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淡々と生きるための、揺るぎなさ イム・スルレ【後編】/『あなたが輝いていた時』

|ものごとにはすべて二面性がある

ものごとにはすべて二面性がある。彼女の両親は経済的には無能であり、子どもの教育にも無関心だった。ただし特別な援助もしない代わりに、特別な干渉もしなかった。大らかな両親と兄妹たちは、イム・スルレがどんな決意や選択をしようが決して止めはしなかったし、なんの計画もないまま無為徒食の日々を送っていても文句を言わなかった。家には童話の一冊もなく、高校2年生までテレビもなかったほど、知的、文化的には恵まれない環境だった。そんな渇望感のせいなのか、中学校の図書館にずらりと並んだ本を見た瞬間、イム・スルレは宝の貯蔵庫でも発見したかのように、鬼のような集中力で片っ端から本を読み始めた。

ものごとにはすべて二面性がある。授業時間にも小説ばかりを読んでいたせいで、イム・スルレの成績はどんどん下がり、高校3年の時には360名中の353位になってしまった。授業にも全くついていけなかったが、就職クラスに入って美容やタイプを習うのも嫌だった彼女は、高3の時に学校を自主退学してしまった。その時も両親は特に彼女を責めることはなかった。

今ならホームスクールを選ぶ学生も多いし、脱学校青少年プログラムなどもいろいろできていますが、当時は授業料が払えずにやめるとか、問題を起こして退学になるケース以外で、高校生が自ら学校をやめるなんてことは、ほとんどなかったですよね。特に女子高生が中退するなどというのは、ものすごいことだったと思うのですが。
――私は性格的には大人しくて、よく順応するタイプなんですが、何か抑圧がたまってくると、突如として大胆な決定をしてしまうことがあるんです。その都度その都度、合理的に解決していくのではなく、ギリギリまで我慢して、もうこれ以上は無理というところで決断します。そうしたからには何があっても貫き通す性格です。高3になったら大学入試のために戦時体制に入りますから、遅刻をしようが授業中に騒ごうが忘れ物をしようが、学校で言われるのはただ一言だけです。「おまえ、それで大学行けるのか?」。そんな雰囲気に反発する気持ちがどんどんたまっていき、さらに3年生の最初の試験が360人中で353番という……(笑)。

それでも下に7人いましたね(笑)。
――学校で全校生徒の名前が成績順に貼り出されたんです。1番から360番まで……。もちろん1番ではないにしても、みんな普通に上のほうから見るじゃないですか。私の名前はどこにいったの、まさかここらへんにはあるはず……あるでしょう……ところがどんどん下にいって353番目に(笑)。もうこれでは授業にもついていけないだろうから、学校をやめて自分のレベルに合わせて独学すべきだと決意したのです。

それで学校をやめて、歯を食いしばって勉強したのですか?
――最初はそうしようと思ったのです。計画表を作って。ところが見張りがいるわけでもないから、勉強になりません。2年間、家でゴロゴロしながら、小説や漫画ばかり読んでいました。あの時に太ってしまったのが、いまだに痩せないわけです(笑)。

絶望的な気持ちになりますよね。
――いいえ。そういう暮しが、私には合っていたんです(笑)。こんなふうに一生を過ごせたらどれだけいいかと思っていました。友だちはみんな大学2年生になるというのに、私自身は特に危機感もなかったんです。一生こうしていられたら、どれほど幸せかと。

それなのに、どうして大学に行ったんですか?
――「こんな暮しは本当に幸せなのだけど、一生こうして暮せるのか?」と考えたら、それは無理だろうと思ったのです。うちは金持ちではなかったから、お金を稼がなくてはいけないのですが、高校中退の学力で何ができるか考えてみたんです。学校に通うのも嫌な人間が、一生懸命工場に通えるだろうか? そんなはずがないわけです。そこで少しでも時間的に余裕がある職場に勤めるために、就職に有利な英文科に行かねばと思いました。就職のために、大学に行ったんですよ。

それまでに培われた読書力のおかげか、頭がよかったおかげか、望み通り1981年に漢陽大学英文科に入学した。ところが英文科の卒業生として就職先を探す段になって、彼女は他の選択をした。大学3年生の時にフランス文化院で上映された映画を見た時から魅了されてしまった新しい世界。イム・スルレは就職先を探す代わりに、漢陽大学の大学院演劇映画科に進学した。

