Creation as DIALOGUE第1期パリ出展報告会実施レポート

2022年12月20日(火)名古屋イノベーターズガレージに於いて、名古屋市伝統産業海外マーケティング支援事業Creation as DIALOGUE第1期パリ出展報告会が開催されました。

冒頭の第1部では事業プロデューサーであるミテモ株式会社 代表取締役 澤田 哲也から、本事業の紹介と展示会サマリーをお話いたしました。第2部では第1期事業者さまとデザイナーの古川紗和子さんによる対談第3部では統括コーディネーターの村瀬弘行さんと事業者さまのパネルトークを展開いたしました。


第1部プレゼンテーション​

Creation as DIALOGUE 事業紹介、展示会サマリー​


澤田:本事業では若い世代方々に対してしっかりバトンを受け継いでいきたいと当初から話していましたが、本日は1期2期の事業者の皆様ばかりか、名古屋市内の高校生・大学生を含む次世代の方々にも参加していただきながら、第1期の取り組みの報告会、振り返りができることは嬉しいことです。


名古屋市主催の海外伝統産業海外マーケティング支援事業として、名古屋東海圏全域の中心地・名古屋から日本のものづくりを支え続けてきている、この土地に根差している技術・文化・精神性・哲学を活かしつつ世界の需要をしっかり獲得し続け、自走できるブランドを作っていこうと活動してきました。その中で、世界の第1線でブランド作りを実践していらっしゃる方々をアドバイザーとしてお迎えして、共創する活動を行っています。まずは、第1期事業にご参加くださった5社のお名前をご紹介します。

株式会社竹田嘉兵衛商店(有松・鳴海絞)

株式会社安藤七宝店(尾張七宝)

合資会社千代田屋(名古屋仏壇)

山勝染工株式会社(名古屋黒紋付染)

株式会社マルスエ佛壇(名古屋仏壇)

こちらのサイトにて、各事業者の方が作られた商品の背景・ストーリーもご覧いただけます。


本プロジェクトの実施体制としては、株式会社スズサンCEO/ Creative Directorの村瀬弘行さんが統括コーディネーターを務めてくださり、デザインアドバイザーとして古川紗和子さん、名和光道さん。お二方には、各事業者さんの持つユニークで高い技術力をどのように見せるとヨーロッパの方々、ラグジュアリー層向けマーケットに向けて価値あるものを作っていけるのだろうかという観点でご支援いただきながら商品を作ってきました。


プロモーション用に撮影していただいた動画も非常に好評でした。

(英語音声・5分)

本映像は、フランスで活動されているクリエイターのMai Huaさんに名古屋にお越しいただいて、ブランドを通して名古屋を知り、来訪を促し、職人さんとの出会いや文化に触れて新しいクリエイションが生まれるような、工芸ブランドと旅を作っていくような想いで、出会いを旅することをテーマに、撮影、編集していただきました。

これらの5つのブランドを開発のうえ、2022年9月23日から10月10日までパリに於いて展示会を開催してまいりました。

1階では一つひとつの商品を、バイヤーに交じり一般のお客様にもご紹介しました。
フランスだけでなく、その他のEU圏からも600名を超える方々にお越しいただきました。

Copyright: Creation as DIALOGUE


名古屋の文化やストーリーを共有するために、いくつかイベントも開催しました。初日には約80名の招待制レセプションを実施、櫛田さんによる漆塗りのデモンストレーションもお見せました。その他、日本刀の鞘の修復、黒紋付染めプレゼン、有松絞の歴史、古川さんと竹田嘉兵衛商店の浦田さんのトークセッションなどお届けしながら、商品背景や技術の共有をしました。

参加者アンケート結果から万遍なくどのブランドにも、また展示スタイルや展示商品の技術・質の高さなど商品と背景にあるストーリーに対しても、しっかりとご興味をお持ちいただけたようです。
この事業の最初に、海外進出の場合は3年くらいかけて売れる実績を作ることが大事だというお話をしましたが、結果として今回、実際に売れたところと全く売れなかったところがあります。その課題や手ごたえを次にどう生かしていくかです。

