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味方にできなかった圧力鍋〜去って行った調理道具


…もちろん、圧力鍋をはじめとした道具たちに原因がある訳では全くなく、
その道具たちを使いこなせなかった、私の狭量の話です。

料理の仕事を続ける中で、次々に生まれる便利な道具や新しい情報に翻弄されそうになることがままあります。
忙しさも手伝い、ほんとうに自分の身の周りに必要なのか見つめなおす余裕を失うとともに、他の人が有意義に使っているのを聞いては安易に真似をしがちでした。
そんな私の失敗も、読んでくださった方の何かに役立てていただける事があったら嬉しいな、と思い立ち、一つずつ記してみようと思います。


(圧力鍋)→子育て中は使っていましたが、今は…

最近ではボタン一つで仕上がる魔法のような自動調理器などが次々開発され、圧力鍋の性能も従来よりさらに上がり、いささか怖かった減圧も今は何の苦もなく使いやすくなっていて、単身や共働きなど、あれこれ作る時間が取れない方にはとても強い支えになりそうです。
仕事で何種類かの圧力鍋を使う機会もあり、特に子育て中、分単位の時間に追われる日々の中、簡単に柔らかくなる圧力鍋が我が家で実際に味方になってくれていた時期もありました。
すぐに玉葱をあめ色に仕上げたり、玄米をあっという間に炊き上げるなど、便利で驚いた記憶があります。プリンや茶わん蒸しもコツ要らず。すが入らず仕上がりました。
けれど次第に、肉の味のしみ方がいまひとつ物足りなかったり、魚も骨まで柔らかいけれど何となくもそもそっとして、皮もはがれたり、と美味しく思えないことが増え、減圧の時間を勘定に入れればそこまで高速というわけでもない、と感じるように。

いそいで高圧や高温で組織を壊して柔らかくするよりも、弱火でじっくりしみこませたほうが濁りのない美味しさや望み通りの口当たりにたどり着く、と思ってしまう自分は、優れた性能の器具たちを前に、もはやアナログに過ぎるかもしれない、とも思います。
また、私自身が歳をとり、物理的に時間の余裕ができてきたせいもあるでしょう。
それでも、圧力鍋のいらないごく単純な料理、例えば吸い物や味噌汁などにしても、穏やかな火加減でゆったりつくらなければ雑味でまずくなるのは確かなのです。
齢を重ねることで、身の回りのいろいろも、鍋の中の景色も、そんな風に穏やかがいいな、と思うようになって行きました。
同じ鍋任せなら、留守中も弱火で進むスロークッカーのほうが素材が喜んでいるように感じて、専ら豆を炊いたり、牛すじなどの煮込みものの仕込みに愛用しています。

その時その時の自分にうまく沿ってくれる道具が一番、と思うのは、まさにこういうことなのでしょう。

(炊飯器)→高機能のものは魅力的にも映りますが…

これは独身の頃から、忙しい中で使わなくなってしまったものの一つです。
うっかりもので、前夜に予約を忘れたら朝にごはんがない、なんて事態は困るなあ、と思うところと、場所を取ることに加え、鍋で炊飯するほうが格段に速くて美味しい、と思ってしまったからなのですが。
少なくとも、熱々に保温されたご飯よりは、お櫃の冷やごはんの味の方が、旨いと感じます。
炊飯器のご飯を知らなかった息子が中学生の頃に、その保温機能にあこがれてか、食べてみたいと言うこともありましたが、独立した今は、自分でも無水鍋で炊いているようです。
実際に今の素晴らしい炊飯器でできるご飯は、私が鍋で炊くよりずっと美味しいかもしれませんが、未だ味方にできることなく、今も手が伸びていません。

そういえば、たびたび横道にそれますが、
冷やごはん、で思い出しました。
日本では、会社などの組織内で干されたり、ひどい待遇を受けた際に「冷や飯を食わされる」と言いますよね。
冷やごはんも美味しい、なんてさっき言ったばかりなのですが、久々に帰省した家族には、やっぱり何はなくとも炊き立てご飯を用意したくなったりします。
知らず識らず、こんなところにも日本人ならではの価値観がしみ込んでいるのに気付きました。

(サラダスピナー)→小さいものより大きいほうがふんわりするものの…

氷水を入れ、上にざるを設置し、生野菜を入れ蓋をしてハンドルで高速回転すると、脱水機の要領でシャキッとしたサラダになる道具。当初は葉野菜が生き返るようになるのが楽しくて使っていましたが、熱湯と水を半々混ぜた湯につけてから洗うほうが、閉じていた気孔が開いて再び水分を吸収でき、またえぐみや汚れが落ちやすい、ということで、50度洗いをする機会が増えました。急いでシャキッとさせたいときでも、ざるに蓋をのせてシンクで激しく振るのとさほど仕上がりが変わらない上に、大きくて場所を取ることから、次第に使わなくなってしまいました。

(オーブンミトンほか)→飾っていたけれど…

煮込み料理やオーブン料理の味方で、かわいらしいものも多く、頂くこともよくありますが、どうも手にはめる時間が惜しくて布製の鍋敷きや布巾などで代用してしまい、結局うまく使えていません。
一時はつるして飾っていたこともありましたが、ふかふかとして、意外に場所を取ります。
今は鋳物鍋の取っ手用に作られたミニサイズの鍋つかみもありますが、フライパンなどの他の鍋では使えないという部分で、結局手が伸びませんでした。
ほかにも、前述しましたがガーリックピーラーや玉ねぎのみじん切り器、千切りスライサーなど、同じ理由でご無沙汰の末、さよならしたものたちは思いのほかあります。
狭いキッチンでもあり、専用のものよりは色々な用途で使えるもののほうがありがたいと思いがちなようです。
すごく広いキッチンだったら、すべて今も置いているかもしれませんが、それでも使わないものがずっとそこにあるのは、無駄でもあり効率も上がらないと、私は思うのです。



ライフスタイルも次第次第に変わっていく中で、自分の料理を支える道具も、衣服やインテリア同様に、本当に必要かたびたび吟味し直し、勇気を持って手放すことで、より動きやすくなると実感しています。
狭量で力不足でも、それが今の自分。

大袈裟な言い方を厭わず言えば、
大事な道具とは、ひとの幸せにも似ているのかもしれません。
忙しさでゆとりを失ったり、他の人が良いと思う意見に振り回されたり、偏見で凝り固まった目ではついつい見過ごしがちな、自分だけに本当に必要なもの。
それらは、特に機能の豊富でない厚手の鍋や使い古した布巾などのように、普段いつも手の届くところにあって、日々、あたりまえのようにそばで働いてくれているのではないでしょうか。


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