その決定も両親は関与せずに、お一人で決めたんですか?
――はい。私は高校を中退しているじゃないですか。今、私が本当にやりたいのは映画なのに、現実と妥協して一般企業に就職をしたとしても、ずっと働き続けられないだろうと思ったのです。高校をやめちゃったみたいに、途中でやめて進路変更をするんじゃないかと。映画は先が見えないけど、私が最後までやり遂げられる仕事だと思ったのです。高校を中退して2年間無駄な時間を過ごしたおかげで、人生でまた別の無駄をせずにすんだわけです。

ものごとにはすべて二面性がある。ワクワクした気持ちで入学した大学院だったが、イム・スルレはひどく落胆してしまう。映画関連の大学院課程はまだ学問的に体系化されていない時期だった。学生も少ないし、受講できる科目の選択範囲も狭く、何よりも原書の教材に登場する映画を実際に見ることができなかった。本で見るだけの映画の勉強が、何の役に立つのか? そんな勉強をするぐらいなら、パリに行って映画を思いっきり見て来よう! 1988年からパリで暮らしながら1992年に帰国するまで、彼女が見た映画の数は約1,000本。思う存分映画を見るためには学校に籍を置かなければならかった。学校に通ったのはそのためであり、「学位は付け足し」だった。パリ第8大学の修士課程を終えて戻ってきてから、イム・スルレは1994年に『雨中散策』でデビューを果たし、この作品で第1回ソウル短編映画祭の最優秀作品賞と若い批評家賞を受賞した。やはり、ものごとにはすべて二面性があった。

私も年齢を重ねるにつれて、ふと思うことがあります。過去のすべてのことは今のためにあらかじめ仕組まれていたのではないかと。イム・スルレ監督が紆余曲折の末に映画監督になられたみたいに。
――悪いことは悪いことだけじゃなくて、ものすごく多彩な要素で成り立っていますから。私なんかも高校で2年間を無駄に過ごしたけれど、その無駄な時間を経たおかげで、もう一つの無駄を避けることができたんです。高校を卒業できずにメインストリームからはずれた経験は、主流に属さない他の人々を理解したり描いたりするうえで、とても役に立っているんじゃないでしょうか。大きな挫折感を味わうような出来事でも、必ずその中には肯定的な側面があると思っています。

ところで、今まで聞いた10代、20代のお話の中で、恋愛に関する話は一つもありませんでした。
――恋愛はしなかったので。

20代に一度も恋愛をしなかったんですか? 片思いも?
――もともと関心がないんです。私が4、5歳の時に友だちと水飲み場でしていた会話を、両親が覚えていて後で教えてくれたんですが、その友だちが「大きくなったら○○と結婚する」と言ったのを聞いて、「私は大きくなっても結婚はしない」と言ったそうです(笑)。その頃から、そういう考えだったみたいです。

前世でお坊さんだったのかもしれませんね(笑)。
――そうかもしれません(笑)。私には基本的に、関係の不安定性や不連続性に対する思いが、常にあったように思います。どれだけ堅固な関係も、親子関係も、友人関係も、恋人関係も、いつかは変化して壊れてしまうという思い。関係には恒常性がないとずっと思っていたから、恋愛のようなものには関心がなかったんでしょう。

平凡な小市民は日常生活の疲れから逃避するために、素敵な男女が登場するロマンチックな恋愛映画でファンタジーに浸ったり、何かが爆発したり追撃されたりするアクション映画でストレスを発散します。そのあたり、イム・スルレ作品はかなり抑制的ですよね。監督の映画から観客が何を感じ取ってくれればいいと思いますか?
――昔はインターネットが発達していなかったので、かなり後になってフィードバックが来たのですが、『ワイキキ・ブラザース』の感想の中に誰かがこんな意見を書いてくれたのを見ました。「『ワイキキ』を見てから地下鉄の駅でナムルを売るおばあさん、掃除をする清掃スタッフ、餌を探して道をさまよう鳩などの存在に対する見方が変わった」と。私が映画を通して観客から受け取りたいフィードバックはたぶんこの種のものだと思います。観客が私の映画を見たことで、自分自身と他の存在に対して憐憫を感じたり、理解の幅を広げられたらといつも思っています。年齢を重ねるにつれて、映画を撮れば撮るほど、それは簡単なことではないと思いもしますが、基本的な考えは当初からそういうことでした。

『ワイキキ・ブラザース』の韓国版ポスター。
この作品は2022年3月から2か月間、映画配信サービス「JAIHO」で配信された。

|自分自身と他の存在に対する憐憫

「自分自身と他の存在、他の生命に対する憐憫と理解」。映画監督イム・スルレが動物の権利団体KARAの代表として活動するのも、同じ理由だろう。KARAは2006年の設立後、ペットや野生動物の保護を主張し、犬の食用反対、動物実験反対、動物ショー反対等、様々な活動を繰り広げてきたグループだ。フィプロニル等の殺虫剤が卵に混入した事件や口蹄疫、鳥インフルエンザなどの工場型畜産の問題が次々に発生したことで、KARAが提起した動物福祉についての社会的関心が以前より高まっている状況だ。

