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"書く習慣" を怠ると、編集力が衰える気がする

タイトルからお察しいただけますでしょうか。
これは "長めの文章を書くこと" を3ヶ月ほどサボった人が、年始から今までの自分をふり返って書いているnoteです。



さて、そもそものスタートはここ。
元旦に呟いた、2022年の目標です。

この目標のもと、1月は結構頑張って読んだり書いたりしていました。

「書く」ことに関する本も読んでいこうと思って、最初に手に取ったのが、まさにこのnoteのタイトルにも入っている「書く習慣」(いしかわゆき著)でした。

頑張って、読書記録としてnoteも書いていたのですよね。
なお、読書記録 No.1 と入れていますが、2022年4月末現在、No.1で止まっております。おかしいですね?

とはいえ、自分でもわかっていたのです。
毎年、2-3月は繁忙期。お仕事相手が忙しい時ほど、相手の期待に応えることがフリーランスの信頼貯金アップの秘訣なのだ!と思っているので、この時期はプライベートを削ってでも仕事に全振りするつもりでいました。そして、実際そうしたわけです。
その結果、2-3月は、本は一切読まず、noteは1本/月ペース。正直これでもエライ!って思ってました。

そして4月。
これもまぁ、薄々予想はしていたのですが、次男の転園に伴う慣らし保育と長男の春休み、そして塾の春季講習、給食なしの短縮授業etcの不規則なスケジュールなどにより、4月前半は仕事と家族のことで精一杯でした。
さらに、ようやく慣らし保育が終わり給食も始まった!と思った矢先に起こる家族の体調不良…  気づけば世の中はゴールデンウィークのようなのですが、これはいったいどういうことでしょう?

言い訳の連続のようですが、これが主に2-4月と、私が書けなかった理由。
ふり返ってみれば、とてもよくある話だし、なんならもともと「こうなるだろうな、きっと…」って自分で思っていて、実際そうなったという確信犯的な書かない日々、でした。


じゃあ、諸々落ち着いて、ちょうどタイミングよく連休にも入る今、書けるのか?というと── 

ここからが、今回のふり返り最大の気づきです。

久しぶりに書こうと思っても、「え、何書こう…」「どんな風に書けばいいんだっけ…」ってなるんです!

ほんの4か月前は、こんなこと全く思わなかったし、あぁ、あれ書こうって思って自然にnoteを開いていたのに、その感覚が全然生まれてこない。
とりあえず、エディターに向かえば指が動くのではないかと思っても、何を書けばいいのか全くわからない。

そこでやっと気づいたのです。
運動をしなければ運動機能が衰えるように、書くことをしなければ書く機能も衰えるのだということを。

正確にいえば、書くことから完全に遠ざかってはいなかったのです。
仕事では毎日のように長い文章を読み、そこそこの量の文章(いわゆるレポート的なもの)を書いていました。
ただしこれは既存の情報をまとめるという作業であり、そこに私の思考や感情が入る余地はないもの。プライベートの文章とは、全く性質が異なるものというわけです。

また、短い文章(100−200字程度)は、TwitterやInstagramで毎日書いていました。そこには思考も感情もあったけれど、短いので書けちゃうというレベルのもの。
もちろん、短いからこそ、そこにどんな言葉を入れるかという意味では、難しさもあるけれど。でも、私がこの数カ月書いていたこれらSNSの文章は、全体の構成とか、流れとか、そういったものを一切気にせず、パパッと書けちゃう文だったのです。

ここまでふり返った結果、長めの文章を書くことをサボったことにより、私の中で衰えたものが何か、気づきました。
タイトルで壮大にネタバレしていますが、そう、"編集力" です。

アイデアや瞬間の感情などは、あちこちに置いてきています。少し前だったら、そういった自分メモ的なSNS投稿をベースに、noteとしてじっくり描きたいものが浮かび上がってきていたはず。
ところがそれができない。
かろうじてできたのは、ある程度写真を撮りためていた桜の記録だけ。

↓4月に唯一書いたnoteです。

見ていただければ分かりますが、ほぼInstagram投稿を経時的に載せているだけ。それでもなんとか、前後に文章を入れてまとめているけれど、我ながら「記録としてはいいけれど、読み物としては面白くないなぁ…」って思いつつ残しているもの。


去年、こんなnoteを書いているのですが、

その中でnoteについて、こんなことを書いています。

“つまり、私にとってnoteを書くという作業は、過去あちこちに置いてきた思考や感情の欠片をもとに、自分の思考や情緒に改めて向き合い、深めていく作業なのである。”
Twitterは思考ログ、Instagramは情緒の置き場、そしてnoteは・・・


こんな偉そうなことを書いているのに、書いたはずの本人が、それをできなくなっちゃった!というわけなのです…

置いてきたはずの思考や感情の欠片を前にしても、何も浮かばない、何もひらめかない。思考を深めるってなんだっけ?? そんな状態になってしまいました。

"編集力" と表現しましたが、もっとイメージに近付くよう説明すると、細かい情報の欠片(その中に、自分の思考や感情も含む)を拾い上げ、何かしらのインスピレーションを得て、欠片をつなぎ合わせ、一つの作品としてまとめる。そんな作業をやり切る力、なのだと思います。

引用したnoteを書いてからまだ1年経っていないはずなのにこの様。衰えるのって本当に早いですね。

なーんて、客観的かつ冷静に分析したところで、何も進歩はありません。
衰えたものを取り戻すのは、再び鍛えるしかないわけです。
このnoteも、実はその一環です。

でも、実際にここまで書いてみて、やっぱり無理矢理にでも書き始め、ウンウン唸りながらでも書き続けることは大事だな、と実感しています。

なぜならば、これを書き始めた当初、編集力が衰えるなんて気づきはどこにもなかったから。

そもそも、何を書けばいいのか分からないので、noteの「募集中」の一覧を見て、「あー、このテーマなら書けるかな」という理由だけで、 #振り返りnote  を選び、「うーん、とりあえず…書くことをサボってたら書けなくなったって話にしよう…」くらいの気持ちで書き始めたものなのですから。

”編集力”が衰える云々以降の部分は、書いているうちに、「あ!そういうことじゃない?」と思い至り、それをそのまま書いている、出来立てほやほやの思考です。いやはや、自分でもビックリ。

そんなこんなで、何はともあれ書きなさい! が結論となりました。

書けなくとも書く!
思いつかなければ、noteの募集テーマからもらう!
とりあえず1000字くらい無理くりでも書いてみる!
納得できなければ、下書きに残せばよし!

こんな精神で、少なくとも1000字以上のnoteを、もう少し頻繁に書いていこうと思います。


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