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全てを手に入れた人はイタリアで夏を楽しむものらしい

今回の投稿はイタリアの夏の過ごし方について。

これは僕にとっては、ちょっと背伸びしたテーマ。なぜなら、僕はイタリアは旅行で度々行ったことがあるけれど、残念ながら住んだ経験はない。今回書く内容は、いちおうイタリア人から話を聞いたり、自分の経験に基づいているものの、イタリア在住の人などからみて何か間違いがあれば教えていただければありがたいです。

さて、まず最初はヨーロッパでよく聞く国民性ジョークから始めてみる。

「ドイツ人は11ヶ月にわたって勤勉に働いて、そこで稼いだお金を使って1ヶ月だけイタリアの太陽を買う」という言い方がある。

これが何を意味しているか理解するためには、まずヨーロッパの気候風土と価値観を理解する必要がある。

①気候風土について

ヨーロッパでは概して南へ行くほど天気が良いとされている。イタリアは南ヨーロッパに位置する地中海性気候。ヨーロッパの中でも、晴れの日が多くて気温も上がる地域とされている。

逆にヨーロッパの北部方面では天気が悪い日が多い(もしくは天気が目まぐるしく変わる)。ドイツはイタリアからアルプスを越えて北方に位置しており、アルプスを越えると気候がガラッと変わって、冷涼で曇りの日が多い気候になる。

ちなみに日本でも聞く「フェーン現象」というのは、イタリアの暖かくて乾いた空気がアルプスを越えて北方のドイツに流れ込んできて、ドイツの冷涼な大気が急に暖かくなる現象が起源。フェーンはドイツ語。

このフェーン現象が発生すると、アルプスの上空がビジュアル的に超わかりやすくなる。アルプスの山は東西に走っていて、その山脈に沿って南のイタリア側には見るからにカラッとした暖かそうな晴天が広がっているのが見える。一方で、山脈に沿って北のドイツ側には暗くてドヨンとした雲が低く垂れ込めている。その青空と暗い雲との境目、つまり高気圧と低気圧の境目が、東西方向へ100km以上にわたってクッキリと見える。

話が逸れたけれど、要は一般的にいえばイタリアは晴れて暖かい日が多く、ドイツは冷涼で曇りの日が多いとされている、ということが言いたい。

②太陽礼賛の価値観

またヨーロッパでは、一般的に太陽が出ていることは良いことであり、曇ったり雨が降るのは悪いこと、と定義される傾向があると思う。

日本においては「春はあけぼの」のように、四季それぞれに対して良し悪しがあって、それが日本特有の「どんなことにも良い面と悪い面がある」という複雑な価値観を育んできたと思う。

一方でヨーロッパの気候は、もちろん国や地域によるけれど、一般的には夏はカラッとして天気が良くて気温も上がる「良い季節」とされている一方で、冬は日が短くて天気も悪くジメジメしてカビが生えやすい「悪い季節」とされている。この「良い悪い」が明確な気候風土によって、ヨーロッパでは「光と闇」「善と悪」といった二元論的な思考が育まれてきたと僕は思っている。

太陽は善

そうそう、あとヨーロッパの人たちは体質的に太陽光への耐性が強いと感じる。僕がドイツで働いていた時、夏の晴れた日に同僚たちと昼食を屋外の席で食べると、僕は太陽を正面から浴びて食事をするのがしんどくて、太陽に背を向けた席に座る。一方でドイツ人同僚たちは、人にもよるけれど、正面から太陽を浴びながら食事する席を好む人が多かった。僕にはマネできん。

という気候風土や体質的な違いから、太陽が出るということは善であるという太陽礼賛の価値観が根付いていると感じる。

この前提に則ると、ドイツは日照時間が少ないため「気候に恵まれていない国」と位置付けられ、逆にイタリアは「気候に恵まれた国」という構図が生まれ、これがヨーロッパでは人々の共通的な認識となっている。

その結果として成り立つジョーク

なので、イタリア人としては「ドイツは気候に恵まれず、人生をエンジョイできないから、働くほかにすることがないだろう」と揶揄することになる。そう、イタリアは経済的にあまり良くない。けれど、それは逆に言えば素晴らしい太陽に恵まれており、人生を楽しめるだけの気候やおいしい食べ物があって豊かなので、働いている時間など無い、という言い方も成り立つ。

つまり、口の悪いイタリア人いわく、ドイツ人は一年間にわたって一生けんめいに働いて、そして夏になるとバケーションを取ってイタリアへ旅行する。そうやってバケーションの1ヶ月だけ「イタリア人と同じように豊かな生活」を送っているんだろ、イタリアでは一年中ずっと豊かな生活が送れるけどね、と冗談交じりに言う。