KARAの広報映像

動物の権利に関心をもったのはいつ頃からですか?
――動物の権利については関心というより、小さな頃から大の動物好きだったんです。犬や猫が好きすぎて、赤ちゃんみたいに背中におんぶしたり(笑)。変わった子でしたよ。その頃、隣近所の犬はまだみんな放し飼いでした。私は近所の犬たち全部と仲良しだったから、学校から帰ってくるとまず一匹が私に気づいて走ってくるんです。そうしたら、近所中の犬がみんな私の所に一斉に集まってくる。犬が群れをなしていくのを見て、うちの母は「あ、うちの娘が帰って来たな」と思ったそうです。

想像しただけで、幸せな光景ですね。
――ところがある夏の日に、近所の人たちが犬の首を絞め、大釜を囲んでパーティをやっているのを見たんです。それは私にとって大変なトラウマになりました。忘れられない大きな心の傷となって、いつか大人になって時間ができれば、動物保護団体でボランティアをしたいと思っていました。まさか動物保護団体の代表までやるとは思ってもいませんでしたが。

KARAとはどういうご縁なんですか?
――いつか庭のある家で珍島チンド犬*⁴を飼いたいという夢が、私にはずっとありました。犬を飼うために庭のある家を探して、南楊州ナムヤンジュ城北洞ソンブクトンで家を借りて住んでいました。ソウルの城北洞に引っ越して暮らしていた時、ある日うちの愛犬ペックが家から出たまま帰ってこなかったんです。あちこちを必死で探したのですが、その時に初めてKARAの前身である「アルムプム」(2002~2006)という団体を知りました。アルムプムの熱血運営委員の一人が、ペックの捜索のために駆けずり回ってくれました。結局、ペックは見つからなかったのですが、そのことがきっかけとなりKARAの名誉理事に名を連ねることになりました。そして2年後にKARAの代表を引き受けてほしいと言われたんです。でも映画監督をしながらグループ代表をするのは無理だろうと思ってお断りしました。

*⁴ 韓国原産の犬。天然記念物に指定されている。

そのお考えがどうして変わったんですか?
――2008年に『私たちの生涯最高の瞬間』が封切られた後に、ダライ・ラマの法会を聞こうとダラムサラ*⁵に行きました。映画公開のすぐ後です。

*⁵ インド北部の高地にある街。ダライ・ラマをはじめチベットからの亡命者が多く暮らしている。

映画『私たちの生涯最高の瞬間』予告編

そういう時は監督がいなければダメじゃないんですか? 舞台挨拶とか宣伝とかしないと。
――そうなんです。でも、映画が損益分岐点*⁶を超えたのを見て、「私の仕事は終わった」と思って行っちゃったのです。映画が損益分岐点を超えると、あちこちの製作会社から次の作品のオファー電話がかかってくるのですが、まさにそのタイミングで法会を聞きに出かけたわけです。

*⁶ 映画が黒字になるための観客動員数の目安。

それほどダライ・ラマの法会が聞きたかったんですね。
――ダライ・ラマが10日間の法会をされたんですが、その中にこんなお言葉がありました。「どれだけ修行して深い悟りを開いたとしても、それを実践に結び付けなければ完全な悟りとはいえない」と。新しいお言葉ではないのですが、胸の深いところに突き刺さりました。そこでKARAについて、もう一度考えたのです。10年ぐらいして映画の制作本数が少なくなって、少し余裕ができれば代表を引き受けてもいいと言ったけれど、10年後に何がどうなっているかわからないじゃないですか。動物に対する私の関心が枯れてしまうかもしれないし、彼らが私を必要としなくなるかもしれない。私の知名度がなくなって、力になろうにもなれないかもしれない……。先送りにせずに、彼らがもっとも私を必要とする時にやらなければと思ったのです。

KARAなどの動物保護団体では動物福祉について語るわけですが、「そもそもすべての人が菜食主義にならない限り、動物を育てて殺して食べるしかないわけで、食べるために飼う動物に福祉サービスなど意味があるのか」と反論する人々もいます。どんなふうに、お答えになるんですか?
――動物が6ヶ月生きようが1年生きようが、生きている間は生命として最小限できることをしてあげましょうということです。きれいな水と食事、適切な治療、そして動物には生まれながらの本性というものがあります。鶏は砂を浴びなければいけないし、竿に止まらなければいけないし、羽を整えなければなりません。これは鳥類の基本的な習性なのですが、それらが何一つできない状況にあるわけです。豚も動ける空間が必要なのに、まったく動けないような密集式の工場型畜産をして、遺伝子組み換えのトウモロコシのようなものを食べさせて、抗生物質と成長ホルモンを投与して。それは結局、人間に戻ってくるのです。EUはすでに化粧品の動物実験を禁止し、バタリーケージ*⁷や野生動物のショーを法的に禁止しました。

