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【読書日記】 パチンコ ミン・ジン・リー著 池田真紀子 訳

小説は、史実・事実に基づき本当に起こった事件を仮名、仮称で描きつつも読者には「ああ、あのコトを書いているのね」なんて分かるタイプと、実際の事件、実在の人物にヒントを得て作者が脚色して紡ぐ架空の物語と、ざっくりふたつに分かれるのではないでしょうか。

「ふたつの祖国」や「沈まぬ太陽」などの超大作を書いた山崎豊子さんは前者だったようで、何年もかけて関係者に会ってインタビューをし、綿密な取材をして小説を完成させていました。
「ふたつの祖国」に、日系2世の兄弟が日本軍とアメリカ軍に分かれて南洋で戦う場面がありますが、あれも本当にそんな悲劇的な対面をした兄弟を見つけ出して話を聞き書いた、と山崎豊子さんのエッセイに書かれていました。
ものすごい取材熱ですね。


また、グリコ森永事件を描いた「罪の声」も実際の事件とその謎に肉薄していましたね。
私は映画を観たのですが、これはもう犯人グループから取材したんでしょう、と観る側に確信させるほどの内容でした。

「PACHINKO パチンコ」も、限りなくノンフィクションに近いフィクションの印象を受けました。

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主人公のキム・ソンジャは実在の女性ではなく、きっと何人かの女性をモデルにしていると思いますが、話を読み進めて行くにつれ、1900年代の初めに朝鮮半島に生まれた女性が、大阪に渡り時代の波にもまれながら生きていく様子はあたかもこの人が本当にいたのでは、と思わせる迫力を感じます。
そして、読了した今、1900年初頭の韓国の小さな島からスタートした物語の結末、1989年までを私も実際に行って見てきたかのような疲労感に襲われています。

作者は韓国系アメリカ人

著者のミン・ジン・リー氏はソウルで生まれ、1976年に家族でニューヨークに移住し、弁護士になった、と本書にあります。
上下巻合わせて700ページに及ぶ最後の1ページを読み終えた時に感じたのは、


この作品、原書が英語で良かった

と言う妙な安堵感でした。

作者が韓国在住で韓国語で書かれたものを日本語に翻訳されたとしたら、結構な物議を醸し出しそうです。
日本人の悪口がそこここに出てきますから。
幼少期にニューヨークへ移住し、アメリカの教育を受けた韓国人だからこそ、日本に暮らす在日コリアンについて客観的に書けたのではないでしょうか。
あとがきに、作者が本書を書くきっかけ(2007年から数年、だんなさんの東京勤務で日本に住んでいたそうです)や協力してくれた人々に謝辞を述べていますが、30人以上の名前が連なっているし、アメリカ人の名前、韓国人の名前、そして日本人の名前もあって、作者がいかに多くの人から話を聞いてこの小説を完成させたかがわかります。
「日本人の悪口がたくさん出てくる」と書きましたが、これらは在日コリアンの人々が常々感じていることなのでしょう。
これらを私は本書でもって知りました。

日本語訳の読みやすさ

そしてもうひとつ、日本語訳がすばらしい!
翻訳者は、池田真紀子氏。
下巻の最後に池田氏の解説があり、彼女が本作を翻訳するに至った経緯とあらすじを書いています。
少し引用します。

東京でアメリカ人の夫と出会い結婚。アメリカ・ボストンに移住して困ったのは日本語の本が手に入りにくいこと。読書が大好きだったので必要に迫られて英語の本を読み始めた。

コレ、海外生活あるある、なんですよね〜。
以前書いたこの記事。
海外に住んでいると、日本語の書籍が貴重だし恋しくなります。
特に読書好きだったりするとそりゃもう想像を絶するものがあるんですよ。
今はネット時代なので1990年代のような、日本語の本、雑誌に渇望することはないのかもしれませんが、こんな体験を池田氏もしたのではないか、と親近感を覚えました。

私は読書好きですが翻訳モノが苦手で、ほとんど読みません。
原書に忠実に、かつ読みやすさのために意訳も加えながら翻訳しているとは思いますが、自然な日本語表現ではない部分も多くてリズム良く読めないので・・・。
しかし、本書はまるで最初から日本語で書かれたかのような滑らかな日本語訳。
しかも、ところどころ関西弁、大阪弁での会話もあり、これがまたネイティブ大阪弁。
関西人の私には、スラスラ読めました!
こんな翻訳ができるなんて、素晴らしいです。

