分の波がある人
父、それはうそをつく人
父、それはお金をたくさん使っちゃう人
父、それはベランダを空き缶で埋める人
父、
父、それは愛されずに育った人

父と母は仲良し。なのに、時々、自慢の父が母に怒られていることを目にする。保育園の頃から。母が怒るのは銀行に行った後のスーパー。父がちっさくなる。それを見て私もちっさくなる。父のことを怒らないでほしい。

父が遠くへ行った

ある日起きると母が泣いてた。私のハートのダイヤのおもちゃをほしいと母は私に言った。これは母が買ったものだからもともと母のものなのに。

父が遠くへいくことになった。その前に祖母と母と父と、父のスーツを買いに出かけた。引越し業者が来て荷物を運んで行った。

荷物が運ばれて行った日、一人で静かに泣いた。布団の中で。誰にも見られちゃいけなかった。

父が遠くへいくのは仕事だから、わがまま言っちゃいけないと思ってた。ほかにも我慢してる子がいっぱいいる。こんなので泣くのは違うよ。もう8歳だよ。時々、学校で習っていることや流行っていることを手紙に書いて父に送った。

犬がきた。母が貰ってきた犬。

父は時々帰ってきてくれた。私のスポーツチームの大会を見にきてくれた。海に連れて行ってくれた。一緒に犬の散歩に行ってくれた。時々近くのファミマで父のおすすめのパンを買って帰る。パンとパンの間にシュガーマーガリンみたいなやつが塗ってあるやつ。

父は日曜日に帰る。また布団の中でしくしく言う。

父がいないこと。それは寂しくて、たまらないこと。母は父のかわりじゃないし、犬は父のかわりになってくれない。
私は母の言うことが分からないことがあった。母が何に怒っているのか分からない。母は漢字ノートをきれいに書き直せと怒る。算数はできても国語ができない子だった。私には母の気持ちが全部は分からない。

10歳。父のもとに行きたかった。母がお風呂に入ってる間にそっと家を出た。自分の部屋に紙を置いてでた。寂しさつらつら書いたやつ。
遠くまで歩いた。公園のベンチで横になった。力尽きた。オスカーが鍵の真実を見つけたあと地下鉄の車内で横になってたシーンと重なった。鍵の答えを見つけてももう父には会えない。近づこうとすればするほど、遠くにいることを知ってしまう。
9月の夜、心も身体も寒かった。警察官に見つかった。一緒にお母さんに謝ろうと言われた。謝った。何を謝るのか分からなかったけど。
帰って母に怒られた。部屋の紙はそのままだった。

13歳。いろいろあった。父と会えなくなった。私のせいだと思っていた。

15歳。母に毒はいた。オスカーのあの時あの気持ちに涙が重なる。母が悪くないこと分かってる。でも自分を制御できなかった。誰のせい、父に会えないのは誰のせい、ぶつける先のない寂しさ悲しみ怒りがいちばん苦しい。
祖母が初めて私に怒った。母も悲しんだ。
父と母と3人で会って話そうって言われた。私の好きだったハードロックカフェ、こんなとこで深刻な話していいものなのか、でも私の好きだったところで3人で待ち合わせすることになった。

行かなかった。行けなかった。話すのが怖かった。祖父を前に秘密を言えなかったオスカーのあの涙が苦しい。母は私を探し回った。父は駅で帰りの新幹線の時間までずーっと待っててくれた。膝が痛いのにずっと立って待ってたって後から聞いた。

この日以来、時が止まった。
もう父に会いたいと言う資格は無くなった。
私の世界に父はいないものになった。

20歳、父と母が離婚するための書類を見つけた。
父のことを知った。しっかりとは知らなかった父の一面。父が自殺しようとしたこと、母が止めようと送信したメール。かなりの借金を抱えていたこと、母や祖母がなんとかしてくれたこと。父の幼少期の頃のことを知った。子どものころのなんとなく分かるけど何が起こっているのか分からなかった記憶のあれこれが繋がった。でもすぐに蓋をした。

『娘、それは父のような人と結婚したい』

いま、蓋をしてきた記憶をあけてみる。
大好きな父との思い出を思い起こす。
私の世界から消していた父のことを言葉にする。

あの時言えなかったことを言葉にする。

パパが大好きだった。パパは面白くて賢くて、パパといるのが大好きだった。本当は言いたい。堂々と言いたい。

ほんとはもっともっと声を上げて泣きたかった。
寂しいよって言葉にしたかった。

教えてほしかった。どうして父は遠くへ行くのか。納得したかった。

誰が悪いのか分からない。誰に感情をぶつけたらいいのか分からない。
どうやってこの思いを昇華すればいいのか分からなかった。

我慢するのが当たり前だと思っていた。

誰も悪くない。
誰も悪くない。
父が悪いわけじゃない。
父のパパとママが悪いわけじゃない。
父の病気が悪いのか、それだけじゃない。
母が悪いわけでもない。
私が悪い子だったからでもない。
政府が悪いわけじゃないし、隣人が悪かったわけじゃない。

