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意見とは


私はこう思う
私はこう考える
これが正しいと思い
それは好きではない。

そういうことって
表現した方がいいですよね。
できれば
周りに理解しやすい方法で、
できれば
ゆとりのある言葉で。

他者を受け入れながら
自分を表現する。

双方のバランスが取れている議論は
実りがあり
前を向いている。


でも、
実際の多くは
自己主張という名の暴力。
自分!自分!と
自分の感情の
特に怒りや悲しみ、
しんどいとか苦しいとか
自分だけが感じることのように
相手に放つ。
投げつける。
無責任に誰かを傷つけて
自分が勝ち進んだ気になる。


そのときの受け取り手が
どんな思いで
どんな状況で
いるのか
考えることもなく。


理想はあれど
実際は
できない方に合わせる。

世の中のルールもそう。

わがままなほうに、
できない方に、
照準はあてられる。


では、
心優しい人
わがままを言わない人
相手の心を本当に考える人
にとって

自分の意見を
言えるときは
正直
なかなか、ない


結局
我慢を強いられる。

芯が強く
心が安定しているからか

第三者からは
強いメンタル
とか
この人なら大丈夫
って
勝手に
何言ってもいい人認定される


本当はそんなことない。

同じように
傷つくし
理不尽だと苛立つ。


でも
形にすれば
崩壊するから
悔しくても
悲しくても
虚しくても

自称弱者に
飲まれる。

その先には
なんの生産性もない
空虚。
が待っているのに。

弱者に寄り添うことが大切
わかっているけれど、
食いしばって
生きている人、
わがままや文句を言わない人が
強者、とは限らない。

心はいつでも
誰でも
不意に簡単に
折れる。

ぽきっと
音を立てて。







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