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国民の心の根底にあるメンタリティーは?

むかし、家族で冬休みにモロッコ旅行へ行った。モロッコは北アフリカに位置していて、サハラ砂漠の近くにある国。

その際に機会を見つけて現地の人と話をして、モロッコ人がどんなメンタリティーなのか聞いてみた。

モロッコの位置

旅行前からの僕の理解だと、モロッコ人はアラブ文化(砂漠の民の文化)がベースになっている。砂漠は生活環境がとても厳しく、どこの誰が行き交うか分からない土地柄だから、人々は一般的に外部の人や見知らぬ人に対して警戒心が強いとされている。一方で、仲間・味方にはとても情が厚い、とも。あくまでこれらは一般論だけれど。

だから、土地やコミュニティーに縛られて生きる元来の日本人の文化とは、かなり違うメンタリティーだと想像していた。

実際、僕がずっと昔にサハラ砂漠を旅行した時に経験したことがあった。旅行中に夜の砂漠を馬車に乗って移動していたら、それまで感じたことのない極めて自由気ままな感覚を感じた。その自分がいる場所に住む人がいるわけでなく、また誰とすれ違うわけでもない、という状況に対して。

僕は自分の心に訪れた、その斬新な感覚に驚いた。つまり、人って環境が変わるだけで、心持ちが全然変わってしまう。だから、自分のいる環境がいかに大きく人の心に影響を与えているのか、ということを実感した経験だった。

大人しくて行儀が良い日本人

さて、当時の旅行中に、当時小学生のうちの息子がホテルのロビーで静かに本を読んでいた。そしたら、その息子の様子をホテルで働いているモロッコ人が見て、話しかけてきた。

モロッコ人
「日本人なの?この子、大人しくて行儀がいいよねー。僕が知っている日本人も、とっても礼儀正しくて、いつもお礼を言うのを欠かさない、物静かな人だったなー」


「興味を持ってくれてありがとう。日本は島国で同じ民族ばかりだから、行儀よく礼儀正しくして、和を守るのが美徳とされているからじゃないかなー」

という会話が始まったので、逆にモロッコ人はどうなのかを聞いてみた。


「モロッコ人の心の根底には、何があるの?」

モロッコ人
「・・・一番根底にあるのは『危機感』かな」


「えっっ!?いま『危機感』って言った?」

すっかり予想外だった答えに、僕は思わず聞き返した。

モロッコ人
「そうだよ、危機感だね。僕たちは『自分の周りは危険に満ち溢れている』という感覚を持っている。だから、まずはなんでも自己主張して騒いでみる。そうでないと、自分の状況が悪い方に悪い方に進んでいく、という危機感が身に染みついているんだ」


「・・・でもさ。現代のこの時代に、実際に危険に満ち溢れているわけじゃないでしょ?」

モロッコ人
「いやー、祖父からずっとそう言い聞かされて育ったからね・・・。僕だけじゃなくて、みんなそう言われて育ってきたから、現代でもモロッコ人の心の中には、危機意識が根付いていると思うよ」

ということで、日本人とはかなりメンタリティーが違いそうだった。

危機意識が強いと

さて、この「自己主張して騒がなければ、自分の状況が悪い方に悪い方に進んで行く」という感覚。これって、日本以外ではしばしば経験することがある。

たとえば、僕がドイツで働いていた時。

会議室の予約が手違いでダブルブッキングされていて、同じ時間に一つの会議室で2つのグループが鉢合わせ。その瞬間からみんな一人ひとりが、自分たちは正しい手続きで予約した、自分たちこそがこの会議室を使用する正統な権利を有する立場にある、といった主張を一斉に喧伝しはじめた。一瞬にして、蜂の巣をつついたような大騒ぎに。

そこに居合わせた僕が、まずはそれぞれのグループの人数と、何時まで会議室が必要なのかを聞いて状況を整理して、じゃあこっちの小規模なグループが2つ隣りの空いている会議室を使えば、両方のグループが必要な時間を確保できるよね、と解決策を提示した。それに対してドイツ人たちからは、なんでこの状況で落ち着いて状況整理ができるのか、と不思議がられた。

日本人の僕からすれば、大きな声で主張する前に、まずは落ち着いて解決策を探せばいいだけやん、って感じた経験だった。

この日本人の特性は、日本の地震の被災地でも見られる。地震で大混乱している非日常の現場であっても、支援物資や食料の配給の列にみんなが行儀よく並んでいる。この振る舞いに対して外国人から驚かれる、という構図と通じるところがあるのでは。

逆に言えば。混乱した状況の中においては、必ずしも世界中の人々がその状況を受け入れておとなしくするわけではない、ということを示している。

正常化バイアス

一方で、日本人の特徴とされているその強力な正常化バイアスが、海外の人たちからは特異に映ることも。

ドイツ人から指摘されて印象に残っているのが、日本の少子化問題についての話。もう5年以上前の会話だったっけ。

日本では、新自由主義経済に基づいて派遣社員などの非正規雇用者が増えた結果、経済的な問題から結婚しない人や子どもをもうけない人が増えて、世界でも稀にみるくらい日本で急激に少子化が進んでいるんだろ、とドイツ人から言われた。

ドイツ人
「少子化って、僕から見ると明らかに社会の死活問題なんだけど。いや、個人が子どもをもうけるかどうかは、もちろん個人の自由だ。それについてとやかく言うつもりは全くない。でも、社会全体としてみたときに望まない少子化が進行していて、その原因が雇用形態にあるんだろ。だったら、なんで日本人はもっと危機感を持って、みんなもっと声を挙げて変えようとしないの?ドイツでそんな状況だったら、国中でみんなデモを起こして政府や国民の注意を惹こうとするぜ」

というように、日本人は危機意識が薄くて、もしくはあまりに大人しすぎて、社会が良い方向に転換できないんじゃないか、という見られ方もしていた。

まとめ

さて、いつも書いていることだけれど、それぞれの国にはそれぞれの文化とそれに根差した国民性が存在する。どの文化や国民性が優れているとか劣っているとか、強みだとか弱みだとか、そういう優劣で語る性質ではない。

ただ、そういった文化や国民性は「固有の特性」を持っている。「お行儀が良い日本人」という特性は、世界的にはかなり特殊だと感じていて、良くも悪くも日本という国と国民に大きな影響を与えていると思う。

モロッコの市場にて

by 世界の人に聞いてみた

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