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歴史研究の加害性を思う

 会田誠氏が好きになれない。彼を知ったのは、大学の授業で出た緊縛シンポジウムの話から。先生は何でも炎上する今の風潮は…という語り口だったが、彼の作品を見たら、女性として受け入れられないものがいくつかあった。

 彼の一部の暴力的な作品を擁護する人は、クリムトを引き合いに出したり、「”アート”を分かってないやつらが”勝手に入りこんで”きたのが悪い」「”外野”のせいで”アート”が駄目になる」等々言っていた。たしか二年前。

 一部の人々は、アートとはそういうもの、社会に迎合していてはアートは発展しない、あの画家もこんなものを描いてる、だから許せと社会に要求する。

  それは本当に免罪符になるのか?

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 歴史学も同じ問題と隣り合せの学問だと、私は思う。昨年のとあるセミナーで、参加者の一人が講演者に「あなたの同僚のせいで、私の出身地が部落だとネットに載せられた」と言った。勇気のいる事だっただろう。
 
 セミナーでは、「負の歴史」を展示することの是非が語られた。その声は、研究者が当事者を(無意識に)透明化してきたことの責任を、歴史研究者全員につきつけるものであったと感じられた。

 詳しく書くと彼女に迷惑がかかるかもしれないから、ぼかして書く。討論は史料の閲覧をどこまで広げるか、アマチュア(研究者の肩書を持たない人々)の研究の可能性を閉ざしてよいのかという点に及んだ。彼女は、非研究者として、史料閲覧の制限を受けつつもなんとか研究を進め、彼女の出身地が部落ではないことを証明したと言った。

 「だけど、これを論文で発表したら、部落だと思われていたことがおおやけになってしまうし、名前もばれてしまう。」彼女の調査は、部落をまとめたネット記事の出典となる論文が存在しなければ必要なかったし、名前と出身地を明かすリスクを負う必要もなかった。

 この切実な問いを聞いて、歴史研究とはかくも恐ろしいものかと思い知った。私たちは研究のために史料を閲覧できればできるほど嬉しい。だから「最近は寺も厳しくてなかなか過去帳をみせてくれない」「個人情報にうるさい時代になって大変だ」と先生方がいうのを、面倒な時代だなあとぼんやり受け取っていた。

 けれど、その史料を見ることによって、その研究をすることによって、傷つく人がいるかもしれない。歴史研究は、研究者が史料から情報を引き出し、組み合わせて進めるものだから、一見無害な史料も人を傷つける可能性がある。それを、「学術的意義がある」ことを免罪符にして安易に進めていいはずはない。

 当該の論文を書いた人も、部落差別に活用しようと思い研究・投稿したわけではなかった(と彼女が言っていたと記憶している)。でも、結果として当事者を苦しめてしまった。史料を見たい、歴史的事実に迫りたい、という探求心は歴史学徒に必要だけれど、それは個人の人権を侵害してまで許されるものではない。

 「歴史学は社会の役に立つべき」とは思わない。その”社会”は受け手の都合のいいように変えられるから。けれど、歴史学が学問として存続するためには、社会に受け入れられる必要がある。社会の中の小さな悲鳴を無視しながらも大学として、博物館として受け入れられることを要請することの違和感。これが冒頭の疑問と重なった。

極光

 つい先日、「また部落のやつらが文句言ってきて差し替えになった」「こんな史料お前らに関係ないのに学術研究の発展を阻害するな」という声が聞こえてきた。出先だったのでどこの誰が言ったのか分からなかった。でも、それを聞いて、私はこの文章を今書かなければと思った。

 市民(=非研究者)は、史料を見る権利が与えられていない、あるいは大きく制限されている。それは壊れやすい貴重な文化財を扱うという性質や、学術利用でないことを証明できない(=悪用の危険があるかも)という事情がある。だからこそ、自分たちの権利が侵害されるかどうかを的確に判断することは困難だと思う。その空白は、史料を扱う側が歩みよって埋める努力をしてほしい。
 
 そういった言葉が発される背景には、やはり当事者のことを考えているようで実は「どう危険を回避するか」ばかりに意識がいっているという現状があるだろう。” 配慮” といいながら、それは当事者のためではなく、自分たちのための制限。博物館が、歴史研究者が、「負の遺産」をどう扱うか。その問いのなかで、当事者の声を雑音と思っている風潮があるのではないか?

 歴史学は、社会に必要だと強く思う。だから私は歴史学を研究している。でも、その加害性を忘れてはいけない。「学術研究」を言い訳に、研究の対象やその後景にいる人々を切り捨ててはならない。

 自戒を込めて、ここに記す。


※写真は本文と直接関係のない筆者撮影のものです

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