あらすじ

大作なので内容を要約するのは難しいのですが、上にも書きましたように韓国(当時は朝鮮)の済州島にほど近い影島(ヨンド)に生まれた女の子、キム・ソンジャの一生記。

下宿屋を営む両親のもとに生まれ、貧しくも愛情をたっぷり注いでくれた父を早くに亡くす。
母と家業を続けていたある日、大阪と韓国を行き来している裕福な男性、コ・ハンスと出会う。
まだ16歳だったソンジャは、寒村にはいないタイプのコ・ハンスに惹かれ何度か逢瀬を重ねているうちに、彼の子供を身籠った。
コ・ハンスには大阪に妻子がおり、ソンジャと結婚はできないが自分の韓国妻になれば良い、と言う。
自分の過ちを恥じたソンジャは、コ・ハンスの申し出を断る。

そんな時、平壌から大阪に向かう途中、体調を崩してソンジャ母子の下宿屋に身を寄せていた牧師のイサクが、ソンジャと結婚しお腹の子供も引き受けたい、と言う。
イサクはソンジャを連れて大阪の兄夫婦のもとで暮らし始めた。
これが1933年の春で、ここからイサク、ソンジャ夫婦と兄夫婦は不穏な時代の波に飲み込まれていく。
ソンジャは、コ・ハンスとの子供ノアと、イサクとの間に生まれたモーザス、ふたりの男の子の母となり、やがてイサクを亡くし、兄嫁と共に一生懸命働きながら貧しい日々をなんとか生きていった。
コ・ハンスがいつも付かず離れずソンジャ一家を見守り、要所要所で手助けをするが、ソンジャはそれを良しとはしなかった。

ソンジャの長男、ノアは勉強が好きで、優秀ならば在日コリアンだと差別されない、と常に成績はトップで早稲田大学へ進学する。
次男のモーザスは勉強が嫌いで学校に馴染めず、退学してパチンコ屋に雇われる。
そこで思わぬ商才を見せ、次々と店を任され、結婚して子供にも恵まれる。
ソンジャの息子たちはそれぞれに進む道を見つけたかのように見えたが、長男に悲劇が・・・。

タイトルが示すもの

私は、本書のタイトル「パチンコ」は、成績優秀で日本の最高峰大学の一つである早稲田大学に入学した長男・ノアが、ギャンブル性が強いパチンコ屋を経営する在日コリアンたちを嫌っていたこと、しかし、次男・モーザスはそのパチンコ業界で才覚を現したことの対比から付いたものだと思っていました。
しかし、訳者の解説を読んで、「パチンコ台を転がる球のように時代に翻弄された人々」から、このタイトルが付いたのだと知りました。

移民

また、訳者の解説で深く共感したことがあります。

それは、「どんな民族も、移住1世は自分たちの苦労を子供には繰り返させたくない」と言うこと。
私が8年間暮らしたアメリカ・カリフォルニア州には日系人がたくさんいて、当時、私たちと同じ世代はほとんどが3世、4世でした。
みなさん企業に勤める会社員だったり、医者、教師の職についており、例えば南米出身者に混じって畑仕事をしているとか、スーパーでレジを打っているなんて人は皆無でした。
移民1世はブルーカラーでも、子供たちには人の上に立つ仕事を、と教育にはとても力を入れていました。
それは朝鮮半島から日本に移民してきた人々も同じ気持ちだったのでしょう。
訳者が著者ミン・ジン・リー氏の言葉を訳したものとして書いている、

・・・現代の日本人には過去についての責任はない。私たちにできるのは過去を知り、現在を誠実に生きることだけだ

これにホッとしました。
とても深く、優しさと私たちに他者を思いやる心構えを感じさせます。

日本の歴史授業

日本の歴史授業って、なぜ明治以降の近代史はサラッとしかやらないんでしょう?
桑田さんが言うように、時間切れ?

縄文土器と弥生土器の違いや、貝塚、高床式倉庫、古墳とハニワについてはあんなに時間を割くのに、なぜ、近代史から現代はほぼ教えないんでしょうね。

せめて、幕末から沖縄返還まではしっかりと教え、生徒たちに意見交換させるようなカリキュラムにしないと彼らが後々、世界に出た時に困ると思います。

ぜひ読んでみてください

日本がしっかり絡んでいる「パチンコ」。
長編ですが、翻訳がすばらしくて読みやすいのでこの秋、何か手応えのあるものを読みたいと思っている人にオススメです。


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