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かたちの無い自傷行為

自傷行為って聞くとまずリストカットをイメージする。
大学の授業で自傷行為をするということはそれだけ辛くて、自傷行為をすることが生きるために必要ということもある、と聞いた。

ほんとの痛みを紛らわすため。
ほんとの痛みをごまかしてそれでも生きるために自傷行為はある。
のかもしれない。

私は睡眠薬をオーバードーズすることで生きてきた。
最近別れた支援者さんにあなたのODも自傷行為だと言われたことがあった。
たしかにそうだ。。
つらい現実から目を背けるために脳みそをつぶす感覚で大量服薬してきた。
自分がつぶれていく感覚に酔っていた。
いきる価値などない自分をつぶすことで生きていた…。
こんだけ自分をつぶそうとしているんです。つぶしています。でも最後まではつぶしきれなくて。ダメな自分が生きててごめんなさい。でもつぶしてますから生きてることを許してください。

○○○

睡眠薬のオーバードーズはもう2年近くはしていない。
リカバリーの道を歩むようになり2年。
ODはやっぱりしたい、欲求に襲われることは度々あるのだけどしていない。別の解決策を教えてもらったから。
ほんとの痛みや脳みそをつぶしたくなる原因に目を向ける余裕が出てきた。一緒に目を向けてくれる仲間ができて、目を向ける方法や目に向けた時のことを言語化するための言葉を知った。

ODは身体にもしんどいものだから、自分が生活しやすくなるために、できるだけ生きやすくなるように、より良い状態をキープするためにODという自傷行為はしなくなった。

○○○

2年間、自傷行為とは無縁な状態を維持してきたと思っていた。だから自分のリカバリーは進んでいると思っていた。
もう大丈夫。精神的に安定してきた、と。

大学の学生仲間の方から精神疾患をオープンにできることがすごい、なぜオープンにできるのか、と聞かれたことがある。
私は精神疾患を患っている、でも、精神科に通院し薬を飲むこと、生活訓練の施設を利用し、OD以外の解決策を学ぶこと、フットサルチームに所属し身体を動かすこと、いろんなものを利用して、それは自分のために、精神疾患のためにではない、自分がより良い状態で過ごすためにいろんなものや人を頼ることで自分らしく、自分がこれでいいなと思える生活を送っている。
だからまあ、精神疾患ってそういうもの、別に人生が終わってしまうものでく、ただの病気、障害、特性、みたいなもので自分の一部だと今は感じているから、別に恥じてはいないし、誰かに聞かれことがあれば言える。言っても大丈夫と思えているし、だからオープンにしている。・・・・

自分の弱さを開示することで強くあろうとしている部分もあってオープンにしているのかもしれない。・・・・

○○○

別に恥じてはいない
二年間自傷行為とは無縁
もう大丈夫、精神的に安定してきた

でもほんとは無理やり、そう言い聞かせてきた節がある。
やっぱり恥ずかしい。
普通に見せたい。
私の参加するソーシャルフットボールのチームは選手は精神疾患を持っているが、スタッフは健常者と思われる。
みんな同じ大人だけど二つの大人がいるように勝手に頭で区別してきた。自分が勝手に。
選手であることが、一瞬むなしくて、自分の病気をできるだけ、できるだけ見つからないようにしている自分がいる。電車の中で起きるパニックも自分の中になんとかおさめる。ユニクロのウルトラライトダウンを袋に押込む感じ。

○○○

普通の大人でいたくて、自傷行為はしていないし、もう精神的に安定している、普通の大人だよ、と言い聞かせてきた。
自分のなかで生じるパニックや自傷行為を見てみないふりをしてきた。言語化しないようにしてきた。言語化してしまうと、普通じゃないほうの大人に分類されてしまう気がした。

○○○

この二年間、自分の体内で誰にも見えない自傷行為を続けてきた。
あれも自傷行為。これをすることで生きていられる。

頭の中にイメージする。
自分の心を切り刻む映像を。
ごめんなさいごめんなさいってあたまのなかで再生する。
頭を壁にぶつける感覚を想像する。
訳の分からない音を身体の中に流す。
そして体の中を脳みそが作り上げた血が流れる。
そして何回も謝る。

時々する。これまでODをしていたタイミングでする。
自分の言った一言が余計だったと落ち込むとき。
ふと見た他者の表情が怒っていたとき。
自分の疲れを自分で外に出せないとき。
自分の存在を消したいとき。
ODの代わりにする。

これをしたところで状況はなにひとつ変わらないのだけどやる。

これをすることで、生きててごめんなさい、をした気分になる。
自分を傷つけ、自分の存在を謝ることで、生きててもいいとなる。
生きててもいい、というよりかは、これをすることで生きていられる。
上手く言葉にできないのだけど、
自分を否定することで、はじめて生きる資格が与えられる感覚。
自分は生きる価値などなくて、
だから、
よく自分は悪い子だったとか、
自分の心はとても汚いとか、
ミーティングで口にするんだけど、
それと一緒に自傷行為をすることで自分が生きることを自分が許さす、社会から許される。

追記
だめな自分を認めて謝ることで、自分に盾を作る感覚もある
もう先に全部謝ってるから、分厚い盾で自分を覆っておくことで社会を生きていける

○○○

何が書きたいのか分からなくなったけど、
今の私は無理している。
精神疾患だなんだ関係なくまだ心は病んでいて、自己肯定感が低かったり、自分を愛するとか分からなくて、だから他者を愛することも分からなくて、社会で他者と関わりながら生きるを考え込んでしまう。

今の私は無理してる。それを自分に伝えたくて言葉にした。


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