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友達とのつきあい方



人間関係というのはテクニックではないと思うんです。 

大事なことは、その人といて楽しいか楽しくないか。 

基本的に人と人をつなぐ絆はそれだけ。

いっしょにいて楽しければつきあいは続いていくし、そうでなければ関係はいつか途切れるものなんです。 


あなたは友達とのつきあいに、無理をしていないだろうか。

無理につきあいを持続させようとしていないだろうか。


たとえば、友達に彼ができたら、彼女の話すことは彼のことばかり。

友達が結婚したら、話題は旦那さんや子どものことばかり。

あるいは、友達と別の学校に進んだら、趣味が合わなくなってきた。

つまり、話が合わない。

で、会っていて楽しくないことに淋しさを感じるわけですね。 


人は誰でも成長していくし、その人をとりまく環境も変わっていきます。

それまでは、共通だった話題が少しずつずれていくのはあたりまえ。 

話が合わなくなってつまらなくなったら、極論をいえば、その人と友達でいなくてもいいわけじゃないですか。

なのに、無理やり話を合わせて、楽しそうなふりをして喋っていてもおもしろくないんじゃないですか。 

人間関係というのは、どんなに小細工をしても離れていくものは離れていくし、長続きするものは放っておいても長続きするんです。 


おたがい全然違う人生を歩くようになって、価値観も違ってくると人は離れていく。 

だけど、それでもなお、つきあえる人もいると思うんです。 

人間というのは何にせよ生きていくうえで、無理はあまりしないほうがいいと思います。

壊れるものは壊れていくし、朽ちるものは朽ちていくんです。 

人間関係にしたって、小手先でどうこうしたってだめなんですね。

人と上手につきあう方法とかコツなんてものはないんです。 


強いていえば、人間としての魅力を磨くことくらいでしょう。

最終的にはその人自身の魅力が、人間関係を良くもするし、悪くもするものだと思います。

秋元康
『君はそんなに弱くない』大和書房 より






どんなに仲の良かった友達でも、月日が経ち、環境も変わり、生き方も変わってくれば、話は合わなってくるのは当然です。

その後の人生の歩み方で、考え方、見方、あるいは識見といった、人間の本質的な部分に大きな差が生まれるからです。

つまり、お互いが同じように切磋琢磨し、同じように人格が磨かれていけば、話は別になりますが、なかなかそういう訳にはいきません。

これは、友達だけでなく、会社の同僚、親戚や夫婦も同じです。


どれだけ自分を向上させたか、進化したかが問われるのです。

つまり、友達は自分の鏡のようなもの、ということです。

自分が現状維持なら、現状維持の仲間と会うようなるし、

自分が進化していれば、進化した仲間と会うようになります。

まさに、孔子の言う「その人を知らざれば、その友を見よ」です。


もし、久しぶりに旧友と会って、昔の話ではなく、今楽しんでやっている話、
新しい話、未来の話、で盛り上がったとしたら、それは一生の友です。

これは、年を重ねれば重ねるほど、大事になります。

長い月日共にいることが重要ではなく、
今この時、誰と語りあいたいが大切なことのようです。


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