私自身が率直に感じたのは、名古屋の技術は凄いなということです。古川さん、名和さん、村瀬さんから非常にクリエイティブなリクエストが出されていて、仕上がった商品一つひとつが素晴らしいなと感じました。名古屋の技術の引き出しの豊富さの表れだと思いますし、これまで長年にわたり厳しいお客様の要求にこたえ続けきたからこその、クオリティだなと思いました。このクオリティをしっかりと出せる、「名古屋の強み」を第2期で更にどう展開させていくのか、この後のセッションで深堀していけるといいなと思います。

第2部パネルトーク​

デザイナーと作り手の国を超えたコラボレーションについて​


【登壇者】
デザイナー 古川紗和子様
竹田嘉兵衛商店 浦田様
千代田屋 櫛田様
モデレーター高木孝太郎(ミテモ)

左から、櫛田さん、浦田さん、古川さん


高木:このプロジェクトへ参加することや、海外のデザイナーさんと組むことへの期待や不安について当初の想いを伺いたいです。

浦田:以前から海外進出の取り組みはあったものの、なかなかビジネスに繋がらない状況でした。村瀬さんが入ってくださって向こうでの販売ルートも確立されていて、ミラノ在住の古川さんが入ってくださることによって、リアルなニーズを知ることもできるということが魅力でした。

櫛田:どんな技術を使ってもの作りができるかが、長年の課題になっていて、たまにデザイナーさんとコラボしては、デザイナーさんの意見を否定しがちでぶつかるのですが、今回はオーダーを限りなく受け入れ、再現しようとして、ここまで来ています。この業界で海外に出ていけるのかは未知数でしたが、千代田屋としての知名度は上がるのかなとも考えて参加しました。

高木:当時の情勢を振り返るとコロナで打ち合わせも難しい状況が見えていましたが、不安はありませんでしたか

浦田:有松絞は種類も豊富で上手く伝えきれず、伝え方が難しいのでリモートでどのようにお伝えしたらいいかが一番の不安材料でした。そんな中で、古川さんのリサーチ力とスピード感には感動を覚えました。

高木:どんなところを意識しながら制作活動を進められたか伺えますか。

古川:とにかく可能性のあることはリサーチしようと思いました。切りがないくらいの種類がありました。

浦田:古川さんのデザインに対して、技術的にできること、出来ないことがあり、難しさはあったものの、できるだけ最初のデザインイメージに近づけるよう、職人の方々に忠実に表現していただきました。

古川:技術が素晴らしいので、ついつい技術中心の商品づくりに向かいがちなのですが、竹田嘉兵衛商店さんの歴史と、持ってらっしゃる個性はどこへ行っても通用するだろうという絶対的な確信がありました。有松には絞りの技術がたくさんあり、職人さんの個性や、辿ってきた歴史など、皆さんそれぞれが持ってらっしゃる、ストーリーに魅力を感じてもらえると思いました。だからこそ竹田嘉兵衛さんの為のデザインには、竹田嘉兵衛さんの美しい美しい意匠のある建物を表に出さなくてはと思い、どのように見せるべきか、技術とテーマを考えました。

浦田:建物からインスピレーションを得てデザインされた。そこには私たちは気が付かなかった。目の付け所が違うさすがだなと思いました。

高木:櫛田さんはいかがですか。

櫛田:仏壇に関するリサーチをしてくださって、ヨーロッパにはないけれど、つながる部分を探ってくださった。当初は全く別物の木工になるんだろうなと思っていました。ところが、鏡を見ながら自分を見つめ直す、そして先祖を思うという発想を提案してくださいました。作っていく過程の中で、変わった引き出しのアンティーク家具の写真を見せていただきながら、仏壇の構造と比べたのはかなり勉強になりました。

古川:ずっとオンラインでしたが、お話していて仏壇に対する思い・技術・取り組み方はもちろん、和箪笥をワインセラーにリメイクしたいというお客様にも柔軟に対応されていらっしゃるお話を聞いて、すごく魅力的だなと思いました。名古屋仏壇の歴史を読んで学びつつ、櫛田さんのいろんなニーズに応える柔軟性を活かせたらと思いました。実家の仏壇のことを思い浮かべながら、ヨーロッパの人も同じように、個々の思いを巡らせる時間があるのは共通だろうと思い、その時間を反映するのにバニティボックスならできるのではないかと思いました。いろいろなお話が聞けてコミュニケーションをとることも楽しい時間でした。

