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もっと冒険しておけばよかった。という後悔について。

明日死ぬとわかったときに
自分の人生を振り返り
何を思うか。

とある本で

90%の人が死ぬ間際に
後悔したことをきかれたら
“もっと冒険しておけばよかった”と
言うという。

ここでの冒険とは
リアルに探検家になることではなく
きっとそれぞれのやんちゃ、のようなもや、
企業。などの大それたこと、
好きなことを仕事にする、などの
選択肢をしなかった後悔の話なんだと思う。

やらない後悔より
やった後悔。
とか。

すごく頷けるし、
そうだと思う。

これが
自分という軸のみで
生きているなら
選ばない理由はなく思える。

でも実際は、
そこに、
家族や
経済的問題、
もしくは
自身の体調、なんかがリンクすると

冒険
というのは
夢の話となる。

私は幼少期、
それこそ
自分が世界の中心だった頃。
ちょっとした冒険をした。
その冒険は
森の中に基地を作ったり、
今でこそできないが
スタンドバイミーのように
線路を歩いたり…。

命懸け、
ではない冒険?というか
経験値は増やしたけれど、

これでいう冒険とは
私のそれらとは異なり、
生き死にや、
そこまでではなくとも
今後を左右する大勝負。
な話のかなと。


否定はしない。
そういう考えもある。


ただ、
もっと冒険をすればよかった、
という
その冒険を
しなかったから
そういう質問に答えられる環境に今あるわけで。

選ばなかったことは
所詮、たらればの範疇を越えない。

パラレルワールドにでも
行かない限り
この瞬間の選択。
の答えはわからない。


人の欲は
無くなることはなく
どんな状況でも
溢れ出る。

冒険というものを
したときですら、
最期にはまた
違う欲求が湧き出るものだと
私は思う。

思うがまま冒険した人も、
摂生を念頭に生きた人も、
同じ分だけの
悔いと
達成感があると思っている。

チャレンジした人の成功談は
話題になる。
冒険して成功したひとの声が
全ての結果となる。

でも、、それは
一握りもない、寓話みたいなことで。
現実はもっともっと
シビアで情状もない。

そんな状況に
誰も責任は取れないし、
どんな結果も
自分の責任で全うするしかない。

その中で
もっと冒険をすればよかったか、
といえば、
本来ならノー。なのである。

最善では無い解を人は
幾度となくする。

でも、その時の自分にとっては
それが
ベストの選択なのだ。

結果は
わからない。
AIではなく、
人間の解。なのである。


と。
何が言いたいか、
といえば。

これからの選択肢に
冒険はあるけど。
過ぎ去った過去に
冒険をしたらよかったと嘆くのは
全く違う話である。

というか、
もっと言えば、

どんな選択ですら、
人生は冒険である。
と、私は思う。

何もしない。
を選んだとしても、
そういう中での感覚や思考は
まさに
新しい冒険となりうるし。

選ぶ時の言い訳は
吐くほどしてもいいと。

ただ、
過ぎ去った自分の過去に
やりもしなかったことを照らし合わせ
ジャッジするようなことは
全くの無意味だと
そう、思って止まない。

生きるということは
自分にとっての
一番よい選択肢を
選んでいるに違いない。

自信を持って
今を選んだらよいと
思う。

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