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【London days】「中の人」になった日

私は1995年8月から1999年11月までの約4年半を、イギリスのロンドンで過ごした。夫の企業駐在に同行して。
まずは英語力を養わなければ、と通い始めた語学学校の帰り道、うかつにも迷子になってしまった話は以前書いた。

さて、ロンドンに暮らして2年余りが過ぎた頃、私に仕事の話が舞い込んだ。
声をかけてきたのは、当時、私たちが住んでいたフラットのオーナー夫人だ。

私たちは、ロンドンで最初に住んだpurpose-built flatから、同じエリアにあるconvertible flatに引っ越していた。
家探しの顛末はまたの機会に譲るとして、この引っ越した先の物件オーナーは英国人の男性と日本人女性のご夫妻だった。

私よりひとまわりほど年上の陽気なオーナー夫人と仲良くなり、うちに不具合が発生すると旦那さんと共に現れ、修理が終わると奥さんだけ残って私と延々とおしゃべりを楽しんだ。

ある夕方、オーナー夫人から電話があった。
「実はね、日本語を話せる人を探していて・・・」

彼女は、夫婦で日本から100円ショップの商品を輸入してそれらを1ポンド(当時で約160円〜200円)で売る店を立ち上げる事業を起こそうとしていた。
共同経営者として、旦那さんの友人のイラン人が参加していた。このイラン人と旦那さんがなぜか事あるごとにぶつかり、店舗オープンの日まで1ヶ月を切っているのに、ショップスタッフが決まらずゴタゴタしていたらしい。
オーナー夫妻は、Japanese 1 pound shopを掲げるからには、日本人か少なくともアジア系のスタッフ多めにすべきだと主張したが、共同経営者は、自分のイラン人の知り合いに声を掛ける、と譲らなかった。
おそらく、共同経営者のイラン人男性はそろばんは弾けても、モノを売る店の雰囲気や感性に欠けていたのだと思う。自分が関わる店の売り上げを、身内に流したいという思いもあったのかもしれない。
「例えば、私たちが和食のお店に行って、シェフもウェイトレスもイギリス人やイラン人だったらどう感じます?」
オーナー夫人はそう言ってため息をついた。

私には、ショップスタッフとして店頭に出てもらいたい、と言われた。
イギリス政府から発給されるworking visaは夫婦同等なので、私のように夫が駐在員としてのworking visaを持っていれば、私もフルタイムで合法的に働くことができる。
ただこの頃、私の周りで駐在員妻が仕事をしているという話は聞いたことがなかったし、夫が勤める会社にも「社員が海外駐在中に帯同している家族の現地での就業について」などという規則はなかったと思われる。
私は、仕事の話が舞い込んだことを喜びつつも、せっかくのイギリス生活を楽しみたいので、週末や祭日、夏休みなど、夫のオフィスが休みの時は私も休めるようお願いしてみた。
よっぽど人材が必要だったのか、オーナー夫人は私の条件を飲んでくれて簡単な契約書を交わし、私は月〜金の9時から5時まで働くことになった。

まだオープン前の店舗は広々していた。
DIYが得意な旦那さんとその友人(先述のイラン人ではない)が什器を器用に組み立てて壁に取り付け、オーナー夫妻が開店準備のために連れてきたと思われる数人のイギリス人の若者と共に、私もバックヤードにあるおびただしい数のダンボール箱を開け、店に運んでは棚に並べ・・・、を1週間ほど繰り返し、無事にオープンの日を迎えた。
ちなみに私はこの時、「ダンボール」が英語ではなかった、と知った。

日本から輸入されるクオリティの高い便利な品々がたったの1ポンドで手に入る、というニュースは徐々に広まり、店の売り上げは日々伸びていった。
半年ほど経つと私は店に立ちつつ、オーナー夫人がやっているバイヤー業務も手伝うようになった。