高木:仏壇は海外にない文化ですが、そこに向き合う人の気持ちや櫛田さんの想いを現地の生活に置き換えて、バニティボックスに行きついたというのが、とても面白いなと思いました。古川さんご自身、完成品は初めて現地でご覧になった状況だと思うのですが、こういう話がキーポイントになった、最終型が見えてきたということはありますか。

古川:リサーチを堀り下げすぎると製品にならないので、引き算をしながら進めました。対話とリサーチを繰り返しながら徐々に形にしていきました。

高木:普段、国内向けに作られるものとの違いがあれば伺いたいと思います。

浦田:ガウンなんて作ったことが無く、馴染みがなかったので正直なところ、パリに行くまで疑問がありました。ですが指示を忠実に守って表現することに集中しました。実際向こうに行ってみたら、反響があって良かったし、受注もいくらかありました。実際に向こうで売られているところを見て、今後に向けては素材を変えて展開してもいいのかなとも思いながら、ヨーロッパでの需要があることがわかりました。日本向けだと形は変えないといけないかもしれません。それは次の段階ですけど、そんな感じのものづくりでした。

高木:二期の事業者さんもまだ見えていないところがあるかと思いますが、まずは信じて進むのが大事っていうことですね。櫛田さんはいかがですか?

櫛田:日本であまり使わないものなので、こんなのでいいのかな?とは思ったのですが、自分では思いつかない方向で考えていただいたので、第1案のバニティボックスでついていくしかないと思いました。

高木:ここはどうしても譲れなかったことはありましたか?

櫛田:そこはいつも葛藤していることです。いろいろ技術や発想がある中で、仕様デザインをどれだけ忠実に再現できるかを考えながら進めていきました。商品的にはかなり高額なものを作ってしまったのですが、勉強になりました。

高木:お二人とも初めてのパリだったということですが、現地の方々の反応や違いを感じたところについてお聞かせいただけますか。

浦田:現地の方が絞りに関して興味をもって聞いてくださるので、色々なお話をしました。ランチタイムに日本料理屋さんに行列していて、日本文化に対するリスペクトが高い国だなと思いました。以前、ロサンゼルスに持って行ったことがあるのですが、見た目が重視される感覚がありました。パリではストーリーや努力・技術をすごく評価してくださることに地域性を感じました。文化レベルの高さもあり、評価が高かったのかもしれないです。
櫛田:日本だと漆で塗ってあるということで高級と認識されますが、向こうでは価値が伝わりにくいなと思いました。技術をどう伝えるかが課題だと感じました。

高木:古川さんは、現地を見てお客様の反応に対して、どう感じられましたか。

古川:すごく興味をもって見てくださいましたし、美しいものだという認識で見て行かれました。全体的に足を止めて何だろうと、見る方は多かったと思います。

高木:海外の生活をよく知るデザイナーさんとのコラボについて、振り返ってみてメリットや学びがあったと感じた部分があればお聞かせください。

浦田:デザイナーさんと自社製品を作るということはこれまでに経験がありませんでした。今回、自我を出さずにプロダクトデザインしていただいて高評価をもらったというのは初めての経験で良かったなと思いました。

古川:自我を出さずということですが、技術面、表現の仕方、ネットワークは強みだなと思いました。有松の方々でなければ実現できなかったと思います。

浦田:有松は歴史的に分業になっていて、協力体制のもと、色々な人がかかわっているので、そこを見ながら進めていかなければならない難しさはありますが、人を育てる意味でも一つのきっかけづくりになったかなと思います。

櫛田:古川さんと一緒のやったこと、パリまで行ったこと、自社ではできない経験でした。帰ってくるまで何を作っているか誰にも話していませんでしたが、話してみると「欲しい」と言ってくださる方もいました。何か次につなげられそうです。

古川:今回のデザインを見てくださったら、残念ながら仏壇処分をしなければいけないという方にも、櫛田さんの所へ持っていけば作り替えてもらえるんだと思っていただけるかもしれませんし、この発想をさらに発展させていただけるかなと期待しています。

第3部パネルトーク​

Creation as DIALOGUE 今後の挑戦とその可能性​


【登壇者】
統括コーディネーター村瀬弘行様
山勝染工中村様
マルスエ仏壇伊藤様
モデレーターモデレーター澤田哲也(ミテモ代表取締役)

