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【読書日記】 2020年の恋人たち 島本理生 著

2011年3月に東日本大震災が発生し、まだ数ヶ月以内の頃だったと記憶しているのですが、作家のどなたかが、
「我々小説家は、この震災と原発事故について後世に伝えるため、いずれは小説に書かなくてはならない。しかし、未曾有のこれを今はまだ誰も書けないだろう」と言っていました。
地震のみならず、それが引き起こした原子力発電所事故の影響はあまりにも大きく、どこを糸口に書けば良いのか難しかったのでしょう。

「2020年の恋人たち」の背表紙を見たとき、ふと上記の作家の言葉を思い出し、世界中の人々が息をひそめて過ごした2020年を島本理生さんはどんなふうに小説にしているんだろう?と興味をひかれ、読んでみました。

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<ざっくりあらすじ>

主人公の前原葵は30代の会社員。
父はおらず、小さなワインバーを経営していた母とふたりの暮らしだった。
その母が交通事故で突然亡くなってしまうところからストーリーは始まります。
母のワインバーを代々木の街に移転し、若い料理人を雇って店をオープンさせる、ここへ至るまでの葵の日常が彼女を取り巻く個性豊かでクセが強い人々と共に描かれています。

読後感

葵の引きこもりの恋人や、離婚の危機にある叔母、葵が忌み嫌う母の店のコンサルをしていた男性、同じく代々木で飲食店を営む男性、などなど多くの人が登場しその人間模様を読むのもおもしろいですが、私はワインバーがオープンに向けてカタチになっていく様子にひきつけられました。

まずは店となるハコに調理師募集の貼り紙を出すと、ひとりの若い男性がやってきます。
次に、彼と店のターゲットにしたい客層を想定し、ワイングラスやカトラリー、食器をどんなものにするか決めていきます。
何よりワインバーなので、ワイン選定の描写が良かったです。
奥付のところに、取材協力としていくつかのワイナリーが上がっていて、著者がこの小説を書くにあたり、ワインについて綿密な取材をしたことがうかがえます。
小さな飲食店を開く指南書としても読めるのではないかと思います。

代々木と京都

葵は会社員として働いており、バーを開いても安定した仕事を辞めるつもりはなさそうです。
バーのオープン準備を進めつつ、ある日、会社の出張で京都に行ったとき、たまたま夜の小料理屋でひとりの女性と出会います。
彼女は、物語にさして大きな影響は与えないのですが、女性どうしが京都の路地にある小さな料理屋で出会う設定が粋に感じました。

ある程度キャリアを積んだ女性が、出張先での疲れや緊張を癒す場所として、京都が絵になるのかもしれません。

私は奈良市出身なので、ごく身近に東大寺や興福寺、春日大社などがありましたが、京都に行って同じく神社仏閣を見ると、その華やかさが奈良とは違うな、と感じます。
奈良のお寺や神社は、木材や瓦などをそのまま使用していますが、京都の場合は色彩や装飾が施されてあり、それが奈良の寺社とは違って華やかに目に映るのだと思います。

代々木は新宿に隣接していますが、大都会の新宿に比べて代々木は人々が暮らす街の印象があり、主人公の葵が代々木に店を開く理由のひとつが、地元の女性がひとりでちょっと飲んで食事ができる場所、というものです。
そんな葵の思いを知ると、代々木と京都は釣り合いが取れているのかも、と思いました。

同じ時間に沿った小説

後半では、登場人物たちがマスクをしている描写も出て来ますし、ワインバーとして緊急事態宣言下をどう乗り切るか、葵と料理人の松尾くんが相談する場面も描かれています。
給付金を申請し、当面はお料理をデリ形式にして営業しよう、という場面では、今、まさに私たちが置かれている状況とまったく同じ時間を小説の中の人々も過ごしており、何か心強い気持ちがしました。

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このところ、日本国内では感染者数は低めで安定していて、国内移動、国内旅行なら以前と同じようにできる今、このストーリーを読むと京都の小径にある小料理屋や、東京の夜景が美しく見えるホテルのラウンジなどに行きたくなるのではないでしょうか。
季節はクリスマスだし。







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