父が遠くへ行ったのはそういうこと。
いろんな関係性の中で、ひととひとの関わりの中で、父の中の細胞と細胞の関わりの中で、父と母と私の関わりの中で、父の心の中のいろんな感情の関わりの中で、いろんなことが混ざりまざって父は父の人生へと押し出されていった。

だからこそ誰も責めることができないし、だからこそみんな苦しいんだ。

そう私が母につくる心の壁はいろんなものが絡まりあって築かれていった壁だった。

母がダメなわけじゃない。
私が悪い子だったわけじゃない。
母と私の関わりが間違っていたわけじゃない。

いろんなものが関わりあっているからこそうまれたものだった。
いろんなものが関わりあっているから苦しくて、でも、でも関わりあっているから生きてこれた。

言っていい。お父さんが好きだった。大好きだった。ほんとはもっと一緒に生活したかった。叫んでいい。
叫びたい。そう思った時に叫べばいい。1人でもいいし誰かに聞いてもらってもいい。言葉にしても大丈夫。何も起こらないから。涙が出れば泣いていい。
過去を振り返り言葉にすること、それは後ろに戻ることではなくて、前に進むための力をくれるものだった。
勇気をだして言葉にしたあなたを認めてあげてね。

もう許していい。父のこと、母のこと、私のこと。もう誰も責めなくていい。
許すこと、それは逃げじゃない、降伏でもない、諦めでもなかった。それは自分に、自分を取り巻く時に理不尽な関わり合いに、関わり合いの中を生き合う人々に寛容になれることだった。

娘、それは父のような人と結婚したい。

ふと湧き上がった。
父との思い出を思い起こして、あの時の日々を振り返って、あの時の感情をもう一度抱えて、あの時の自分を懺悔した時、あの時の私の声を言葉にした時、あの日々を物語った時、父と母と私の繋がりを感じた時、ふっとこの言葉を口にした時、父との別れを本当の意味で受け入れることができた。
それは別れであり再会のようなものだった。

再び、父が私の中で生きている。
父を近くに感じることができる。

私のものすごく近くには、父が、母が、応援してくれるたくさんの他者が、いてくれる。そのことに気がついた時、ものすごくうるさくて、ありえないほど近い関わりの合いの中に私の心は戻っていく。

それでまた、それでもまた私は生きてゆける。

いつか再び私の中で父と母と私の歯車が回ってゆくことを願って。
いつか母に自分を見せられる日がくるといい。
いつか母にほんとのありがとうを伝えたい。

母、それは父と結婚してくれてありがとう。
母、私を産んでくれて育ててくれてありがとう。

母へ、それは気難しい娘でごめんね。
母へ、私も父のような人とめぐり逢い生きていきたいです。


子どものこころのケアについて

今や3組に1組は離婚する社会と言われている。離婚は特別なことではなくなってきた。どちらかの親と離ればなれになる子どもが多いはず。子どものこころケアできていますか。

グリーフケア、大切な人を亡くした時に、心の整理をすること。
悲しみ、そして、死を受容し、また前に進んでいく。しっかりと悲しみ、そして受容していく、とても大切なこと。

それは子どもも一緒。親との別れ、例え定期的に会えるとしても、それまで一緒に生活していた人が遠くへ行くことは普通のことじゃないです。

子どもはとても敏感な人間。両親の顔色や感情を感じ取れる。そして状況に応じて振る舞える。両親が笑ってくれるように、自分の立ち振る舞いを自然と操れる。

子どもにとっての家族は一人ひとつだから。他の家族と比べることが難しいこともある。自分の家族が世間一般だと思ってしまう。
父がいなくなるのは大したことじゃないのだと、寂しいのは私だけじゃないのだと感じてしまう。母に隠し事をするのは皆もそうだと思ってしまう。
誰かに助けを求める状況だということを自覚しにくい。

子どもは弱い存在で、力なき存在。
でも、子どもは立派な一人の人間で、感情や思考を持っている。

でも、ここで、だから子どもにこうした方がよい、こころのケアにはこの方法があると示すことができないことが申し訳ないのだけど、でも私の経験を伝えることならできるから、自分の中にあるものを言葉にする。