開店から1年ほど過ぎた頃、ヤオハンが入っていたモールに2号店を出すことになった。
ヤオハンは、コリンデール(Colindale)というロンドン北部の街にあり、モールには日系書店やレストラン、和菓子屋、美容院などがテナントとして入っており、全ての店で日本語が通じるので週末は多くの日本人で賑わっていた。

この2号店のオープンイベントとして、「キティちゃんとの握手会」が催されることになった。
1号店をオープンしてから少しして、サンリオの商品も扱うようになっていた。
サンリオの数あるプロダクツにも100円カテゴリーがあったらしく、また、キティちゃん商品は英国人の子供ならず、アジア人に人気だった。
私は主にサンリオ商品の買い付けを任されていて、発注した商品が船便でイギリスに到着し、それを店頭に並べ販売するためには3ヶ月先を見据えるのだ、とオーナー夫人に教えられ、3ヶ月先が何月で、何が売れやすいのかを考えながら発注する作業は楽しくも、「在庫を抱えてしまったらどうする?」という不安もあり、なかなかスリリングな経験だった。

当時、サンリオはドイツにヨーロッパ本社があり、担当者が2ヶ月に一度ほど、私が働く店舗を視察に来ていた。
この人が関西弁のおもしろい男性で、もともとはイギリスに駐在していたのがドイツに転勤になったと言っていた。
そして、「英語をダサくしたのがドイツ語ですわ」と、日本語が分かるドイツ人が聞いたら激怒間違いなしなことを言っていた。

この人がドイツからキティちゃんの着ぐるみを送ってくださり、イベント当日、3回現れるキティちゃんのうち、2回を私が担当することになった。

夫にこの話をし、
「というわけなんで、今週末は土曜も日曜も出勤です」と告げると、
夫は「若手芸人みたいな仕事やな」。

当日は土曜日で店や街が1週間のうちで一番賑わう曜日だ。
キリスト教の国であるイギリスは、日曜日は教会へ礼拝に行く習慣がまだまだ残っているようで、日曜日は、特に午前中は道路も店も空いていた。
日本人にそんなことは関係ないが、やはり土曜日はイギリス人客も多く、2号店オープンの週末はキティちゃん効果もあり大盛況だった。

私はバックルームに入り、服の上にキルティングでできている「綿入れ」みたいなものを着て、キティちゃんのボディ部分を身につけ、巨大な靴・・いやキティちゃんの足を付け、スタッフに手伝ってもらって頭部分をかぶった。
肌寒いイギリスで良かった・・・。
これ、日本の夏だったら5分が限界だと思った。

身支度が終わった直後の私↓

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中の人、私です。

プロ野球のマスコット、トラッキーやドアラなどにも必ず付き添いの人がいるものだが、私も隣に立っているスタッフが付き添ってくれて、店の前に立った。
このキティちゃん、お店の前に出て行き交う人々に手を振り、求められれば握手にも応じた。
あらかじめ配布してあった番号札を手にしたお客さん、先着30名とは握手をし一緒に写真も撮影。
中に入っているのは無名の私なのに、みなさんはきゃ〜きゃ〜言ってくれており、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。と同時に、キティちゃんの知名度、人気を思い知った。


中の人はどこから外が見えているかと言うと、「鼻」。
ここから外が見えるようになっていて、もちろん全ての景色は黄色がかっているし、視野も限られている。

そして、この経験で私が気づいたのは、着ぐるみに入って手を振っている時はなぜか「中の人」は満面の笑顔だと言うこと。
誰からも見られないのに、必ず笑顔。
これは不思議な心理だと、中から黄色っぽい景色を見ながら感じた。

バックルームでひと仕事終えたキティ・・・、私。

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エスコートなしではこの巨大な頭が通れる空間があるのかどうか、分からない・・・。

この時以来、私は着ぐるみに入るチャンスはないけれど、街角で着ぐるみが元気に手を振っている姿を見かけるたびに、中の人はきっと笑顔だろうと想像している。

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