このジョークは、ドイツ人が夏に大挙してイタリアへ押し寄せることに対して、あまり経済的に強くないイタリア人たちがちょっとうまいこと皮肉を言いたい、ということでもある。知的な笑いで包んでうまくチクリと言ってやるのは、ヨーロッパでは知性の証。こうやってヨーロッパの人たち同士でつばぜり合いをするわけなんだけど、ハタから見ていると、この手のやりとりがおもしろいわけで。

ただ改めて言うと、このジョークは「太陽が出て暖かいことは善である」という常識を理解していて初めて成り立つもの。日本では必ずしも太陽が出て気温が高いことが善とも言えず、だからイタリア人がドヤ顔で言い放つこのジョークを聞いても、あまりピンとこない。ヨーロッパの気候を経験して、この価値観を心から理解した上で、ようやく腹落ちすることになる。

さて、前置きがめっちゃ長くなってしまった。

あれ?今回は何を書こうとしたんだっけ。

あ、そうそう。イタリアの夏だった。何を言いたかったかというと、夏のイタリアはヨーロッパの人たちにとって「良い気候」とされている。何をするのに良い気候かというと、観光のために街の中を汗だくになって歩き回ることではない。それよりは地元の人たちと同じように、海やビーチで過ごしてイタリアの素晴らしい夏を満喫したいところ。

で、本題。イタリアの海やビーチでの過ごし方はいくつかのパターンがある。

(1) ビーチセットで過ごす

代表的な過ごし方は、ビーチの区画を借りて、そこで頭を空っぽにして過ごす。

ビーチの区画って何かといえば、イタリア(+他の南ヨーロッパ諸国)のビーチには、ビーチチェアとビーチパラソルがズラ〜〜ッと最初からセットされている区画が並んでいて、基本的にはその区画を借りて一日を過ごす。日本のように、空いているスペースを探して、レジャーシートを持ち込んだりパラソルを刺して自分たちで陣取るわけではない。

ビーチの区画
中から撮るとこんな感じ

そういったイタリアのビーチのスペースにはドリンクを飲んだり食事ができるバーが併設されていることが多く、そこで飲み食いしたり、チェアでのんびりしたり、海に入って体を冷やしたり泳いだり潜ったりして、終日を過ごす。

ビーチに併設されているバー

ちなみに各区画は一日だけ借りることもできるんだけれど、地元のファミリーが「夏のシーズンを通して区画借り」しているケースも多いらしい。下の写真の右側に写っている水色の小屋は、そうやってひと夏のあいだ区画を借りているファミリーが、海水浴の道具などを置いておくための小屋。イタリア人ファミリーの夏の思い出といえば、そうやって家族で何度もビーチにやってきて過ごす時間、ということらしい。

ちなみに、上記の通り期間借りしている区画があるため、ビーチのスペースに人がほとんどいないにもかかわらず、いざ借りようと申し込んだら「空きはない」と言われて断られるケースもあるので、有名なビーチでは事前にぜひご予約を。

海からビーチをみるとこんな感じ

(2) ボートで過ごす

ボートツアーへ申し込んで、半日とか1日のあいだ波が静かなイイ感じのエリアに停泊してのんびりするパターンもメジャーな過ごし方。ボートの上でブルスケッタ(パンの上に具を載せたもの)を食べたり、発泡ワインを飲んだり。暑くなったら海に飛び込んで体を冷やしたり。

こんな感じでボート周辺でプカプカして一日を過ごす
上から見るとそんな過ごし方をするボートでいっぱい

このボートの船長は、以前に投稿した「もしも次の人生を自由に選ぶことができるなら」に書いた「僕が次の人生で選びたい選択肢の一つ」やね。ただし、来世では船酔いしない体質で生まれた場合に限る。

もちろん、ボートツアーに申し込まなくても、自分でボートを所有している人たちもたくさんいて、港に行くとボートが鈴なりで並んでいる。

イタリアの港

イタリアの港には、アメリカの巨大テック企業の創業者や某大国の大統領が保有している、軍艦並みに巨大なプライベートクルーズ船も係留されている。これからも分かるように、「世界中のお金や権力を持っている人たちは夏にイタリアへやってきて、船に乗って人生を謳歌しようとするもの」というのが、この世界の真実のようだ。

如何だったでしょうか、イタリアの夏の過ごし方。

やはり現地に住む人が、その土地の最高の過ごし方を知っている。イタリア人たちの多くが夏には海やビーチで過ごすということは、この過ごし方がイタリアの夏にはマッチしていると思う。

そして、世界中のお金持ちや権力者がこぞって夏のイタリアの海で過ごしている事実から推し量ると、イタリアの夏は世界的にみても素晴らしいレベルにあるようだ。

by 世界の人に聞いてみた


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