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読書日記 『戦場のニーナ』 なかにし礼 著

もう何年前か忘れてしまいましたが、なかにし礼さんを招いたトークショウ番組を観たことがあります。
数々のヒット曲を生み出し、私たち世代(アラフィフ)には作詞家・なかにし礼のイメージが強いと思います。
その番組の中で、なかにしさんは「僕らは、日本政府に二度捨てられた、という思いが強いんですよ」みたいなことをおっしゃり、
一度めは、両親世代が「満州に移民すれば今より豊かな生活が送れる」と渡満を推した政策で移民したものの、着いた先はインフラも整わない荒野で、時折、馬賊の襲撃に遭う恐ろしい場所だったとか。
二度目は敗戦後、日本への帰国時の混乱。
だから、何が起こってもどこか冷めた気持ちでいる、とも言っておられましたね。
なかにしさんの洒落た歌詞を次々と生み出す都会的な雰囲気から、全く想像していなかったことばを聞き、意外に思いました。

最近では、ドラマ『俺の家の話』で、観山家が家族旅行に行った先で出会った「たかっし」。
たかっしが『なかにし札』を名乗ってムード歌謡グループ『潤 沢』の曲作りをしている、って言うのがありましたよね。
「なかにしれい、じゃないからね、なかにしふだ」って阿部サダヲさんが言うの聞いて爆笑でしたよ。
「なかにし札」って・・・。クドカンはさすがですね。
つまり、我々世代はやっぱり、なかにし礼といえば昭和のヒット曲メーカーです。

さて、なかにし礼さんの作品です。
なかにしさんは満州牡丹江市の出身。

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「戦場のニーナ」は、第二次世界大戦末期、ソ連軍が牡丹江近くを爆撃し壊滅状態にするところから始まります。


全てを焼き払った後、ソ連兵たちは土の中から赤ん坊の泣き声を聞く。
崩れ落ちたトーチカを掘り起こすと、焼けた遺体の胸にしっかりと守られて奇跡的に息をしている幼な子がいた。
兵士たちは子供を救出し、チェーホフの「かもめ」にちなんで「ニーナ」と名付けた。

ニーナは野戦病院で軍の副司令官・ムラビヨフの目にとまり、以後、彼の助けを受けながらエカテリンブルグで成長する。

孤児院や養父母の家を転々としながら、最終的にムラビヨフの妹・ソーニャの養女に落ち着くが、安住の地を手に入れてもニーナは常に自身の出自を知りたいと願っていた。

ニーナはチャムス生まれの中国人女児とされていた。
彼女が発見された当時、日本はソ連の敵国だったので、牡丹江でニーナが発見されたと知られたら日本人だと思われソ連では生きにくく、またソ連や日本の外交カードに利用されるのでは、という懸念があったので発見者たちはニーナは中国人だと口裏を合わせていた。
しかし、本人は自分が中国人であることに納得しておらず、発見された時の年齢や誕生日もあやふやなので何としてでもルーツを知りたいと思っていた。

19歳になったニーナは、バレエ団でコレペティートル(バレエダンサーの練習時にピアノ演奏するピアニスト)として働いていた。
ある夜、同僚のアンナから「日本人が、旧日本軍兵士の遺骨収集のためにエカテリンブルグを訪問中」との知らせを受け、ニーナは生まれて初めて日本人・フクシマと対面する。
ここからフクシマを通して、ニーナのルーツ探しが始まる。

小説はニーナの半生を描きつつ、第二次世界大戦終盤の満州とソ連との国境の描写、日本の厚生労働省による中国残留孤児の肉親探しの様子なども交えています。
コレペティートルとして働いた職場で、ユダヤ人の副指揮者・ダヴィッドとの恋、別れ、再会も描かれていて、社会主義国家での生きづらさを読み手に訴えてきます。

「戦場のニーナ」にはモデルがいて、「ニーナ・ポリャンスカヤ」さんと言う女性。戦場で救出されたのだそうです。
職業がコレペティートルだったのかどうかまではわかりませんが、エカテリンブルグ在住で、NPO法人の支援により度々日本を訪れていたそうです。
検索すると、YouTube動画も出てきます。
2020年10月、新型コロナウィルスにより死去。
発見時の場所や状況、近くに落ちていたアルバムの写真などから、軍人一家の娘だろうと推測されていますが、確かなのは日本人であると言うことだけで、肉親や親戚はついに見つからずじまいだったようです。

本書は400ページに及ぶ大作ですが、ぐいぐい引き込まれ、一気に読んでしまうこと間違いなしです。
遠出できなさそうなGWにでも、ぜひ読んでみてください。





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