左から、伊藤さん、中村さん、村瀬さん

澤田:9月にパリに行って実際にどんな可能性・展開・課題を感じたのかについてお話をしていきたいと思います。

村瀬:元々生まれが、緑区の有松で父が4代目で有松鳴海絞りを家業としていました。20歳のころに海外に出て、人生の半分以上日本を離れて暮らしている中で、日本の手仕事は魅力的なものだと改めて感じたのと、ヨーロッパでは産業が近代化される中で忘れ去られたものが、まだ日本には稀有な存在として残っています。技術を使って形を変えて2008年にスズサンブランドを作り販路を築いてきた中で、このプロジェクトにお声がけいただき、今まで15年培ってきた経験を使えるといいなと思っています。

中村:日常だったものが非日常になってしまって、衰退してしまった今では、伝統芸能以外に需要がなく、一般の方には必要がなくなってしまった黒紋付ですが、無くなってしまうのではなく守っていきたいと思っています。海外でどう見てもらえるか勉強したいと思いました。

伊藤:名古屋仏壇は、尾張全域に職人がいます。仏壇はかつてラグジュアリー商品でしたが、今では作れなくなった、或いはぎりぎり残っている技術というものもあります。祭りの山車や文化財修復も手掛けてきました。好奇心で参加したところ、結果的には良かったと思っています。

澤田:村瀬さんにお聞きします。名古屋の伝統工芸・産業全体をディレクションする取り組みの中で、スズサンとして活動されてきたのとは違う発見があったのではないでしょうか。今回、どんなところに可能性や課題を感じられたか、発見されたことはあればお聞かせください。

村瀬:この地域には本物であり、長年続けられてきた手仕事が根差していて、蓄積された技術と知識があるということを帰るたびに「凄い産業がここにあるのだな」と感じています。昔の有松には電車を通すくらいに資金力が豊富な時代もあったと聞いてます。残念ながら、時代の変化とともに頭打ちになってきてしまいました。トヨタのように技術を応用して、時代の変化についていった企業もあります。伝統的な工芸についてはメリット・デメリットがありながらも、オーセンティックなまま現代に繋がってきました。フランスでは馬具から始まったエルメスが、産業が進化する中で手仕事のぬくもりが残し、モノの価値が高まりラグジュアリーブランドとして現代に残りました。一方では、同じころに出現した自動車産業でルノーがフランスを代表する企業となり、今に繋がっています。名古屋でいえば、トヨタと伝統産業の組み合わせは、ビジョンとしてあり得る地域だなと思います。

澤田:自動車産業と並び立つ本物づくり、価値を生むものとしてのポテンシャルだと感じられたわけですね。今回、展示されているものから感じた可能性は何かありますか。

村瀬:これまでモノを最初に作って持っていく、プロダクトアウトで失敗することが多く、現地の生活を知っている人が対話(DIALOGUE)をしながら生まれてくるもの、生活の中に取り込めるもの、ペルソナにどのようにリーチするかは、その生活を知らないと難しいと思います。それが今回の展示の結果、無名ブランドに対して40万円というかなり高額のコートを買ってくださったお客様がいたということは、このプロジェクトの成功だったのではないかと思います。知名度やバズルことではなく、ピンポイントでペルソナに差し込めるか、どう突き刺さるかを考えていたので、売れた時には一緒になって喜べました。それは対話の中で出てきたものだと思います。

澤田:中村さんが可能性を感じたとのことでしたが、以前アメリカでのマーケティングとの比較もあったかとは思いますが、今回の活動で感じた手ごたえと課題についてお話しいただけますか。

中村:パリで展示できること自体が非常に難しいことで、今回売れたということは凄く自信にもなりました。数が少ないので次につながるような価格や素材などのサンプリングができるまでには至りませんでした。思っていたよりパリは小さい町で、アメリカよりも日本っぽく感じました。日本人にとっても住みやすく、日本のことが好きで、おにぎり屋さんや、ラーメン屋さんなどでは行列ができていましたし、日本のマーケットが進出している感覚がありました。