私にも話して欲しかった。家族のこと、家庭の状況。ごまかさないでほしかった。触れちゃいけないモノに気付いていた。いろいろ我慢するしかなかった。

誰かに見つけてほしかった。私の状況は普通のことじゃないんだと教えてほしかった。助けが必要なことを教えてほしかった。もっと悲しみを表現してよいのだと知りたかった。

困っていることを言葉にしてみたかった。悩んでいるモヤモヤを整理したかった。

自分の話を聞いて欲しかった。最後まで話を聞いてほしかった。勝手に私の気持ちや行動を先読みして話さないでほしかった。母に謝るかどうかは私のタイミングがあったと思う。耳が痛いことを母に伝えないと病院に連れて行ってもらえないのは私も分かってた。
どうして謝りたくない状況なのか、どうして耳が痛いと言えないのか、引き出してほしかった、言葉にしたかった、話させてほしかった、状況を変えたかった、もうちょっと楽になりたかった。

上手く書けないし蛇足な部分かもしれませんが、子どもにも当たり前に感情があり、思考があり、こころのケアが必要なこともある。普段と様子がおかしいなと感じるとき声をかけてあげてほしいです。どうか子どもの声にじっくり、ゆっくりと最後まで耳を傾けてほしい。そしてその時に、ここが安全な場所であること、例えばお母さんには言わないよ、とかも最初に伝えてあげてほしいです。これが心のケアの入り口になると思います。

追記
子どものころの私、そして同じように悩みを抱えるあなたへ
もし自分の中の思い(例えば、寂しい、辛い、死にたい、父がいなくて寂しい、母が毎日私をしかる、、、)を言葉できるなら、まず何かに書いてみるのもいいかもしれない。
自分の中にある感情を整理すること、言葉にすること。とても怖いこと、しんどいこと、難しいことだと思います。あたまに浮かんだ言葉、知っている言葉をそのまま書くだけでOK。絵でもいいと思う。頭にイメージするものを表現してみる。
書いてみてどうだった。23才の私でも言葉にすることで涙が出ることがある。ここでは泣いても大丈夫。よくできたよ。
あなたの周りには誰がいますか。あなたの話に最後まで聞いてくれる人はいますか。もしいればその方に、保健室の先生も話を聞いてくれると思う。声に出すのが難しかったら言葉や絵を描いた紙を見せるのもいいと思う。
見せるだけでいい。あとのことは大丈夫。何を話すとか決めてなくていい。見せるだけ、たどり着くだけでいい。誰かと思いや感情を共有できるとまたすこし心が軽くなるかもしれない。
周囲の大人が力になってくれると思う。大丈夫、この広い世界に大人はとってもたくさんいるからね。あなたも一人ぼっちじゃないから。あたたかい繋がりが届きますように。ほんとうの気持ち言っていい、大丈夫。自分のことも、もう許していいからね。


終わりに・お礼

この映画を教えてくれた人、グリーフワークの視点をくれた人はD大学のP先生です。

先生と出会った当初の私は、自分の弱さ、自分の生きる意味、自分のこれから、自分のことばかりに目が向いていて、さらに自分と向き合うために先生の講義を受講し始めました。
先生の講義の中でたくさんの方に出会い、たくさんの物語りに触れ、たくさんの言葉をもらいました。そして、何より私の近くにいてくれる方々との関わり合いを通して、ごくごく最近ですが、大勢の他者との関わり合いの中で生きる自分という存在を感じることができるようになってきたと思います。自分の物語りに一番身近な他者が登場していることが驚きであり、この一年の私の変化を感じます。

これからも他者との関わりの中で生きる喜びを見つけていきたいです。一年間ありがとうございました。また、お話出来る日を楽しみにしています。

“Stories are compasses and architecture, we navigate by them, we build our sanctuaries and our prisons out of them, and to be without a story is to be lost in the vastness of a world that spreads in all directions like arctic tundra or sea ice.”

物語は羅針盤であり、建築物である。私たちは物語を通して道を探し、物語によって聖殿と牢屋を建てる。 物語がないということは、北極圏のツンドラや海氷のように四方八方に広がる広大な世界に迷い込むことなのだ。」

―Rebecca Solnit,The Faraway Nearby

初回の授業で出会った言葉、自分のために残しておく。


自分の気のすむように書いていたら一万字近くなりました。もし最後まで読んで下さった方がいらっしゃったら、読んでいただきありがとうございました。「物語る」ことに興味のある方がいらっしゃればぜひ繋がりたいです。

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