意識を機械にアップロードできるか③
どの様な条件が揃えば意識が生じるだろうか。
条件が分かれば、それを満たす方法が見つかるかも知れない。
私には意識がある(から条件を検証できる)。
私には意識がある、とは、私の中のどこかに意識があると言うことだろうか。
そもそも私とは何を指すのだろうか。
多くの人は、この身心(特に脳)を私だと思っている。
なので脳を模した構造物に電気を流そうなどと考える。
確かに、ある条件を満たせば、脳から生じるかもしれない。
脳から生じると言うか、脳の働きによって、何処からともなく生じる。
脳(の働き)から生じるのであれば、生じる場所は脳内だろうと想像する。
でも、いくら脳内を探しても、私は見つからない。
現れている場所が分からない。
意識で私(のある場所)を探すのが難しいなら、音が現れる場所を探してみる。
音は身体の外側にあると感じている。
発生源が身体の外にあると思っているから(空気の振動源ではない)。
イヤホンで(身体の)内側に入れてみる。
発生源(と思っているモノ)と、それを聞いてる私の発生源を近づけてみる。
※起源まで遡れば二つは同じモノ(聞いてる私と聞かれている音)
音は何処から生じ、何処に現れているだろうか。
空間的な座標もない、およそ場所とは言えない場所だろう。
敢えて言えば概念的な場所と言える。
もっと言うとモノもそこにある(生じる)。
私の目の前ではなく、目に光が触れることによって、何処からともなく、何処とも言えない場所に、勝手に生じている。
空間ではないので、もちろん時間もない。
目に見える、外にあるはずの身体(モノ)も、そこに現れている。
身体(モノ)は私の器でなく、私の内にある(当初の想定と逆側にある)。
時間も空間もない、どことも言えない、全ての源泉で、生滅を繰り返している。
ので、もちろん実体などありようがない。
見るたび、聞くたび、縁に応じ、ただ只管に。
そこに全てが現れている。
私もそこにいる。
私はそこに現れる全て。
この身心はセフィロートの道。
機械で道を作れば良い。
生身でも機械でも、その道を通れば…。
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