伊藤:まだこれは2回3回やっていくうちにわかってくることだと思いますが、率直に感じたのは、お客様の質問が深いところにあるということです。例えば、素材に関する質問は日本で聞かれたことのないような角度の違う質問や、価格に対しても手間をかけていることや、こだわりを話すことで納得していただけることが何度かありました。アメリカだったら手間よりも最終の仕上がりや、効率を求められる傾向があったように思います。パリでは手間を買ってくださるという意味では、昔の日本のような感覚がありました。手間がかかってクオリティ(もしくは質)の高いものを提案したいと思っても、日本では価格で驚かれるが、パリではそこを評価してもらえる。職人にとっては願ったりかなったりの市場ではないかと思います。
刀鞘のデモンストレーションに来てくださったお客様はプロ並みに知識のある方でした。

澤田:目利きの力がおありの方が多かった印象がありますね。

村瀬:ファッションウィークの場合、1週間に5000ブランドが集まるので、選択肢が非常に多く、半年の予算をもってバイヤーが発注をしていきます。そこにどう引っかかっていくか訴求力が求められます。いらっしゃる方々が求めているもの、共感していただけるものという意味で、そもそも1期の皆様は本物のものづくりをしている方々なので、伝える側としても発信しやすい内容だったと感じました。スペックの問題になってしまうと技術、機能で価格競争に陥ってしまいがちなのですが、ストーリー性のあるものであれば価格競争に巻き込まれることはなく、オーダーが減ることもありません。本物、メッセージ性、共感がある、そんなことを感じながらセレクトしているお客様、バイヤーさんに手に取っていただけるものを作っていたという意味では、親和性があったと思います。

澤田:最後に村瀬さんに改めて、第1期の総括コメントと第2期の重点ポイントを設定するとしたら…について伺えればと思います。


村瀬:プロジェクトのスタートがロックダウンの最中で、オンラインコミュニケーションしかない中で、デザイナーと事業者が時差を超えて取り組んでこられたことにエネルギーをいただきました。当時、大規模展示会の開催が難しい中で、市内のギャラリーを会場にしました。1972年に高田健三さんがお店を作った場所、日本のブランドが初めてパリに行った記念碑的な場所で発表できました。ファッションウィークに合わせてB to B 、B to C 両方の反応が見られたのは良かったと思います。

次回に向けては、よりB to B にフォーカスしていきたいと思っています。より世界中から人が集まることになると思われます。
より世界中から人が集まるであろう2023年9月に、またパリで発表できるように動いています。

白紙から始まったプロジェクトですが、すごく思いのこもった熱いプロジェクトになってきていると感じます。こういった地域での事業がこれまでにもありましたが、参加者やデザイナーの日々の対話の中から、良いアイデアや方向性が出てきているなと思っています。方向性としては、当初から継続性と循環と言ってきましたが、本物のものづくりをどう次の世代に伝えるかを考えています。実際に伊藤さんのところにパリから来訪があり、一緒に仕事をしていくことになりました。まさに循環が生まれてきていて、地域や世代を超えた循環、未来に期待できるプロジェクトに成長していくといいなと思っています。

村瀬さん、古川さん、ご登壇いただいた1期の皆様、ありがとうございました。


村瀬 弘行 氏 プロフィール
1982年名古屋市生まれ。2002年に渡欧、サリー美術大学芸術学科(英)を経てデュッセルドルフ国立芸術アカデミー(独)にて立体芸術及び建築学科卒。2008年 在学中にデュッセルドルフで『suzusan e.K.(現Suzusan GmbH & Co. KG)』を設立しsuzusanクリエイティブディレクターに就任。2020年株式会社スズサン及び suzusan GmbH & Co., KG両社のCEOに就任。2018年より名古屋芸術大学にて客員教授として教鞭を執る。

https://www.mitemo.co.jp/event/cad_nagoya_event/

古川紗和子 氏 プロフィール
ミラノ在住のファッションデザイナー。日本でテキスタイルデザインを学んだ後、渡伊。ミラノのドムスアカデミーにてマスターオブファッションコースを修了。DIOR HOMME, GIANFRANCO FERREʼ, VERSACE, BOTTEGAVENETA など様々なラグジャリーブランドにて、ハンドバッグデザイナーとして活躍。これまで数多くのコレクションで、IT BAGと呼ばれるベストセラーバッグを生み出す。ハンドバッグデザイナーの他、オリジナルのテキスタイルデザインを用いたスカーフやクローズコレクションの展示会、ファッションショーに参加する経験を持つ。

https://www.mitemo.co.jp/event/cad_nagoya_event/


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