*⁷ 養鶏用の鉄製監禁檻。

そういった話が出てくるたびに、動物は人間よりも大切なのか、動物福祉より農畜産業者の生活のほうが重要だという反駁する人々がいます。
――人から福祉を奪って動物の権利を強化しようというのではないのです。生命を尊重する思いやりや感受性が高まれば、人権感覚も高まるし改善もされるでしょう。動物の権利と人権を対立させるのは愚かなことだと思います。

最近の若い世代は以前の世代とは違って、 動物の権利に対して一歩進んだ考えをもっているようです。
――韓国で大規模な高層アパート団地の造成が始まったのは1980年代初頭からじゃないですか。この80年代世代ともいうべき人々が、ペットを室内で飼った最初の世代です。外で飼うのではなく、家族の一員になったんですね。24時間、寝食をともにしながら気持ちを通わすんですから。そうして育った世代が我々のKARAだけでなく、動物保護団体の会員の大部分を占めています。その世代が社会のリーダーになれば、確実に文化が変わるだろうと期待しています。

すべての動物には生まれながらの本性があるとおっしゃいましたよね? では人間の本性というのは何でしょうね?
――さあ、私にもその答えはわかりません。鳥は鳥、豚は豚で、長い時を経ても変わらない本来の習性があるように、人間にもそんな生まれ持ったものがあるはずですが、それは何でしょうね。仏教のもっとも基本的な思想は慈悲と智慧です。自分ではない他人に慈悲を施すことは、結局は自分自身に施しを与えることになる、自分と他人は明確に区別される存在ではないと考えるからです。私たちが悟りを開くためには智慧も必要ですが、智慧と慈悲の両者を堅持しながら人間本来の尊厳と品位を保って暮らすことが、最良の生き方じゃないですか? 智慧と慈悲は互いに対立するものではないのですが、この二つを兼ね備えることでバランスがとりやすくなります。それは私にとって恒常的なテーマです。

今後の人生で、必ず成し遂げたいこと、計画などはありますか?
――歳をとったら何をしたいかは頭の中にはあるのですが、具体的な計画があるわけでもなく、何が何でも成功させたいというものでもありません。色々な条件が自然に重なっていけば、今、私が企画していることが実現するかもしれません。でも、そうならなくても別にいいんです、それはそれで満足ですし。

今まで多くのことを企て、行い、成し遂げてきたが、イム・スルレはどんなことにも執着しないし、一喜一憂もしない。すべての命はつながり、循環しているという信念。生きとし生けるものすべてに対する敬愛と憐憫。広大な自然の摂理の中でちっぽけな幸福や不幸に淡々となっていく、そこには揺るぎなさが必要である。その揺るぎなさというのは、鋭さや重々しさといったものではなく、どこまでも温かく柔らかなものであることを、私はイム・スルレ監督を通して見たように思う。

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◆伊東順子さんによる関連記事
韓国カルチャー 隣人の素顔と現在 第5回
映画『リトル・フォレスト 春夏秋冬』イム・スルレが描く、生きとし生けるもの
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著者:イ・ジンスン
1982年ソウル大学社会学科入学。1985年に初の総女学生会長に選ばれる。20代は学生運動と労働運動の日々を過ごし、30代になってから放送作家として<MBCドラマスペシャル><やっと語ることができる>等の番組を担当した。40歳で米国のラトガーズ大学に留学。「インターネットをベースにした市民運動研究」で博士号を取得後、オールド・ドミニオン大学助教授。市民ジャーナリズムについて講義をする。2013年に帰国して希望製作所副所長。2015年8月からは市民参与政治と青年活動家養成を目的とした活動を開始し、財団法人ワグルを創立。2013年から6年間、ハンギョレ新聞土曜版にコラムを連載し、122人にインタビューした。どうすれは人々の水平的なネットワークで垂直な権力を制御できるか、どうすれば平凡な人々の温もりで凍りついた世の中を生き返らせることができるのか、その答えを探している。

訳者:伊東順子
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスJPアートプラン運営中。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』(皓星社)を創刊。近著には『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)、訳書に『搾取都市、ソウル 韓国最底辺住宅街の人びと』(筑摩書房)等がある。

 


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