思考は記憶で、記憶に実体がなければ、思考に実体があると言えるか①
記憶に実体はなく、ただの構造(状態)として、物理的に存在している。
だからと言って、この世界が、無意味で、無機質で、ただ物質だけが在る、唯物的なものかと言えばそうでもない。
私たちが存在している世界において、そうではない(唯物的ではない)と言うことであって、そうである(唯物的な)世界も存在する(生命が生じる前の宇宙のように)。
生命のある世界と、そうでない世界とでは、存在の在り方(構造)が異なっている(生命のある世界の方がより進んでいる)。
存在には、いろいろな在り方、ステージがあって、生命のいる世界は、そうでない世界と比べて、「こころ」が新たに存在する様になる。
世界(宇宙)の進化は、在り方の進化であって、新たな創造の過程でもある。世界の働きとは、様々な形で在り続け、かつ、創造し続けるということ。
私(自我)には実体はない、が、在ると感じるということは、認識の対象として存在しているということ(物質とは異なる在り方が生じたということ)。
(続きます)
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