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観客力と天才S.T

私が通っていた小学校には、
「放課後クラブ」(という名前だったかは定かではない)があった。

4年生になると週に2回くらい、放課後に自分の好きなクラブへ行って
先生とスポーツをしたり、実験したりしていた。

私が選んだのは、担任の先生が担当していた「演劇クラブ」だった。

みんなで配役を決めて、セリフを覚え演技する。小道具も大道具もあるもので代用して一つのお芝居をみんなに観てもらうと、いう目標があった。

どんな劇だったのかはあまり思い出せないが、すごく楽しかった。


担任の先生は舞台演劇に関係している方だったらしい。

高学年になった頃、小樽市民会館で大きな舞台公演があった
先生はそこに私たち演劇クラブの生徒を5人ほど連れていき、舞台裏を見せてくれた。

大道具の裏側や、演者さんたちの控室、舞台から見た観客席。
初めて見るものばかりだった。

興奮している私たちに先生は

「明日、このお芝居にちょっとだけ君たちに出てもらいたい。」
とおっしゃった。

生の舞台演劇など観たこともない田舎の小学生たちは、何が何だかわからないうちにリハーサルの舞台に上がっていた。

もちろんセリフなどない。
動きだけを劇団の方が優しく教えてくれたのを憶えている。


本番の日、楽屋で明治か大正の子ども用らしき丈の短い着物を着せられ、
私たちは初舞台を踏んだ。

ただ大人が騒いでいるセットの家の中を、玄関から子どもたちがのぞき込み、こらっ と怒られて わーっ と下手へ逃げる、というだけの一分にも満たない出演だったけど、その時の光景は鮮明に残っている。

一番前の席で、心配そうでいてどこか嬉しそうな母親の顔も。


私が生の舞台というものを知った最初の出来事。


それから十数年経って、私は母になり、
「子どもたちに生の舞台を観せよう」という活動している会員制の会に入った。

子どもたちにというより、私が見たかったからというのが本音だったのだけれど、その活動は私にとってとても刺激的だった。

子ども向けというと、本格的ではないとか、軽いお芝居みたいに思う方もいるかもしれないが、どの劇団も真摯に子どもたちと向き合って、真剣に考え、狭い会場であっても一生懸命に舞台を作っていた。

親たちは観客側のスタッフとして、劇団の方々と話し合い準備をする。

生の舞台の素晴らしさをより多くの子どもたちに知ってもらいたい、楽しんでもらいたい、というのが劇団と親たちの共通の想いだった。

そんな中で私はとても大切なことを学んだ。

観客である子どもたちはとても素直だ。
それは大人の言うことをよく聞く、という間違った意味の素直ではなく、
自分の心の動きに素直なのだ。

主役に危険が迫れば大声で教えてあげるし、不思議なことがあれば舞台に上がって確かめようとする。
その子にとってつまらなければ寝っ転がるし、瞬きもせずにのめりこむ子もいる。

生の舞台のおもしろいところを子どもたちは知っている。
自分が観たいところを自分でちゃんと選んでいる。
たとえそれが物語の主たる場面ではなくても、自分の欲求に従って観ているのだ。

そして、その素直な観客の熱量が残らず演者に伝わり、化学反応の様に素晴らしい舞台が作り上げられていく。

そんな時は上演時間がどんどん延びていった。

つまり、生の舞台を完成させ、素晴らしい作品にするには、演者やスタッフだけではなく、必ずそこに観客の力が必要なのだ。

その力の事を
「観客力」
と劇団の方々と私たちは呼んでいた。

ステージと観客の間に一体感が生まれると、観客力が増大し相互作用が働き、演じる側にも観ている側にも感動という素晴らしいプレゼントを与えてくれるのだ。

(とても狭い範囲で使われている造語なのか、ウィキペディアにも載っていない。)


テレビや映画にも素晴らしい作品はわんさかある。
舞台作品だって、配信や円盤になってから観られることもある。

同じ観るという行為だが、チケットを買って、会場に足を運び、観客席で自分の目で観ているのとは違う。

映像は、カメラを通した画面を観ているのだ。

もっと言えば
監督の意向に沿ったカメラマンの目線で、それを観させられているのだ。


こんなことを書くと
「映画やドラマを否定している。」
「素晴らしい作品を観たことがないのか」
なんて言う声が聞こえてきそうだけれど、

私は決して映像作品を嫌っているわけではない。

大好きな映画もドラマもちゃんとある。

ただ、目の前にいる生身の人間が作り上げる作品には、それらにはない空気がある。

観ている人間の前に隔てるものがないから

舞台から風が吹いてくるのだ。

その風が観客力を呼び起こし、一体感を作る時間がたまらなく好きなのだ。




大好きな推しが三年かけて作り上げた、
大好きな生の舞台を観た。

一度目は推し中心に観ていたが、二度目はちゃんとお芝居を観た。


風が吹いていた。


舞台でしかできない演出や、抽象的なセット。
演者の汗や息遣いまでが感じられるステージからの風に身を任せる。

数々の疑問が最後で解き明かされ、
これで終わりじゃないかもしれない感を残して幕は下りる。


推しの世界感にどっぷりと浸かり、思わずため息が漏れた。

そしてこの素晴らしい舞台を一緒に作り上げてくれたカンパニーに感謝。

ありがとう。こんな素晴らしいお芝居を作ってくれて。


スタンディングオベーションでこの気持ちを伝えなくては!
と立ち上がった私は驚いた。


誰も立ち上がってない。

少なくとも私の周りは。


なんで?みんな感動しなかったの?

私だけ?



私からかなり離れた席の方がやっぱり一人でスタオベしていて、私を見て、うなずいた。


絶対座らないからな!とその目は言っていた。


いいんだ。
スタンディングオベーションは個人の判断だ。
強要されるものでもするものでもない。


私はこの舞台に心が振るえたのだから。

戸次重幸という天才舞台役者に最高の賛辞を贈りたい。

その方法がスタオベなのだ。


手が腫れるまで拍手をした。



家に帰り、大千穐楽のカーテンコールで、公演が終わってしまってすでにロス状態のうつろなシゲちゃんと目が合ったんだよ!
と三男くんに興奮気味に報告したら、

「かあちゃん、それはまぼろし。勘違いともいうんだよ。」と。


そして、小さな声で

「大丈夫かなこの人。」


と言っていたのを聞き逃さなかった私だった。


今回はちょっとまじめ。


            したっけ。


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